スクランブル★Egg

(2)

レインの朝は遅い。

それはいつものことで、だから彼が、昼の2時を廻ってようやく、欠伸をかみ殺しつつサルーンに降りてきたところで、驚く者はもういなくなっている。だが階段を降りきったところで大きく伸びをしたレインは、なにげなく視線をソファに向けたところで、今度は自分がぎょっとして数歩後ずさった。

ソファにおとなしく腰かけ、じーーっと自分を観察している『それ』から視線を外さずにいたレインは、ちょうどキッチンから出てきたニクスの「おや。いまごろお目覚めですか、レインくん」というさりげないイヤミを無視して呟いた。

「……あんたの子か?」

するとニクスはソファに腰かけ、持ってきた焼き立てのクッキーを乗せた皿をそっとテーブルの上に置いた。そして嬉しそうに手を伸ばす『それ』に笑顔を見せると、顔を上げてレインに向き直った。

「これは嬉しいことを言ってくれますね。なるほどレインくんには、こちらの小さなマドモアゼルがアンジェリークと私に似て見えると」

「……アンジェリークはともかく、あんたに似てるわけないだろう」

イヤミを返したつもりだったのにそれを逆手にとられ、レインは憮然とした表情を浮かべた。そして少女が美味しそうにクッキーをほお張る様子を観察しつつ、恐る恐るその隣に座ったが、彼女の背中に目を向けた途端、また目を見開いて肩をびくりと震わせた。

「な、なんだこいつ!? 羽根が生えてるぞっ!」

叫ぶその声に合わせてぱたぱたと動く小さな翼に、二度驚いているレインの様子に、ニクスは楽しそうな笑みを浮かべた。

「彼女は天使ですから、羽根があっても当然でしょう」

「はぁ? なに言ってんだ?」

にこやかな表情で非現実的なことをのたまうニクスに対し、レインはまたも怪訝そうに眉をひそめた。

「オレが寝てる間に、いったいなにがあったんだよ!」

「実は……と種明かしをしたいところですが、残念ながら私にもまったくわからないのです。この子がアンジェリークである、という以外はね」

「ちょっと待て」

目を閉じて眉間にしわを寄せていたレインが、ニクスの言葉を遮るように右手を挙げた。

「この羽根つきがアンジェリークだって? 馬鹿なこと言うな!」

クッキーを両手に持ってかじったまま、きょとんとした表情でレインを見上げている少女をちらっと見おろし、レインは大きなため息をついた。

「この子がアンジェリークの血縁というなら、まぁ認める。似てるところがけっこうあるしな。だが、どこをどうしたら彼女がこんな姿になるって言うんだ? 科学的に説明がつかない」

「ええ、確かに。ですが彼女は『女王の卵』ですから、我々には考えもつかない神秘の力の影響を受けたのかもしれません」

「そんな馬鹿な。いくらあいつが変わってたって、どこの世界に好き好んで子供になる女王がいるんだよ。しかも羽根つきだぜ?」

呆れたように肩をすくめるとレインは、本物かどうか確かめようと、少女の背に生える白い羽に手を伸ばした。するとそれまで夢中でクッキーをほお張っていた少女は、不意に弾かれたように顔を上げると、レインの手を跳ねのけ、ぽんと勢いをつけて床に飛び降りた。そして小さな足でぱたぱたと駆け出すと、廊下の影から姿を現した青年の胸元に飛び込むように抱きついた。

「うわっ! と、飛べるのか!?」

驚いて叫ぶレインとは対照的に、飛びつかれたジェイドの方はたいして驚いた風もなく、小さな身体をいとも簡単に抱き上げると、彼にしがみつく少女の様子に目を細めた。

「アンジェ、もうクッキーは食べ終わったのかい?」

「あいっ!」

「そう。あまり食べ過ぎるとお腹を壊してしまうから、今日はこれでおしまいにしようね」

ジェイドの言葉に少女はこっくりとうなずくと、小さな両手を口元に当て可愛らしい欠伸をしてみせた。

「眠くなっちゃったかな。少しお昼寝しようか?」

問われると少女はにこりと笑い、ジェイドの肩にこつんと頭を預けて目を閉じた。 その頭を撫でるように優しく叩くと、小さな少女は幸せそうな笑みを口元に浮かべたので、ジェイドもかすかに笑むとニクスとレインに視線を向けた。

