耳に残るは君の歌声

(2)

「……ヒュウガさん?」

黙り込んでしまったヒュウガの耳に、アンジェリークの不安そうな声が響いた。驚いて顔を上げた彼は、眉を寄せて心配そうな表情を浮かべるアンジェリークの姿を認め、ばつが悪そうに小さく咳払いをした。

「すまない。……少し考え事をしていた、ので」

そう言ってから改めてアンジェリークに向き直ると、ヒュウガは口元にかすかな笑みを浮かべてみせた。

「貴女の言ったことを考えていたのだ。帰るべき場所があること。帰れる家があること……それは俺にとって、いつの間にか自然なことになっていたから、特別に意識してはいなかった。だが……そんなことさえ、以前の俺からすれば考えられなかったことだったのだ」

「……」

「貴女が聞いてくれなければ、俺はこれからも無為に日々を過ごしていたことだろう。気づかせてくれたことに礼を言う、アンジェリーク」

そして深々と頭を下げるヒュウガの態度に、アンジェリークは困ったような笑みを浮かべながら、慌てて彼の側に駆け寄った。

「もぉ、ヒュウガさんったら! そんな、私は特別なことを言ったわけじゃないんですから、頭なんて下げないでください」

彼女の言葉にわずかに姿勢を起こしたヒュウガの顔をのぞき込み、アンジェリークは笑った。

「ヒュウガさんは変わってないです。初めて会った時から、真面目でまっすぐで、強くて優しくて……ただ、気がついただけなんだと思います。ヒュウガさんにも、ちゃんと大事な場所があったってことに……」

「……そうだな」

触れたら消えてしまいそうな、こんな小さな少女から教え諭されたというのに、そのことがまるで不快ではないことが不思議だった。アンジェリークの言葉は、彼女の口ずさむ歌と同じように、ヒュウガの耳に心地よく、胸の奥に溶けていった。

やがてヒュウガはゆったりと微笑むと、もう一度アンジェリークに向かって会釈をした。

「ヒュウガさん?」

「貴女は大げさだと思うかもしれないが、やはりきちんと言わせてくれ。貴女の歌声が、俺に大事なものの存在を教えてくれた……ありがとう」

生真面目にそういうヒュウガの様子に、アンジェリークは一瞬ためらった。だが、やがて諦めたように小さく息を吐き出すと、彼に合わせてぺこりと頭を下げた。

「……アンジェリーク?」

怪訝そうに目を細めるヒュウガに向かって、アンジェリークはにこっと笑った。

「私もお礼を言わせてください。ヒュウガさん、私の大事な場所になってくれて、本当にありがとうございます」

少女の言葉に、とまどうような表情を浮かべるヒュウガに向かって「これでおあいこですね」と言いながら微笑んだアンジェリークは、くるりときびすを返して歩き出した。

「それじゃあ早く帰りましょう、ヒュウガさん。私たちの、大切なお家へ……」

つぶやくと彼女は、再び歌を歌い始めた。その背中を黙って見ていたヒュウガもまた、まぶしそうに目を細めて微笑むと、彼女の後からゆっくりと歩き始めた。

「アンジェリーク。もう一つ、聞きたいことがあるのだが」

「なんですか?」

振り返らずに答える彼女の隣に、ヒュウガは早足で追いつくと、前を向いたままで口を開いた。

「その歌は有名な曲なのか? 以前、庭園の手入れをしていたときにジェイドが口ずさんでいた歌と、旋律がよく似ているのだが……」

「!!」

彼のまったく悪気のないひと言に、アンジェリークの肩がピクリと反応した。

だがヒュウガは、ちょうど視界に入ってきた陽だまり邸に気を取られていたし、なによりも辺りが夕焼けに染まってきたこともあって、彼女の頬が桜色に変わったことにはまったく気がつかなかった。