「え……あ、あれ?」
突然溢れた涙に、千尋自身も驚いて何度も目元を手の甲で拭ったが、さらに驚いたのはサザキだった。彼は千尋の大きな瞳から涙がこぼれ落ちた瞬間に表情を強ばらせ、慌てて身を乗り出すと彼女の顔を覗き込んだ。
「ひ、姫さん? い、いきなりどうしたっ!?」
「ご、ごめ……な、なんでもな……」
「なんでもないことねぇだろ! あーもー、これじゃオレが泣かせたみたいじゃねぇか」
うめいて頭を抱えたサザキは、やがて顔の前でパンッ!と柏手を打つと、千尋を拝むように頭を下げた。
「わかった! 謝る、オレが悪かったっ! だから、もう泣きやんでくれ! あんたに泣かれると、なんつうかこう、すげぇ悪いことしたみてぇで、居心地悪くてかなわねぇんだ」
そう言って、さらに深く頭を下げるサザキの長い髪が動くのを見ていた千尋は、やがて泣き笑いのような表情を浮かべた。
「やだなぁもぉ。私がサザキに謝りに来たのに、なんでサザキが謝っちゃうの?」
「……へ?」
言われて顔を上げたサザキは、きょとんとした表情を浮かべた。それは先ほどまでの表情とあまりに違うものだから、千尋はほっとしたのも手伝って、涙を流しながらころころと笑い出した。
急に笑い出した千尋を、サザキは呆けた表情のまましばらく見ていたが、やがて片方の口角だけを器用に上げて苦笑すると柏手を下ろし、肩を落として座り直すと天井を見上げた。
「あー、やめだやめ! 姫さんに笑われてるってのに、いつまでも怒ってられっか!」
「ご……ごめん、なさ……」
謝りながらなおも笑う千尋をちらりと一瞥したサザキだったが、いつしか彼の顔にも笑みが浮かび、腕を伸ばすと千尋の頭をくしゃくしゃっと撫でた。
「……ったく。笑いすぎだぜ、姫さんよ。でもま、無視されたり泣かれたりするよりいいけどな」
そう言って千尋の髪を指で軽く梳いてから、サザキはするりと手を離した。そして改めて千尋に向き直ると、急に思い出したように目を細めて腕を組んだ。
「んで? オレを無視した理由ってのを、ちゃんと聞かせてもらおうか?」
サザキの言葉に、それまで楽しそうにくすくす笑っていた千尋の肩が、びくりと小さく揺れた。そして彼女は恐る恐る顔を上げると、困惑したような目でサザキを見つめた。
「それは……もういいって、いま言ったじゃない」
「いーや。オレがやめたのは怒るのをだ。姫さんの言い訳をやめてもいいとは言ってねぇ」
「えーーっ! サザキずるいぃ!」
「ちっちっち。大人の駆け引きと言って欲しいねぇ」
勝ち誇ったように右手の人差し指を振ったサザキは、「ううーっ……」と唸って悔しそうに睨む千尋に向かって得意げに笑い、すっと上体を動かして彼女の顔を覗き込んだ。
その途端に千尋の頬が桜色に染まったが、その変化もサザキにはただ愉快なだけで、彼はなおもじっと千尋の瞳を見つめながら、すっと目を細めた。
「それじゃあ姫さん……改めて、話してもらおうか?」
うそぶいて口をつぐんだサザキは、千尋をじっと観察しながら、彼女の次の言葉と行動を待った。
しばらく千尋は顔を真っ赤に染めたまま、困惑したように視線をさまよわせていたが、やがて意を決したのか、急に背筋を伸ばすと、サザキの視線に正面から向き直った。
「お、話す気になったのか?」
わざとらしく驚いた表情を浮かべながらサザキがそう問うと、千尋はこくんとうなずいてから、不意に身を乗り出してサザキのほうに顔を寄せてきた。
その行動に、今度はサザキの方が驚いてわずかに身を引いた。が、それにもひるむことなく千尋は彼になおもにじり寄ると「お、おい、姫さん?」と焦るサザキの耳元に唇を寄せ、思わず身を固くする彼にゆっくりとなにか告げると、すばやく身を引いた。
「…………へ?」
千尋の勢いに押され、ほとんど寝転がるような体勢になったまま凝固するサザキを見ながら、千尋は改めて立ち上がった。そして顔を赤らめたまま「つ、つまり、そういうことだったの!」と叫ぶように付け足してから、可愛らしい舌をぺろっと出してしかめっ面を浮かべ、くるりときびすを返すと、ぱたぱたと足音を立てながら走り去ってしまった。
ひとり残されたサザキは、しばらく石像のように固まっていた。だがしばらくして小さく息を吐き出すと、その場にばたんと仰向けに寝転がってしまった。
そして広がる羽根をうっとうしげに手で軽く払うと、そのまま右手で額から目元を覆った。
「……はーーっ」
長いため息をひとつ吐き出したサザキの顔は、いつの間にか首筋まで真っ赤に染まっていた。
「姫さん……そいつぁ、反則だろ……」