サザキが首を傾げると、千尋は今度は彼をしっかりと見つめ返した。
「前はこうして辺りを見てると、ところどころから森や林から黒い煙が上がっていたり、鬨の声が聞こえてたりしたじゃない。けど、いま立ち上ってる煙は白くて細くて集落からのものだけで……騒がしい兵士達の声も聞こえなくて、とっても静かで……戦は本当に終わったんだって、改めて思ってた」
「……そう、か」
千尋の言葉にサザキは答えると、目を細めてにこりと笑った。
「そうだなぁ。けど、それもこれも、全部あんたのお手柄だ。豐葦原が平和になったのは姫さん、あんたが最後まで諦めなかったからだぜ」
「うん……」
「それに加えて、このサザキ様が大活躍した戦だ。そりゃあ勝たないわけがない。負ける道理がない」
「…………うん」
「なんか、いまうなずくまでかなり間があったのが気になるが……ま、いいか」
サザキが何を言っても覇気のない声と頷きしか返さない千尋の様子に、サザキはまた眉間にしわを寄せた。そして今度は口元をきゅうと引き締めると、千尋の華奢な身体を抱いていた両腕を少し高く上げ直し、驚いて顔を上げた彼女の目の前ぎりぎりまで自身の顔を近づけた。
「え? サザ……キ!?」
「いい加減にしろよ、千尋。誤魔化そうったってそうはいかねぇ」
「ご、誤魔化してなんか」
「じゃあなんで、そんな辛気臭い顔してんだ。平和になったって改めて思ってるだけなら、もっと嬉しそうな顔するはずだろ」
「ほんとだもん。本当に、平和になったんだなぁって思ってただけだもん」
拗ねたように唇を尖らせて視線を落とす千尋を、サザキは胡散臭げな目で睨むようにして見つめ続けた。しかし千尋は彼から目を逸らしたまま、顔を上げようとはしないし、口を開くことも拒否したままだ。
やがてサザキは小さく舌打ちをしたかと思うと、すいっと顔を上げて目を細めた。
「……わかった。そーやって姫さんがいつまでも意地張ってるってんなら、こっちにも考えがあるぜ」
その言葉に千尋は、驚いて目を見開くと、赤く染めた顔を上げてサザキを見上げた。
「え、なに?」
するとサザキは意地の悪そうな笑みを浮かべながら、改めて千尋の耳元に唇を寄せると、わざと耳朶に息がかかるようにゆっくりと言葉を紡いだ。
「たとえば、このままあんたを攫ってくってのはどうだ? そんで、もう中つ国に帰れねぇよう……オレだけのものしちまう」
真っ赤になったまま首をすくめて目をぎゅっと閉じる千尋の様子を、サザキは目を細めて見つめた。だがすぐに口元に笑みを浮かべるとまた顔を上げなおし、身体を強ばらせたままの千尋を見ながら相好を崩した。
「……とかな。どうだ、んなことされたら困るだろ? だからそうならないためにも、素直にオレに理由をだなぁ……」
「……いいよ」
したり顔でうなずいていたサザキだったが、わずかに目を開けた千尋が、赤くなったままぽつりとつぶやいた言葉が耳に届いた途端に、開いた口をそのままに言葉を失った。
「…………は?」
やっとのことでそう呟いてからまじまじと千尋を見返すと、彼女はまだ顔を赤らめたままだったが、先程よりも強い視線をサザキに向けて口を開いた。
「連れてっていいよ。私、サザキのものになりたい」
「ひめ、さん……?」
しばし彼女を見つめていたサザキだったが、やがて我に返ると顔を真っ赤に染めながら何度も首を振った。
「い……いやいやいやっ!! ダ、ダメだっっ!!」
「なんで? だって、サザキが言ったんじゃ……」
「確かに言った! オレが言った! けどダメだ! ダメだっつったらダメだぜったいダメだ!」
「わけわかんない」
「いいか。こーいう時あんたは『ダメよ』とか『いや、やめて』とか、言わなきゃいけないんだっっ!!」
「どうして? 私がいいっていってるんだからいいじゃない」
「よくないっ!! 大体、そんなこと姫さんが勝手に決めちまったらまずいだろ!!」
「私のことを私自身が決めるんだもの、ちっともまずくないと思う」
「そ、そうだが……いやいや、姫さんは姫さんだろ? 中つ国のやつらとかいろんなもん背負ってるじゃないか。なのにあんたの一存で、そういうことを勝手に決めたらまずい! みんなが困る!」
「みんなって……その中にサザキも入ってるの?」
「え? あ、ああ入ってる! オレも、もちろん困る!」
「なんかおかしくない? けど、私、サザキを困らせたくはないよ」
「だろ? そう思うなら、ここは断わらなきゃダメだ!」
「そうなんだ……うん、わかった。じゃあ断るね」
「よし! それでこそ姫さんだ!」
ようやく千尋から納得のいく返事がもらえて、サザキは心底安堵した表情を浮かべた。どうやら脅しをかけたつもりが予想外の答えを返されたことに驚愕し、本来の目的をすっかり忘れてしまったらしい。
そしてそれは、彼からの追求をかわすために千尋自身が導いた結果ではあるのだが、こうもほっとした笑みを浮かべられてしまっては、憎からずサザキを想う乙女心としては心中複雑なものもある。
「そんなにダメダメ言わなくてもいいのに……サザキのばか」
ぽつりと漏らした千尋が少し拗ねた表情を浮かべたが、サザキにはどうやら聞こえなかったらしく、彼は脳天気に千尋の顔を不思議そうに覗き込んだ。
「姫さん? どした?」
「……なんかもう、床にうずくまって寝たい気分」
「なーんだ、疲れちまったか。んじゃ、今日のとこは帰るか」
「うん……そうだね」
そうしてサザキが、千尋の表情が曇っていた原因はなんだったかを聞きそびれたことに気がついたのは、橿原宮に彼女を送り届けてたのちに天鳥船へと戻る空の上だった。