薄衣の向こう

(8)

サザキにはこれまでもいろいろ迷惑をかけているし、中つ国が復興しつつある今も何かと不便や気苦労をさせていることはわかっている。

それでも彼に側にいて欲しいし、いつも会いたいと願い望んでいるのは、他でもない自分の我が侭だ。

「本当なら今ごろ、サザキ達は自由に海に出て行っているはず。なのに、私がサザキと離れたくないって言ったから……日向の皆まで巻き込んで……」

「……」

「私はここから離れられない。でもサザキとも別れたくない。そんな自分勝手な我が侭で、彼を縛りつけてるってわかってるの。でも……」

言ってうつむく千尋を黙って見つめていた柊は、やがて腕を伸ばすと千尋の片頬に右手を添えた。

そして驚いて顔を上げる少女の大きな瞳を見つめ、真摯な表情のまま口を開いた。

「貴女は勘違いをしておられる。いや、失礼を承知で申し上げるならば――その考えはいささか傲慢というもの」

「……え?」

目を見開いた千尋を見つめたまま、柊はなおも言葉を続けた。

「彼らは貴女の庇護に頼る幼子ではない。己の足で立ち、己の意志と力で生きている。彼がそう望めば、中つ国の龍神も常世の禍日神も、その翼の広がりを止めることなど出来ないでしょう……そんなサザキ殿だからこそ、貴女は惹かれたのではないですか?」

そう言われた千尋は、ほんのりと頬を染めてうつむいた。

戦況が進むにつれ、「中つ国の後継者」であり「龍神の神子」としての器量を強く求められるようになった千尋にとって、自由に天を行くサザキはある意味憧れの存在だった。

彼らのようになれたら、生きられたらどんなに楽しいだろうという羨望は、やがてサザキ個人に対する興味へと変わり、いつしか恋心となって昇華した。

だからこそ自分のこの想いが、結果的に彼の翼を抑えることになってしまったのだとしたら、こんなに辛く悲しいことはない。

そう思っていたところだったので「その考えは傲慢」だと決めつける柊の言葉は、千尋にとって衝撃だった。

「日向一族は、何者にも囚われずただ己のみを主とし、風を切り空を舞う誇り高き一族だと聞きました。ですからサザキ殿がこの地になおも留まり続けるのは、まぎれもなく彼自身の意思であり、彼が望み選んだ結果。それを我が君が己の所為だと憂うのは、筋違いではありませんか?」

言われて千尋は、思わず息を呑む。それと同時に、胸のつかえがすっと溶け出すのを感じた。

サザキの生き方は彼自身が決める。確かに千尋という存在は若干の影響を与えるかもしれないが、最終的に決断するのはサザキだ。

だからいまの状態を、千尋が気にして思い惑うことはない。彼が側にいてくれる現実を受け入れ、信じていればいいだけのことだ。

柊の言葉の裏には、そんな意味が込められているように思えた。彼にしてはずいぶんと分かり易く真っ直ぐすぎる物言いだが、それは千尋が意味を過たずに理解するようにという、彼なりの気遣いなのだろう。

だから千尋が「……そう、だね」と小さく漏らすと満足げにうなずいた柊は、彼女の頬から手を引いて一歩後ろに下がっると、恭しく頭を垂れた。

「我が君への度重なる暴言、どうかお許しください。何事も貴女の御為を思えばこそですが、お気に召さずば如何様な処罰も謹んでお受けいたします」

「――ううん、処罰なんてとんでもないよ」

首をゆっくりと振った千尋は改めて、いつものように強い生命力を感じさせる光を宿した瞳で柊を見上げた。

「私、思い上がってた。気がつかせてくれてありがとう、柊」

「さすがは我が君。慈悲深き御心と、臣の諌言を受け入れる広き度量を持つお方だ」

「そんな、大げさに褒めるほどのことじゃないってば」

苦笑して上目遣いにこちらを見る千尋に、柊は目を細めた。その視線はサザキが千尋に向けるものとは少し違うが、それでも彼なりの想いが篭る優しいものだ。

「我が君はお優しい。他者に対する有り余る愛を、その身に溢れんばかりにお持ちであられる。ですが……そのうちのほんのひとかけらだけでも、ご自身に注いでみてはいかがです?」

「え?」

柊の言葉に、千尋は不思議そうに首をかしげた。すると柊はまた微かに笑んで腰を屈め、彼女の耳元でこそりと呟いた。

「我が君の憂いを晴らす諌言をいまひとつ。貴女と貴女の想い人のお悩みを、同時に解決する方法が……一つだけございますが」

「ほ、ほんと?」

千尋が興奮気味にうなずくのを笑いで受け止めた柊は、改めて口を開いた。

そうしてこそりと柊が耳打ちする内容に、最初は真顔でうなずいていた千尋だったが、やがて頬を紅色に染めて固まってしまった。

やがて風早が茶器を慎重に運びながら執務室に戻ってきたときには、何事もなかったようにまた書簡の整理を始めていた柊と、彼から少し離れた床几にちょこんと腰かけ、真っ赤な顔を隠すように両頬に手を添えてうつむく千尋の姿があった。