そうして翌日。
昼過ぎまでいつものように文若の仕事を手伝って過ごした花は、午後になると自室に戻り引っ越しのための片付けを始めた。
昨夜文若を見送ってから部屋の中を見回したときはそれほど荷物はないと思っていたのだが、いざ片付けを初めてみると意外にも手間取ることがわかった。
なにも持たずにこちらの世界に来たはずだったが、決して短くはない生活をしているうちにこまごまとした持ち物が増えていたのだ。
だがそのほとんどは孟徳が贈ってくれた豪華なもので、質素な文若の邸にはおよそ不釣り合いな品々ばかりだったので、それらはすべて宮中に置いていくことにした。
それにいくら上司とはいえ他の男からもらった贈り物を新居に持ち込むのは、文若に対して申し訳ないとも思ったからだ。
「孟徳さんには悪いけど……あとでちゃんと謝っておかなくちゃ」
しょげる孟徳の様子を想像して申し訳無さげに苦笑した花は、最小限の身の回りの物をまとめて竹の籠の中に丁寧に収めた。
そしてそれを風呂敷状の布でくるむと両手で抱え、ふたたび文若の執務室へと戻ろうと扉へ向かったところで、外から聞こえた文若の声にピンと背筋を伸ばした。
「花、片付けはすすんでいるか?」
「あ、はいっ! もう終わったので、いまから執務室へ戻ろうと思って……」
「そうか。ずいぶんと早か……」
言いながら扉を開けた文若は竹の籠を胸の前に抱えている花の様子に目を見張り、ついで眉をひそめて彼女の手から竹の籠を取り上げた。
「このようなものを抱えていたら危ないではないか。貸せ、私が持っていく」
「そんな大丈夫ですよ。ちょっと大きめですけど、中身はそんなに入っていないから軽いし……」
竹の籠を取り上げて歩き出した文若を、花は慌てて追いかけながら彼の横顔を見上げた。しかし文若は花に合わせて歩く速度を落としたものの、籠を渡そうとはしなかった。
「重さの問題ではない。おまえの背丈では視界が遮られて危険だと言っているのだ。それでなくとも、おまえは平らな道でよく転ぶではないか」
「そ、それは、でこぼこの石畳の道に慣れてなかっただけです。私の家の周りはコンクリートとかアスファルトで舗装されてたから、ああいう道ってあまり歩いたことがなくて……」
「こんくりぃと? あすぅはるうと?」
怪訝そうな声を漏らしながらも籠を抱えて歩く文若に、花は諦めたように微笑んで小首を傾げた。
「ええと、道とか建物の壁を作る素材っていうか…私の世界では、街中の道はだいたいコンクリートっていうので舗装されていたんですよ。固くて凸凹がほとんどなくて、雨が降っても柔らかくならないのですごく歩きやすかったんです」
花の説明に目線を天に向けていた文若は、ようやく彼女の方へ顔を向けて「ふむ…」と小さく声を漏らした。
「雨を吸わぬ地面か……おまえの世界には便利な物があるのだな」
「でも雨を吸わないと困ることもありましたよ。コンクリートから流れた雨が川に一斉に流れ込んで、増水して町中水浸しになったってニュース…ええと、報告があることもあったし…」
「なるほど。その辺は、我が国の川辺の村落と同じだな」
「そのくせ太陽の光は吸収しちゃうから、夏なんかは地面がすごく熱くなって照り返しで熱中症…具合が悪くなる人が大勢出ることもありました。だから、便利なだけってわけじゃなかったです」
「どのように便利な道具であろうとも、使い方次第でいかようにも変化するということだ。長所と短所は、常に表裏一体ということだな」
感心したように呟きうなずく文若の隣で、花もまたしたり顔で「そうですね…表裏一体です」と文若の言葉を反芻してうなずいてみせた。
そのまま二人で中庭を突っ切ると、城門の前で馬の手綱を持って待っていた従者が門番との談笑を止めると、慌てて二人の方へ駆け寄ってきた。
「文若様! そのような荷物をお運びになるなら、先に私をお呼びください!」
「いや、それには及ばなかったのでな。見かけは確かに大きいが、さほどの重量はない」
言って従者に竹籠を渡すと、確かに見た目ほど重さがなかったことに気づいた青年は目を見張ったが、すぐにまた呆れたようにため息をついてから籠を抱えて歩き出した。
「確かに重さはありませんね。ですがこのような物を両手で抱えていたのでは、足下がまるで見えなくて危ないじゃありませんか。それでなくとも文若様は、書簡を読んだままお歩きになって、うっかり転びそうになることが時々あるんですから」
その青年の言葉を聞いた花は、思わず吹き出してから慌てて口元を押さえた。すると従者の青年は歩きながら振り返り、眉根を寄せる文若をちらと見てから花に目を向けた。
「あのう…私は、なにかおかしなことを言いましたか?」
「ううん、違うんです。ただ、さっき文若さんに同じことを言われたなぁって思って…」
「んっ、ごほん! 花、よけいなことは言わなくてよい」
きまり悪げに眉間にしわを寄せて咳払いをする文若の様子に、花は軽く肩をすくめると従者の青年に苦笑してみせた。
その態度に青年も察したのか、軽く口角を上げてから何事もなかったように前に向き直った。
城門の番人に預けた手綱を文若が受け取る隣で、青年は馬の背中に花の荷物が入った竹籠を器用にくくりつけた。
そして文若、ついで花が馬に乗るのを手伝うと、改めて手綱を握って歩き出した。