「――ごめんなさい。ちょっと遅かったかな?」
息を切らせて王宮に駆け込むと、柊に書簡を手渡しながら振り返った風早がゆったりと微笑んだ。
「お帰りなさい。いいえ、こちらは特に問題はなかったので大丈夫ですよ」
「ご安心ください。詮索好きな高官連中は会議という名の談合で手いっぱいのようで、我が君の御不在には気がついておりません」
「そう。よかった」
安堵の溜息を漏らす千尋に風早はもう一度笑い「那岐の鬼道術のおかげですよ。彼のこともねぎらってあげてくださいね」と言いながら、手にしていた書簡や巻物をすべて柊に手渡した。
「まずは呼吸を落ち着かせましょうか。仕事の続きは、一服した後からでも間に合いますからね」
「うん、ありがとう」
風早の手から巻物を受け取った柊は困惑したような表情を浮かべたが、すぐに微苦笑を浮かべてうなずいた。
そして茶の仕度をするために出て行った風早の背中を見送ってから、改めて千尋に目を向け「……ほう」と感心したような声を漏らすと、まじまじと彼女を見つめた。
「え、な、なに? なにかおかしなとこ、ある?」
柊の視線に慌てた千尋は、王装束に着替えたばかりの自分の身体を見おろしたが、柊はくすりと小さく笑いながらゆっくり首を振った。
「いいえ、なにも。常のごとく貴女は麗しい――いや、いつも以上にお美しく輝いておられるのは……満ち足りた時間をお過しになった証拠かと推察しておりました」
「なっ!?」
柊の言葉と視線に、千尋はかあっと顔を上気させた。そうして慌てて首を振りながら、両手を忙しげに動かした。
「あ、あのっ! ご、誤解しないでね柊っ! 確かに私はサザキと会ってたけどっ、でもっ、ひ、柊がそ、想像してるような、そ、そういうことは一切、まったくなくてねっ! だ、だからね!?」
千尋の狼狽えた唇の動きを止めたのは、すいっと伸ばされた柊の細くしなやかな人差し指だった。
彼は千尋の紅色の唇に指を添えて動きを制すると、目を白黒させて上目遣いになった千尋の瞳を覗き込むようにして口元に笑みを浮かべた。
「いたしかたないこととはいえ、我が君の可憐な唇から他の男の名が紡がれるのを耳にするは、我が身を刃で貫かれるよりも苦痛――どうぞ、御身のお心のうちにのみお留めくださいますよう……」
「ひ、柊が、おかしなことを言うからじゃない」
「なにもかも我が君を想うがゆえ。貴女の変化全てに気がついてしまうほど、わが心は貴女という存在に惹かれて止まないのですよ」
「――もう。すぐそうやってはぐらかすんだから。だからサザ……」
柊の言葉に呆れたような笑みを浮かべた千尋は、つい想い人の名を出しそうになって慌てて口をつぐんだ。
すると柊はまた目を細めてつつ、千尋の唇からついっと指を放した。
「やはり私のごとき不肖の指では、我が君の想いを抑えることはできないのですね。これ以上、貴女の甘い拷問を受けるは身の破滅と……哀れんでください」
さも辛そうに言いつつも、柊の隻眼は楽しそうに笑っている。
からかわれているとわかっていても、つい翻弄されてしまうのが悔しくて、千尋は口をとがらせて柊を軽く睨んだ。