花と正式に婚儀をあげると荀文若に伝えられ、曹孟徳と夏候元譲は最初こそ同じように大きく目を見開いたが、その後は実に対照的な態度を見せた。元譲が「そうか…」と感慨深げな表情でうなずく横で、孟徳は肩を落とすと口を尖らせた。
「あーあ、これで花ちゃんもいよいよ人妻かぁ……寂しいなぁ。ああ、でもっ! それはそれでなかなかに美味しい立場…」
「丞相……」
「孟徳! またおまえはっ!」
自分の言葉に目を輝かせ始めた孟徳に、文若と元譲は同時に渋面を浮かべ声を揃えて怒鳴った。
すると孟徳は眉間を軽くひそめ「やれやれ、冗談に決まってるだろ。まったくおまえ達は、俺の家臣なら主の軽口くらいはいい加減理解しろよ…」とぼやき、それを聞いた文若が呆れたように肩を落とす前で、元譲が苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべた。
「おまえの冗談や軽口は、いつもその場で終わらんから質が悪いんだ!」
「その都度、片棒を担がされる俺の身にもなってみろ! だいたい、いつだっておまえはだな…」と孟徳に詰め寄る元譲をちらと見てから文若は、眉間のしわを軽く押さえてから改めて顔を上げ、鬱陶しそうに手で耳を抑えて元譲の口角泡を飛ばす攻撃を無視している孟徳に目を向けて口を開いた。
「確かに彼女とのことについては元譲殿のおっしゃる通り、丞相の度の過ぎるお戯れにいつも振り回されておりました。その都度、多大なる迷惑を被ったのも事実です。しかし幸か不幸か、それをきっかけにこたびの婚儀を具体化する心づもりができました。ですから誠に痛恨の極みではありますが、改めて丞相のこれまでのご配慮に感謝申し上げます」
言って深々と拝礼する文若を息を詰めて見つめた孟徳は恐る恐る耳に当てていた手を降ろすと、同じように不意をつかれて口をつぐんだ元譲をゆっくり振り返った。
「おい、聞いたか? 文若が俺の配慮に感謝するって……まさか、まだあの薬がおかしな方向に効いてるんじゃ…」
「落ち着け。言い方は丁寧だが、端々に嫌み満載なところを聞けば、間違いなく文若は正気だ」
「そ、そうか。よかった……また花ちゃんに怒られるんじゃないかって、肝が冷えたよ」
あからさまに安堵する孟徳の前で、文若はわざとらしいほどゆっくり顔を上げると主を見上げ、細い目を更に細めて口元に微かな笑みを浮かべたので、孟徳と元譲は再び息を飲んだ。
「ですが今後、花は正式に私の妻となります。そうなれば丞相にいらぬお気遣いをいただく心配もなくなりましょう。ですので今後は一切っ! 私と彼女へのご配慮、お気遣いは無用のものとしていただきたく存じますっ! それではっ、これにてっ!」
一切の反論を認めぬと言わんばかりに語気を荒げて宣誓した文若は、ふたたび拝礼をしてからくるりときびすを返した。
本来ならば拝礼をしたまま後ろに下がるのが筋なのだが、文若は敢えて孟徳達に背中を見せると姿勢を正したまま大股で歩き去っていった。
その様子にただただ無言だった孟徳と元譲だったが、やがて孟徳はふっと相好を崩すと口元に拳を当ててくくっと声を漏らした。
「くっ、くっく……あの文若が、ああまできっぱりと俺に指図するとはね。ずいぶんと偉くなったもんだ」
やがて元譲も眉尻を下げて頭を掻き、隣で笑う孟徳をちらと盗み見た。
「おまえがからかいすぎるからだろうが。まぁ……それだけ花のことが大事なんだろう」
すると孟徳は笑いを収め、肩をすくめて口をとがらせた。
「当たり前だ、大事にしてもらわなきゃ割にあわない。なにせ俺が拾ってきて可愛がろうと思ってたあの子を、あいつは横からまんまと攫っちまったんだぞ。そういうことまったく興味なさそうな顔してたくせに、あの細目め……あ、なんか腹立ってきた」
言ってみるみるうちに凶悪そうな表情になる孟徳に、元譲はぎょっとして口を開いた。
「おい、孟徳! おまえあれだけ釘を刺された側から、また妙なことを考えておるのではないだろうな?」
「さぁて……どうしようかなー?」
「またおまえはっ! いいか、またいらぬちょっかいを出してみろ。文若はもとより、今度はさすがにあの娘も黙ってはおらんぞ!」
元譲に怒気を含んだ言葉に、孟徳はみるみる表情を崩すと肩をがくりと落として深いため息をついた。
「そうなんだよなぁ。あの薬の件で花ちゃんけっこうお冠だったから、これ以上なにかして更に嫌われたくないし…」
「そう思うなら、以降は自重するんだな。その分、仕事に力を注げ」
ふんっと鼻を鳴らして腕を組む元譲を、孟徳は恨めしげに睨んでから天井を見上げた。
「あーあ……花ちゃんってば、なんで文若なんかに惚れちゃったんだろう。あんな面白みの欠片もない男より、俺のほうがうんといい男なのに……。そう思わないか、元譲?」
「いいや。それに関しては、俺は花の判断力を高く評価する」
さらりと言ってきびすを返した腹心の偉丈夫の背中を、孟徳は頬杖をついた姿勢のまま見送って心底つまらなそうに深いため息をついた。