いろあはせ

(1)

「…っき……っ!」

振り返った花は息を詰め、見る見るうちに顔を真っ赤にすると襟を慌てて重ね合わせて叫んだ。

「なっ、なんでいきなり入ってきちゃうんですかっ? もーっ! 出てってくださいっ!」

するとこちらも慌てて花に背を向けた文若が、心持ち赤くなった額を押さえて眉間をぴくりと震わせた。

「そっ、そもそもお前が私を呼んだのだろうっ! そこで訪ねてきたところで悲鳴が聞こえたら、何かあったかと思うのは当然だっ!」

「帯が足に絡まっちゃって驚いただけですっ! それに悲鳴っていうほど大きな声で叫んでないですよっ!」

「扉の向こうの回廊にまで響いたのだぞ! 十分すぎるほどの大声ではないか!」

恐らくこの怒鳴り合いも回廊中に聞こえているのだろうが、お互いに負けを認めない二人は「急に入ってくる文若さんが悪いんですっ!」「お前がうかつなのがいかんのだ!」と延々と言い合いを続け、興味深そうに集まってきていた野次馬達のほうが先に根を上げ散ってからようやく、文若が深いため息をついて言葉を切った。

「不毛過ぎるな。わかった、もう私が悪かったということでよい」

「え?」

「子供の癇癪を受け流せず、一緒になって騒いでしまったことを恥じているだけだ」

「なっ、なんですかその言い方…」

口を尖らせて片眉をつり上げた花のほうを振り返った文若は、眉間にしわを寄せたまま目を細め口を開いた。

「言い方が気に入らんのか? ならば言わせてもらうが、お前の身を案じての行動をあのように悪し様に言われたのだぞ? 腹を立てても致し方なかろう」

言ってくるりときびすを返した文若は、唖然とした表情を浮かべる花をそのままに部屋を出て行こうとした。そこで花は慌てて駆け寄ろうとしたのだが、きちんと身につけていない着物の裾を踏みそうになって立ち止まってしまった。その一瞬の遅れの所為で文若を引き止めることが出来ず、彼は「邪魔をして悪かった。では失礼する!」と吐き捨てるように言い残して出て行ってしまった。

「文若さんっ!」

花の呼ぶ声が微かに聞こえたが、文若はそれを無視し足早に執務室に戻ると、苦々しげな表情を浮かべたまま椅子にどかりと腰を下ろして卓の上に肘をついた。

「なんなのだ、まったく! 茶を共にするのを断った挙げ句、人を己の部屋まで呼び出しておきながら、今度は入ってくるなだと? 理解できん!」

身体を少し斜めにし卓についた肘に体重をかけるような姿勢で文句を言ってから、文若は急に口をつぐむと床の一点を見つめてゆっくりと嘆息した。

「……まったく理解できん。なぜ私は、こんなにいらついているのだ」

彼女の言動が変わっているのは、別にいまに始まったことではない。そして文若に対し、いささか生意気な口をきくのもいつものことである。 出会ったばかりの頃は確かにそれが鼻について仕方がなかったが、紆余曲折を経て想い想われる間柄になったいまとなっては、気になるどころかむしろそんなところも愛おしいと思ってしまうようになったのだから、恋は盲目とはよく言ったものだ。

ところが今日に限って、花の言動がやけに気に入らないのは何故なのか。反抗してくるその態度に腹が立つのは、いったい何故なのだろう。 文若は己の眉間を指で摘んでゆっくりと目を閉じると、もう一度深いため息をついた。こんなふうに自分の感情が理解できなくなるのは、花のことが絡んだ時ばかりだ。

少し頭を冷やそうと文若が軽く腰を浮かしたところで、執務室の扉がかたりと音を立てた。ゆるりと目を開けた文若は扉の方へ視線を向けたが、そこは開けられる様子はなく、代わりに先ほどとは打って変わった弱々しい花の声がぼそぼそと聞こえてきた。

「あの…文若さん。います……よね?」

しばらく無言で扉を睨んでいた文若だったが、やがて小さく肩をすくめると口を開いた。

「……なにか用か?」

声をかけると扉の向こうの花の気配がぴくりと反応するのが伝わってきて、文若は怪訝そうに眉をひそめた。

「入って……いいですか?」

か細く震える花の声に、文若はまたしばらく無言を返した。しかしいつまでもこのままでいるわけにもいかないので、小さく肩を落とすとゆっくりと立ち上がって扉の前に歩み寄った。そして把手に手をかけ扉を開けると、うつむいている花を見おろしぽつりと言った。

「用事があるならさっさと入れ」

すると花は慌てて顔を上げて文若を見上げると、嬉しそうな笑顔を浮かべて文若の横をすり抜けて執務室の中に入った。そして扉を閉めて戻ってきた文若に向き直ると、ぺこりと頭を下げた。