すっかり耳になじんだ羽音がだんだん近づいてくるのを耳にした那岐は、うろん気に目を開けて空を見上げた。そんな彼の目の前に、思った通りサザキが千尋を抱きかかえて姿を現した。彼ははゆっくり地面に降りながら、中庭の木陰に座っている那岐に目を向け呆れたようにため息をついた。
「なんだなんだ。お前、また寝てたのかよ。そのうち頭ん中がでれでれに溶けちまうぜ?」
「うるさいな……そんなこと、千尋にでれでれなあんたに言われたくない」
「な……お、おまっ! んなこと、ばっ、ひ、姫さんの前でっ!!」
焦って思わず千尋から両腕を離して振り回したサザキだったが、幸運にもすでに地面に足を着いたところだったので、千尋はほんの少しだけよろめいてからサザキを見上げて唇を尖らせた。
「きゃ、急に手を離さないで! 危ないじゃない!」
「へ……? あ、わわっ、わ、悪いっ! すまねぇ、怪我とかしてないか?」
「うん、大丈夫だけど。ただ次からは、手を離すならちゃんと言って」
「おう、わかった」
神妙な面持ちでうなずくサザキの態度に満足したのか、千尋はほんの少しだけ彼を睨んでから相好を崩した。そんな二人の様子を呆れたように目を細めて見ていた那岐は、やがて欠伸を一つ漏らしごろんと彼らに背を向けてしまった。
「……あのさ。久しぶりにのんびりしてんだから、いちゃつくなら他所でやってくれない?」
「お? なんだ、仕事明けの休憩だったのか。そいつぁ邪魔して悪かったな」
そう言ってサザキが申し訳なさそうに頭を掻くと、彼の腕から垂れる頭巾をくいっと引っ張った千尋が、呆れたようにため息をつきながら首を振った。
「久しぶりなんて嘘だよ、サザキ。那岐ってば、今日私が出かける時も寝てたんだから」
「はぁ!? そんじゃ、ずっと寝っぱなしじゃねぇか!」
サザキが頓狂な声を張り上げた途端、那岐は面倒くさそうに眉間にしわを寄せた。だが振り向こうとはせずに、サザキと千尋に背を向けたままで口を開いた。
「千尋が出てってから後処理してたんだよ。気の利かない布都彦やら葛城将軍やらが、姫はどこに行ったのか、王はいつお帰りなのかってしつこく追求してくるもんだから、さっきようやく巻いたとこ。だから『久しぶり』だろ?」
「……そういうの、へ理屈っていうと思うんだけど」
那岐の言い分に千尋が呆れて肩をすくめるのとは対照的に、サザキは急に真顔になるとすたすたと那岐の方へ歩み寄った。そして少年の肩に手をかけると無理矢理こちらを向かせ、不快さを露にした那岐に向かってぺこりと頭を下げた。
「……なんの真似だよ?」
「いや。オレと姫さんが会えるよう、那岐がそんっなに頑張ってくれてんだと思うと、なんつうかありがたいっつうか、迷惑かけてすまねぇと思ってだな……」
「すまないと思ってるなら、ほっといてくれない? 何度も言ってるけど」
「那岐、そういう態度はないでしょ。サザキがありがとうって言ってるのに!」
いつの間にかサザキと那岐の元へ駆け寄ってきていた千尋が、サザキの肩越しに那岐の顔を覗き込んで声を荒げている。
するとサザキはちらっと千尋を見上げて「ありがとな、姫さん。あんたがそう言ってくれただけで、オレはもう天にも昇る心持ちってやつだ」と言いながら、嬉しげに目を細めた。
見つめ合うサザキと千尋を交互に見比べた那岐は、やがて盛大なため息をついて地面に突っ伏した。
「ほんと勘弁して欲しいんだけど……天でも海でもいいから今すぐ目の前から消えてよ、二人一緒に」
那岐の言葉に、先に我に返ったのは千尋だった。その途端に彼女は頬を赤く染めるとサザキから身体を離して立ち上がり、こほんと一つ咳払いをした。
「えっと……布都彦や忍人さんにも探されてたみたいだから、そろそろ行くね。サザキ、送ってくれてありがとう」
「あ……いや。このくらい、お易い御用だ」
「ふふっ。那岐もいろいろありがと。それじゃ、ね」
一度那岐の顔を覗き込んでから、千尋はもう一度サザキに視線を向けた。一瞬、意味ありげな表情を浮かべたが、すぐに微笑みを浮かべると素早くきびすを返した。
そうして歩き出そうとしたのだが、彼女が浮かべた一瞬の表情に気を取られたサザキが反射的に腕を伸ばして手を掴んだものだから、そこから動き出すことが出来なくなってしまった。
「あの……?」
言って伺うように肩越しに振り返ると、何か思い詰めたようなサザキの瞳と目線が合ってしまった。
「サザキ……ど、どうかした?」
恐る恐る問うと、サザキは身を乗り出すように口を開きかけた。が、何を思ったのかまた口をつぐむと、口角をあげて上手く笑顔へと変化させながら千尋の手をそっと離した。