「……な、カリガネ。オレ、千尋になにかしたかな?」
げっそりと肩を落とすサザキをちらりと見たカリガネは、特に気にした風もなくすぐに視線を外すと、卓の上に置いていた大皿を持ち上げて片づけ始めた。
「君に心当たりがないことを、私が知っているわけがない。直接本人に聞け」
「そーできりゃしてるって!」
焦れたように足踏みをしたサザキは卓の前の椅子にどっかと腰かけ、卓の上に頬杖をついて深いため息を吐きだした。
「どー考えても嫌がらせとしか思えないんだが……けど、あの笑顔はホンモノだし。裏があるようには見えねぇんだよなぁ……」
ぼやいてからサザキは、聞いているのだかいないのだか、黙々と台所の片づけを続けるカリガネに、恨めしそうな目線を向けた。
「だいたいお前もお前だ。オレがだいっきらいだって知ってるくせしやがって、千尋がきのこと卵料理作ってても知らん顔してんだからよ」
「君が嫌いだろうがなんだろうが、きのこも卵も大事な食料だ。適切に使っているのを敢えて止める必要はないだろう」
しれっと言い切って振り返ろうともしない相棒の背中を恨めしげに見ていたサザキだったが、やがて盛大なため息をつくと、表面がひやりとする木の卓の上に突っ伏した。
「あー、どーしたらやめてくれるんだろうなぁ……怒ってるなら直接言やぁいいのに、こんな回りくどい嫌がらせしなくたって……」
ぼやくサザキの声にため息をついたカリガネは、振り返って苦言を述べようと口を開きかけた。が、急に口をつぐむと小さく「サザキ…」と呼びかけ、胡乱げに顔を上げたサザキに対して顎をしゃくってみせた。
「んだよ。あ……っ」
面倒くさそうにカリガネの視線の先に顔を向けたサザキは、台所の入口で水瓶を抱えた千尋の姿にびくりと身体を震わせた。
「ひ、めさん?」
呟いたサザキから視線を逸らしたままの千尋はゆっくり中に入ってくると、カリガネの前で足を止めた。そして視線を落としたまま、カリガネに水瓶をそっと押し付けた。
「お水……減ってたから。この間の嵐で、水だけは十分貯まってるんだね」
「……ああ、すまない」
ゆっくりと水瓶を受け取るカリガネの言葉に、千尋は小さくうなずいた。そしてくるりときびすを返すと数歩歩き、サザキの前で立ち止まると、彼の方を見ようともしないで小さく呟いた。
「ごめん……なさい」
「え?」
思わぬ千尋の言葉に、サザキは腰を浮かしかけた。と、それを察した千尋は素早く彼に背を向け駆け出してしまった。
「おい、千尋っ!」
叫んで腕を伸ばしたサザキだったが、すでに千尋の姿は消えていた。ただ彼女の残り香だけが、一瞬ふうわりと彼の鼻先をくすぐった。
呆然とした表情で立ちすくみ、彼女を掴みきれなかった己の手をじっと見おろしているサザキの耳に、やがてカリガネのいらついた声が流れ込んできた。
「……なにをしている」
「え……?」
顔を上げて声の主を見れば、カリガネは水瓶を抱えたまま苦々しげに眉をひそめている。
「ぼやっとしている場合か。あの様子だと、彼女は海に飛び込みかねないぞ」
「へ……? ち、ちょっと待てっ! 姫さん早まるなっっ!!」
カリガネの物騒な言葉にサザキはさあっと顔を青ざめさせると、脱兎のごとく駆け出した。台所の入口に翼の端をぶつけてよろめいたもののすぐに体勢を立て直し、もうもうと羽根を飛び散らせながらまた駆け出した。
どたばたと賑やかな足音がようやく遠ざかった頃、それまで微動だにしなかったカリガネが小さなため息を漏らした。そうして手にした水瓶をちらと見おろしてから、何事もなかったように片づけを再開したのだった。