薄衣の向こう

(10)

「……無様だな」

「くっ……の、やろっ! いいか、この船の船長はオレだ! このサザキ様だ! てめぇにしのごの指図されるいわれはねぇぞっ!」

「確かにサザキという名の男は、この船の船長だ。……日向の若い奴等を束ねる大将でもある」

「なんだよ、わかってるんじゃねぇか! だったら早く離せっ」

「聞こえなかったのか? 私は『サザキという名の男』と言ったはずだ。こんなところで地べたに這いつくばる君は、船長たる器どころか……日向の民を名乗る資格もないと言っている」

「ん……だと?」

目も剥いて振り返ろうとしたが叶わず、なんとか動かせる右腕で上体を起こそうと足掻いたが、その途端後ろでねじり上げられた左腕がきしみ、サザキは低くうめくとまた石畳に崩れ落ちた。

「……っくっ。カリガネ、マジでいい加減にしろよ……オレがキレたら、手加減できねぇって知ってっだろが」

「さぁ、知らんな……私が知っているのは、サザキは日向の長たらん技量と器を持った男で、こんなところで苦い酒を舐めながら、鬱々と無駄な時間を過ごすような情けない男ではない、ということだけだ」

いつになく饒舌なカリガネの言葉に、サザキはびくりと身体を震わせた。石畳を掴んでいた右の拳をぐっと握りしめると、ややあってふっと身体の力を抜いた。

それを合図にしたかのように、カリガネは押さえ込んでいた手をするりと離した。

そしてサザキの身体の上から退くと数歩後ろに下がり、ゆっくりと上体を起こし始めた親友の背中をじっと見おろした。

サザキはカリガネに背を向けたまま胡座をかいて座り直すと、ずっと押さえ込まれていた左肩を無言で回し始めた。

身体がほぐれると大きなため息をついて肩を落とし、そうして改めて肩越しに振り返ると、立ち尽くしたままのカリガネを一瞬睨んでから、自分自身をあざ笑うようなほろ苦い笑みを口元に浮かべた。

「……ったく。励ましたいなら、もう少しお手柔らかに頼むぜ」

「甘える相手が違う。優しく慰めて欲しいなら、二の姫に頼め」

「ははっ……それが出来りゃあ苦労はしねぇって」

そう呟いて己の頭を掻いたサザキは、大きく伸びをしてから両足を石畳の上に投げ出し、両手を背後について顔を上げて天を仰いだ。

「……ああ、星がきれいだ。……姫さんも、橿原からこの空を見てんのかな」

「……」

「へっ。まーた千尋の話か、って呆れてんだろ?」

「……いや」

「誤摩化さなくたっていいぜ。オレだってそう思ってんだから」

黙って夜空に視線を向けるカリガネの前で、サザキは先ほどまでとは打って変わった穏やかな表情を浮かべている。

「そうか……姫さんって星に似てんだな。お宝みたいにキラキラ輝いてて、手を伸ばせばすぐ触れられそうなのに、どうやったって掴むことなんか出来ねぇ。どんだけ頑張って飛んでも、決して辿り着けねぇとこが……よく似てる」

昼間、千尋に会った時にも感じた。共に戦った日々の中、ほんの一時過ごす平和な時間に、一緒に笑ってはしゃいでいた時は、確かに千尋はサザキのすぐ目の前にいた。

手を伸ばせば簡単に触れることができた。

なのにようやく全てが片づいたいま、中つ国の王となった彼女の存在は、ひどく遠い。

まるで薄衣越しに彼女を見ているような――二人の間に、見えない空気の壁のようなものを感じてしまうのだ。

「やっぱ……無理だったのかもな。オレみたいなのが、姫さんみたいな女と一緒になんて……ありえない夢ってやつなんだろうな」

自重気味に笑うサザキを、カリガネは黙って見ていた。やがてゆっくりその場に腰を下ろすと、胡座をかきながら小さくため息をついた。

「……試してみたのか?」

ぽつりと呟かれたカリガネの声に、サザキは仰ぐように首を傾けた。

「ん? なにをだ?」

だがカリガネはサザキに視線を向けないまま、またゆっくりと口を開いた。

「辿り着けない、届かないと……君が勝手に決めているだけではないのか?」

カリガネの言葉に、サザキは正面を向き直ると思わず唇を噛みしめた。しばらくそんなサザキの背を見つめ、カリガネはまた言葉を紡いだ。

「……かつての君は、大陸へ行くのだと言って無謀な挑戦をした。誰も彼もがそんな夢物語と笑ったのに……必ず見つけてみせると言い張ってな」

「……」

「その結果、君は見事に玉砕し、もう少しで命を落とすところだった……だが生き返った君は、そんな失敗などなかったように、笑ってこう言った……『今回は無理だったが、次はもっと遠くまで飛んでやる。海の向こうの大陸に辿り着くまで、オレは絶対諦めない』と、な」

「カリガネ……」

ゆっくりとカリガネの方へ向き直るサザキを真っ直ぐに見つめ、カリガネはわずかに微笑んだ。

「私はあの時、決意したんだ。このどうしようもなく馬鹿な男に……どこまでも諦めの悪い、もっとも日向らしい君に……賭けてみようと」

カリガネの独白に、サザキはただ無言だった。しかししばらくしてゆっくり立ち上がると、天に向かって翼を大きく広げながらカリガネを見おろし、片頬に笑みを浮かべた。

「どうしようもない馬鹿か……褒めるんなら、もっと言葉を選べっての」

「素直に褒めて欲しいのなら、二の姫にでも頼むんだな」

「はっ、それも姫さん頼みかよ」

「仕方あるまい。君のような馬鹿な男を御せるのは、彼女くらいしかいないだろう?」

「るせぇ。調子にのって馬鹿馬鹿って言うな」

苦笑いを浮かべて肩をすくめたサザキは、そのままばさりと羽根を打ち降ろした。そうしてふわりと中空に浮き上がると、黙って目で追うカリガネを見おろして腰に手を当てた。

「そんじゃま……親友の忠告にしたがって、褒めてもらいに行ってくるとしますか」

「……これからか? 到底会わせてもらえるとは思えんが……」

さすがのカリガネも驚いて目を見張ったが、サザキは得意げに右手の人差し指を立てて軽く振ってみせた。

「おいおい、カリガネ。忘れてもらっちゃ困るぜ。このサザキ様を誰だと思ってんだ?」

「……?」

「日向の大将にして偉大な海賊……狙ったお宝は必ず手に入れるのが、オレの流儀ってやつでね」

言ってきびすを返すと空高く舞い上がり、あっという間に小さくなってしまったサザキを見上げていたカリガネは、やがて呆れたようにため息をついてから、サザキが残していった酒袋をそっと拾い上げて夜空に背を向け歩き出した。