「ん、なに? 俺に答えられることなら、なんでもいいよ」
うなずいて目を細めた孟徳を上目遣いに見ていた花は、一瞬視線を卓の上に落とした。だがすぐに孟徳を真っ直ぐ見ながらゆっくりと口を開いた。
「孟徳さんは、たとえば不安になったりとか、後悔したりとか…そういう時どうしますか? 色々考えすぎてどうしたらいいかわからなくなったら、どうやって解消していますか?」
思いがけない花の問いに、孟徳は軽く口を開けたまましばらく無言だった。
やがて口元に笑みを浮かべたかと思うと、すっと眼を細めて花を見つめた。
「それって、つまり花ちゃんは後悔してるってことかな? 俺たちの元に留まって、玄徳たちのところへ帰らなかったこと」
すると花は躊躇うことなく首をゆっくりと振ったので、孟徳は満足げに微笑んでから軽くうなずいた。
「そう、それなら良かった」
「……」
「だって、もし君が後悔してるって言ったら、俺は文若を処断しなきゃならなかったからね」
「そんなっ!」
焦って顔を上げる花の様子に、孟徳は軽く目を見開いてから口元に笑みを浮かべた。
「でも俺の見たところ、君はあいつのせいで悩んでいるんじゃないの? だから、そんな質問をしたんだと思うんだけど」
ずばりと言い当てられて言葉を失った花は、浮かせた腰をゆっくりと椅子に戻した。
すると孟徳は頭を垂れた少女をしばらく見つめ、やがて肩をすくめると息を吐いた。
「反論しないってことは、やっぱり文若が原因で悩んでるってことか。この頃のあいつは、君の優しさに甘えて少々調子に乗っていたからねぇ。挙げ句に、肝心の花ちゃんを悩ませるなんて、やっぱりあいつは厳重に処罰した方が……」
「違うんです、違います! 文若さんは全然悪くなくて…いつだってわたしのことを考えてくれて、大事にしてくれて…だからわたし、感謝しなくちゃいけないんです。すごくありがたいことなんだから喜ばないと……」
立ち上がって必死に訴える花を、孟徳は無表情で見上げた。そして困ったように苦笑して立ち上がると、興奮して拳を震わせる花の頭を軽く叩いた。
「ごめん、冗談だよ。そんなことであいつを罰するほど、俺も酔狂じゃないから。けど……今の花ちゃんの考えは、少し違うんじゃないかなぁ」
「……え?」
くしゃりと髪をかき混ぜられてくすぐったさに肩をすくめた花は、優しく頭を撫でている孟徳を上目遣いに見上げた。
「私の考え……おかしいですか?」
「そうだね。感謝とか嬉しいって感情は、もっと自然に出てくるもののはずだよ。だから『しなくちゃいけない』って思い込もうとするのは、自分に無理をさせてるってことだと俺は思う」
「自分に……無理、を」
孟徳の言葉を反芻する花に微笑んだ孟徳は、彼女の頭から手を離すとそのまま肩をポンッと叩いた。
「ねぇ、花ちゃん。俺はね、自分のこれまでの生き方で不安になったことはないし、後悔もしたことはほとんどない。どうしてか、わかるかい?」
素直に首を振る花を改めて座らせた孟徳は、彼女の手を取って目の前にしゃがむと、少女の顔を覗きこみながら真顔を浮かべた。
「俺はいついかなるときも、その時に自分に出来る精一杯で成すべきことをしているからだよ。人間の寿命というのは、残酷なほど平等で公平だ。どれだけ金持ちだろうと貧乏人だろうと、善人だろうと極悪人だろうと、一度生まれたからには絶対に死ぬしその運命から逃れることはできない。だったらその寿命の中でどれだけ自分らしく生きるかを模索するほうがずっと楽しい。だから不安になったり後悔する時間が、俺はとても惜しい」
孟徳の言葉に花は思わず息を飲んだ。そんな彼女に孟徳は、ほんのすこし表情を和らげてみせた。
「文若と一緒に生きるって決めたのは、君の意思だったんじゃないの? だったら自分を信じて、迷わずに前を向いて生きてごらん。こんなところで不安になったり、自分の意志を押し殺しているなんてもったいないって、きっと思えるはずだから」
「孟徳さん……」
いつも軽口を言ってきたり文若をからかったりするだけのように思っていた孟徳だったが、やはり彼は大きくて強い存在なのだと、花は今更ながらに思い知った。
そうして改めて孟徳に視線を向けた花は、ようやく心からの笑みを彼に見せた。
「ありがとうございます。私、文若さんにきちんとお話してきます」
「うん、やっと君らしい笑顔になった」
にこりと笑って立ち上がった孟徳は握っていた花の手を引くと彼女を立たせ、一瞬名残惜しげな素振りを見せてからゆっくりと手を離した。
「それじゃあ、もうひとりぼっちの休憩はおしまい。……早く行っておいで」
「はいっ!」
大きくうなずいてから軽やかな足取りで小さくなっていく少女の姿を見送ると、孟徳はゆっくりと腕を組みながら肩を落とした。
「……そんなところで立ち聞きしても、全然面白くなかっただろ?」
誰にともなくそう言って肩越しに振り返ると、東屋の柱の後ろから大きな影が姿を現した。
「いいや。的確で要領を得た助言をするおまえなんぞ、これ以上ない珍しい余興だった」
言って口元に笑みを浮かべながら歩み寄ってくる元譲に、孟徳は眉間にしわを寄せて忌々しげに鼻を鳴らした。
「ふん、言っていろよ」
不貞腐れたように零してふたたび東屋の椅子に腰を下ろした孟徳は、卓の上に上体を投げ出しすと右の頬をひやりとする卓上に押し付けて横を向いた。
「まったくなぁ……まさかこの俺が、敵に塩を送るようなハメになるとは」
「そもそも敵にすらなっていなかっただろう。なにせおまえが本格的に構いだした時には、すでに花は文若のことしか見ていなかったのだからな」
「……傷口に塩を塗り込むようなことをさらっと言うな」
ぼやいて盛大なため息をついた孟徳だったが、やがて何を思い出したのかククッと笑いながら肩を震わせた。
「それにしても……花ちゃんにまでクギを刺されるとは思わなかった」
「ん?」
「文若と同じようなこと、言うんだもんなぁ……想い合ってると似てくるのか、似てるから惹かれ合ったのか…どっちなんだろうな」
「孟徳? なにか言ったか?」
「……いいや」と答えた孟徳は、続けて「本当に、最初から勝負はついていたのかも……」と小さくぼやいたが、すぐにそんなことを元譲の前では口が裂けても言うものか、と決意を固めて大きく息を吐いた。