虹色恋模様

(7)

書簡を届け終わった花はすぐには執務室に戻らず、ぼんやりと中庭を歩いていた。

やがて目の前に東屋が見えてくると、吸い寄せられるように足を運んで中に入り、石の座椅子に腰を下ろして肩を落とした。

「……なにしてるんだろ、私。早く戻って、文若さんのお手伝いしなきゃいけないのに…」

頭ではそう考えているし、実際に口にすることで再確認しているのだが、どうしても身体が動かない。

なんとか立ち上がろうとするのだが、まるで尻に接着剤でもつけられたかのように腰が上がらないし、足も動こうとしない。

「文若さんに会いたいって思ったのに…なんで……?」

自分の理性と身体のちぐはぐさが悲しくて、花はまた鼻の奥がつんとするのを感じると、それを誤摩化すように何度も首を振った。

すると突然、振っていた頭が背後から伸びてきた両手でがっちりと押さえられ、花は驚いてひゅっと喉を鳴らした。

「だめだめ。そんなに振ったら、首がもげちゃうよ」

楽しげな声音で言った人物は、花の頭に両手を添えたまま彼女の上からにゅと顔をのぞかせて笑いかけた。

「孟徳さん!?」

「こんなところでどうしたの? 休憩時間にはまだ少し早いようだけど、どこか具合でも悪くなっちゃったかな」

頭の天辺から覗き込んでくる孟徳を仰ぎ見た花は困ったように目を泳がせたが、すぐに上目遣いに彼を見上げ直して口を開いた。

「届け物の帰りに、ちょっと休んでいただけですよ。孟徳さんこそ、こんな時間にどうしたんですか?」

「俺? 俺は仕事の効率化と活性化を促進するために、自主的に精神を安定させるために運動してるとこ」

したり顔で言いながら花の頭から手を離した孟徳は、彼女の前に回り込むと向き合った椅子に腰を下ろした。

「……それって、つまりお仕事をサボってうろうろしている、ってことですよね?」

「んー、そうとも言うかな?」

しれっと悪びれたふうもなく言った孟徳は、呆れた表情を浮かべる花に顔を近づけてにこりと笑った。

「でも、君も似たようなものだよね? なので、今から俺も息抜きに付き合うことにしよう」

「ええっ! なに言ってるんですか!」

先ほどまでどうやっても上がらなかった腰が驚きで軽く浮いたのにも気づかずに、花は孟徳の方へ身を乗り出した。

「駄目ですよ、そんなの。孟徳さんには、やらなきゃいけないお仕事がたくさんあるんですから!」

孟徳がサボればそのツケは文若に廻ってくる。これ以上文若に負担をかけるわけにはいかないと、花は腰に手を当てて軽く眉を怒らせた。

「私はちょっと休んでいただけですから、本当に気にしないでお仕事に戻ってください」

「えー、せっかく二人きりなんだから、もう少しお付き合いさせて欲しいなぁ」

「駄目です。だいたい孟徳さんは私に甘過ぎますよ。今までお世話になった恩も忘れてませんし、感謝もしています。でも、もう私はなんとかやっていけますから、これからは必要以上にかまったりしないでください」

言って頬を膨らませた花を、孟徳は驚いたように目を見開いてまじまじと見つめていたが、やがて相好を崩すと肩を震わせて笑い出した。

「え? な、なんですか?」

思いがけない反応に焦った花が頬を凹ませると、孟徳は目元の涙を指で拭いてからくくっと忍び笑いを漏らしつつ顔を上げた。

「ごめんごめん、なんでもないよ。ただ、ずいぶんと勇ましくなったなぁって思っただけ」

「……からかってます?」

「まさか。大真面目に言ってる」

にこにこと笑いながら顎を撫でる孟徳に、花は疑わしげな上目遣いをしてみせた。すると孟徳は軽く肩をすくめ、花の方へすいっと身を乗り出してみせた。

「政務っていう仕事なら、あとでちゃんとやるって。今は、寂しがってる女の子を慰めてあげるっていう、大事な仕事が目の前にあるからね」

虚をつかれた花が息を飲むと孟徳は満足げにうなずき、東屋の卓の上に両肘を乗せて頬杖をついた。

「それじゃあ、お仕事を開始するよ。まるで世界が終わるみたいな険しい顔してた理由、俺に聞かせてくれるかな?」

「……う」

身を引いた花は促すような笑顔を浮かべる孟徳をまじまじと見つめ、それからゆっくり視線を地面に落とした。

「どうしたの? 話せないような重要なことがあったのかな?」

「ありません。そんな、たいした理由じゃないです…」

「そんなことないと思うけどなぁ。現に君はいつもの可愛い笑顔をちっとも見せてくれないじゃないか。それってたいしたことないどころか、実に由々しき事態だと俺は思うけどね」

言いながら眉間にしわを寄せる孟徳の表情に、花は思わず苦笑してしまった。

「孟徳さんってば…大げさですよ」

くすりと軽く笑ってから花は、軽く下唇を噛みしめた。そして孟徳が黙って見つめている前で改めて顔を上げ、すっかり聞く姿勢になっている孟徳を伺うように首を傾げた。

「あの…ひとつ、訊いてもいいですか?」