心の置き場所

(8)

腕にすがりついている小さな手に己の指を絡ませて、文若は花の柔らかい唇をそっと食んだ。啄んだ唇は瑞々しく震えて応え、舌を差し入れると同じそれを懸命に絡ませてきた。

しばらくただ夢中で互いの唇を求め合ってから、文若が名残惜しげに顔を離した。そして微かに息を荒げる花の上気した頬に口を寄せると、肩をすくめる少女の耳元で熱い息を吐いた。

「花……私のものになってくれ。誰にも渡したくない……渡せるものか。お前のすべてを私だけのものにできるのならば……私は喜んで咎人となろう」

文若の声と吐息を耳から注がれ、花はぶるりと身震いをして文若にしがみついた。身体の芯から沸き上がった熱が少しずつ全身に広がっていくようで、花はたまらずに切なげな吐息を漏らした。

「……文若さ、ん…っ」

その声に応えるように文若は、改めて花の唇を丹念に吸い上げた。そしてゆっくり彼女の身体を寝台の上に横たえると、白い喉元に手を伸ばしながらその身体を隠すように覆い被さろうとした……まさにその時。

大げさな咳払いが扉の向こうから響いてきて、文若も花も同時にびくりと肩を震わせて振り返った。そして扉の方へ揃って目を向け、口元に薄い笑みを浮かべる人物の姿に目を剥いて叫んだ。

「じ、丞相っ!」

「もっ、孟徳さんっ!?」

「うん。実に見事に合っている」

楽しげに笑った孟徳は、顔を真っ赤にして文若の後ろに隠れる花をちらと見てから、彼女を庇うようにして自分の前に立ちふさがる文若に視線を移した。

「もう少し悶々としているかと思ったんだが……案外こらえ性がないんだな、文若?」

「………」

孟徳の言葉に軽く唇を噛んだ文若だったが、やがて観念したようにゆっくり頭を垂れると孟徳の前にひざまずいた。

「……いかような処分も受ける覚悟でおります。ですが、彼女は私に無理矢理従わせられただけで、なんの罪もございません。どうか、裁くならば私のみご裁可くださいますよう…」

「ぶ、文若さん! なにを言って…」

叫んだ花は文若が制止するのも聞かずに彼の前に廻ると、その場にぺたんと座り込んで深々と頭を下げた。

「孟徳さん、ごめんなさいっ! 孟徳さんが私のことを心配してくれるのはすごく嬉しいし、ありがたいことだって思ってます。でも私、やっぱり文若さんが好きなんです! 文若さんと一緒にいたいんですっ! だから…だから文若さんを罰するなら、私も一緒にっ…」

そう言って肩を震わせる花を見つめた文若は、その肩にそっと手を伸ばした。そして庇うように抱き寄せると、そのままさらに頭を下げた。

「丞相……私はいままで、あなたに何かを願ったことはありません。あなたはこの漢を立て直す力を持った方で、それを支えるのが私の役目であり願いだったからです。だからなにも望んだりはしなかった……する必要がなかった。ですが……」

ゆっくりと顔を上げた文若は花の肩に回した手指に力を込め、絶対に離すまいと言わんばかりの強い瞳で孟徳を睨みあげた。

「彼女だけは……花だけは、誰にも渡すまいと決めたのです。彼女とともに生きること、それが私の望みであり願いである以上、たとえ相手が丞相、あなただとしても……渡すわけにはまいりません」

固く手を取り合って見つめてくる文若と花を、冷ややかな表情で交互に観察していた孟徳だったが、やがてふっと視線を外すときびすを返して文机の前に歩み寄り、またくるりと振り返って椅子にすとんと腰を下ろした。

「あのさ……たいそうな力説をお聞かせいただいたわけだが。お前達、なんか勘違いしていないか?」

そう言って孟徳は足を組むと、両手の指を絡めて膝を押さえた。

「花ちゃん、俺は君に言ったよね? 俺のところへ来ない?って」

「……は、はいっ。でも、だから、あのっ…」

言って身を乗り出そうとした花を手で制し、孟徳は文若に目を向けた。

「なぁ文若。俺のところへ来ないか?とは言ったが……後宮に入れなんて、俺はひと言も言っていないぞ」

「………は?」

唖然とした表情を浮かべる文若に薄く笑ってみせた孟徳は、再び花に向き直ってにこっと笑った。

「それじゃ、改めて聞くよ。花ちゃん、俺のところへ来ない? 俺の娘に…なってみる気はないかな?」