酉舵いっぱい!

(7)

カリガネの言葉通り、回廊を抜けて朱雀の間の入口に差しかかると、奥に人影があった。千尋はそこで走るのをやめ、数回深呼吸をして今度はゆっくり歩き出した。

中に入ると、その人影はこちらに背を向けてしゃがみこんでいた。だがその人物を覆い隠す大きな羽根が背中から生えていたので、千尋には彼が誰であるのか間違えようもなかった。

彼女は、わざと自分の足音が聞こえるように、ゆっくり歩いてサザキの方へ向かっていった。もうその頃には恐らく彼の方も、誰がこの空間に進入してきたかの見当はついているはずだ。しかし、サザキは何故か振り返る気配を見せなかった。

――やっぱり……怒ってるのかなぁ?

つい出てしまいそうになるため息を飲み込むと、千尋は真っ直ぐにサザキの方へ歩いていった。そして彼のすぐ後ろでぴたりと足を止め、一度大きく深呼吸をしてから、意を決して口を開いた。

「……サザキ」

するとサザキは千尋が声をかけた途端、こちらに背を向けたままで、あろうことか彼女が居る方向とは逆を向いてしまったのだ。

そんな彼の行動に、千尋は一瞬あっけにとられた。だがすぐ我に返ると上体を屈め、サザキの翼越しにまた声をかけた。

「……ね。隣、いい?」

そう言って千尋が佇んでいると、やがてサザキはほんの少し腰を浮かしたかと思うと、すすっと右方向へ身体をずらした。つまりその行動は「座ってもいい」という了承の意味があるのだろう。

だから千尋は安心したように微かに微笑むと、彼が空けてくれた場所にちょこんと腰を降ろし、両腕を太股の脇にそれぞれ置いて上体を斜め前に乗り出した。

「サザキ?」

伺うように声をかけてみたが、やはり彼からの返事はなかった。しかし千尋は諦めることなく、彼女と視線を合わせないようにそっぽを向くサザキの斜め顔を見ながら、なおも口を開いた。

「さっきはごめんなさい。私、すごく失礼なことしちゃった」

「……」

「サザキが怒っても当然なんだけど。でもこのままは嫌だから、少しだけ言い訳させてくれない?」

そう言って微かに頭を垂れる千尋の様子に、ようやくサザキの目線が少しだけ彼女の方へ向いた。だがその表情は、相変わらず唇をとがらせ眉をひそめたままだったので、千尋は「……なんだか子供みたい」とつい口にしそうになったのだが、それを慌てて打ち消し、神妙な面持ちを浮かべてみせた。

「上手く言えないんだけど……さっきあんな風に逃げたりしたのは、サザキに会いたくなかったとか、口をききたくなかったとか、そういうわけじゃないの」

「なら……どういうわけなんだよ」

ぼそりとサザキが呟いたものだから、千尋は驚いて口をつぐみ、ゆっくりと彼の方へ顔を向けた。するとサザキはいつの間にかこちらに顔を向け、不機嫌そうに眉をひそめながらも、じっと千尋を見つめていた。

「……サザキ」

「機嫌良く帰ってきたすぐあとで、あの態度。……腹立てるなってほうが無理じゃねぇか?」

「そうだよ、ね」

千尋は初めて、サザキを怖いと思った。いつも陽気で朗らかで、怒ったり泣いたりすることなど、もしかしたらないんじゃないかとすら思えた彼が、冷たい目で自分を見ている。そう思った途端、急に胸が苦しくなった千尋は、ふと気がつくと、ぽろぽろと涙を流し始めた。