「じゃあ、俺はアンジェを寝かしつけてくるね。レイン、昼食のサンドイッチはキッチンに取り分けておいたから、紅茶と一緒に食べるといいよ」

「あ、ああ、ありがとう」

反射的にうなずくレインに笑いかけると、ジェイドはアンジェリークの手をとって声をかけた。

「じゃあ二人にご挨拶をしようか。おやすみなさい、って」

「あいっ」

うなずくとアンジェリークはレインとニクスに向き直り、左手でしっかりとジェイドの襟元を握りながら、右手を左右に小さく振った。

「おやすみらさい」

「はい、おやすみなさい」

にこっと笑って手を振るニクスに笑い返すと、今度はレインの方へ向いた少女は、むうっと顔をしかめた。

「エイン、おねぼうはめーなのよ」

「え。あ、ああ、すまない」

レインが慌てて謝ると、アンジェリークは満足したらしく、またにこっと笑ってから、ジェイドにぺたりと寄りかかった。

階段を上がっていくジェイドの後ろ姿が見えなくなってから、ニクスは「さて、では私も出かけるとしましょう」と呟きながら立ち上がった。するとその背中を、レインの小さな呟きがぼそりと追いかけてきた。

「…………確かにアンジェリーク、だ」

その言葉にニクスは軽い笑みを浮かべたまま、サルーンを後にした。

 

それからなんの解決策も思いつかないまま、あっという間に二週間が過ぎた。

その間も陽だまり邸の面々は、ただ徒に日々を過ごしていたわけではなく、彼らなりに出来ることをしていた。

ニクスはウォードンタイムスの記者であるベルナールを『秘密厳守』であることを条件に呼び出して、羽根の生えた幼子が、まず間違いなくアンジェリークであるという確信を持った。

幼い頃のアンジェリークを知るベルナールは、いつもと同じように陽だまり邸を訪れ、レインの与えたアーティファクトを手にしてサルーンではしゃぐ彼女の姿を見た途端、驚きながらも躊躇うことなく「ア、アンジェリーク!?」と叫んだのだ。

それからニクスは今までの経緯を彼に話したところ、ベルナールは新聞社の資料室で、何か参考になる資料がないか探してみると約束してくれた。そして、小さかった頃のアンジェリークが好きだった食べ物や癖など、思いつく限り教えてくれたのだった。(それは実にたいそうな数で、聞きながらレインはぼそりと「まるでアンジェリークフリークだな」と呟いたほどだ)

ヒュウガは、最初はまだ自身で行くことを躊躇っていたが、古くからの伝承が眠るセレスティザムには、なんらかの手がかりがあるに違いないと皆に説得され、ついに重い腰を上げた。

幸い旧友でもあり、今は銀樹騎士団長でもあるディオンが、自身の手が空いている時は資料探しを手伝おうと請け負ってくれたので、聖都方面は二人に任されることとなった。恐らく公にはしていないが、セレスティザムの教団長もなんらかの協力をしてくれているのだろう。

そしてレインは、カルディナにある母校の図書館に暇を見つけては足を運んでいたし、ニクスもオーブハンターと篤志家の仕事をこなしつつ、手が空けば首都ウォードンの図書館を訪れていた。

もちろんジェイドも、オーブハンターとしての仕事に加えてアンジェリークの世話をしながら(彼女は誰にでもすぐに懐いたが、とりわけジェイドがお気に入りらしく、彼の行くところへはどこへでもついて行きたがった)、暇を見つけては彼女を連れ、故郷であるコズの村を訪れていた。

コズには主に龍族が暮らしている。彼らは占いや予言など、神秘的な力を使いこなすことで有名だったから、その力でもしかしたら、彼女を元に戻す手がかりが掴めないかと思ったからだ。

しかしそんな皆の努力もむなしく、今のところなんの成果も出てはおらず、相変わらずアンジェリークは小さなまま、元に戻る気配はいっこうになかった。