いろあはせ

(2)

「ごめんなさいっ!」

「……」

「本当にごめんなさい…っ。来てくださいって言ったの私なのに、追い出すなんてひどいですよね。しかも文若さんは、私を心配してくれたっていうのに……」

頭を垂れて固まる花をしばし見つめ、やがて文若は「……もうよい」と小さくぼやいて嘆息した。

「私もいささか言い過ぎたようだ。すまなかったな」

すると花は勢い良く顔を上げまじまじと観察してきたものだから、なんとなくばつが悪くなった文若は咄嗟に視線を逸らし、さも迷惑そうに眉をひそめた。

「なんだ、その顔は? 私が謝るのがそんなにおかしいか?」

「え……あ、い、いいえそうじゃなくてっ!」

大きく首を振ってから視線を落とした花は、ほんのりと頬を薄紅色に染めて小さく笑った。

「文若さん、さっきすごく怒っていたから、口をきいてくれなかったらどうしようって思ってたんです。だから、まさか謝ってくれるなんて想像もしてなくて…ちゃんとお話ししてくれただけで、すごくほっとしたから」

なんと答えてよいかわからず言葉に詰まった文若は、眉間のしわを更に深めると腕を伸ばし、花の頭を軽く掴んで自分の方へ引き寄せた。

「確かに怒ってはいた。だが、そんなことくらいでお前を突き放したりなどはせん」

「……よかった」

ふふっと口の中で笑った花は、文若の着物の襟をきゅっと掴んで胸元に顔を埋めた。腕の中の少女の様子に文若も愛おしげに目を細めたが、不意に花は顔を上げたかと思うと、ぐっと腕を突っ張って文若から離れようと身を引いてしまった。

「な、なんだ? 今度はなにが気に入らんというのだ?」

興を削がれた文若が思わず不機嫌な抗議の声を上げたが、花はかまわず数歩後ろに下がると、手を後ろに回して小首を傾げた。

「でね、文若さん。これ…どうですか?」

「…………なんだ?」

ぼそりと文若が答えると、花は軽く口を尖らせて眉をひそめた。

「もぉっ! この服っ!」

「服? ……ああ」

言われて改めて花を見おろした文若は、冷ややかな視線のまま言葉を続けた。

「ひどい有様だな。あちこち着崩れておるではないか」

「そ、そこですか? 違いますってばもぉ!」

頬を膨らませて睨んでくる花にくすっと笑ってみせた文若は、襟の合わせ目に手を伸ばすと皺の寄った端を丁寧に直し始めた。

「怒鳴らんでもわかっている。新しく仕立てたのだろう?」

「……気づいてたんですか?」

花は袖の端を持った両手を上げ、文若が曲がった帯を直してくれるのを見ながらぽつりとつぶやいた。すると文若は「当たり前だ」と驚いた風でもなく答えて手を離し、半歩後ろに下がって花の全身をじっと見おろした。

「まぁ……初めて一人で着たのだから、この程度だろう。だがこういった礼式の装束は、そもそもが自分で着るものではないぞ」

「そ、そうなんですか?」

驚いたように声を張り上げる花の様子に、文若は目を細め小さくうなずいた。

「こういった装束は宴席だけではなく、改まった席や祭式でも用いるからな。通常は二?三人の女官に着付けてもらうものだ」

文若の言葉に花はまばたきを数回繰り返し、それから小さくため息をついて視線を落とした。

「あーあ。せっかく一人で着てみせて、文若さんを驚かせようと思ったのになぁ…」

「十分だろう。悲鳴を聞かされた上追い出され、挙げ句謝りにきたと思えば着崩れた服での登場とはな。これ以上驚かされては、私の神経が持たん」

「……文若さん、いじわるです」

上目遣いに睨んでくる花に、文若は唇の端をほんの少し持ち上げて勝ち誇ったように目を細めた。それから改めて花をじっと見つめ、ふと気がついて口を開いた。

「なにか違和感があると思っていたが……いつも、お前が好んで身に付ける色とは違うのだな」

文若の意外な言葉に花はふくれっつらをやめると、一歩後ろに下がってくるりと廻ってみせた。

「えへっ、気がつきました? 自分で選ぶと同じような物ばかりになるから、今回はアドバイスもらったんです」

「あどぅ……はいす?」

「あ。ええと、助言です。他の人に意見を聞いて、私に似合いそうな色を選んでもらったんですよ」

「なるほど、助言か」

言って己の顎をゆっくり撫でながら、文若はまじまじと花の礼服姿を上から下と視線を動かして観察した。いつもの彼女なら、淡い紅や薄桃色の衣服を好んで着るのだが、いま彼女を包んでいるのは若草色の絹だ。常とはまったく違った風合いだが、意外にもその色は彼女の生き生きとした雰囲気を更に強調し、少女の瑞々しさを最大限に引き出しているように思えた。

この色を彼女に与えた人物は、きっとよくよく彼女のことを知っている女官なのだなと文若が秘かに感心していたところへ、花はにこにこと微笑みながら文若のほうへ駆け寄ってきた。

「本当は文若さんに選んでもらいたかったんですけど、それだと文若さんを驚かせられないでしょ? だから孟徳さんに聞いてみたんです」

「……丞相だと?」

花の口から漏れた事実に、文若の眉がぴくりと反応した。だが花はそれには気がつかないのか、笑みを浮かべたまま照れたように小首を傾げた。

「はい。そうしたら、私にはこういう色も似合うと思うし、文若さんもきっと好きだからって……どうですか、おかしくないですか?」

少し不安げな笑みを浮かべて文若の言葉を待つ花を、文若は眉間にしわを寄せてじっと見つめた。それからゆっくり息を吐くと、視線を伏せてぼそりと漏らした。

「……おかしくはない。いや、確かによく似合っている」

「よかったぁ!」

途端にぱあっと表情を綻ばせる花を前にして、文若は複雑な表情を浮かべるしかなかった。彼女が自分を喜ばせるためにしてくれたことは素直に嬉しいと思うし、自分のひと言でこんなに喜んでいるのを見れば愛しさも募るというものだ。

だがそこに至る工程の一番重要な部分に、曹孟徳が絡んでいるというのがどうにもこうにも気に触る。先ほどは「彼女のことをよく理解している者が側にいてくれている」とありがたく思ったことが、途端に厄介で面倒なことに思えてきた。

そんな文若の複雑な心情は花には伝わっていないようで、彼女は身につけた着物の両袖の端に施された金と黄緑色の縁取りをためすすがめつ眺め、しきりに感心している。

「本当に綺麗……。このデザ…ええと模様も、この色なら芽吹く草をあしらったようなものが映えるよって孟徳さんが教えてくれたんですよ。……ほら」

両手を肩まで上げその場でくるりと廻る花は、まるですべてを若草色の薄衣に包まれている天女のように見えた。思わず見とれて言葉を失った文若だったが、その薄い緑色の向こうに自分以外の姿が見えたような気がして、はっと我に返ると途端に表情を険しくし、一歩前に足を進めると腕を伸ばして廻る花の手を掴んだ。