「ならサザキも忘れないで。私も橿原宮にいるけど、心はいつだってサザキと一緒だよ。広い広い海を、あなたと一緒に旅してるからね」
「おう、忘れるもんか!」
サザキが自信満々に言うものだから、千尋はつい可笑しくて笑ってしまった。顔を上げてサザキを見上げ、千尋はにこりと微笑んだ。
「ふふっ」
「ん? どした?」
「うん…。女王の旦那様が海賊だなんて、まるでおとぎ話みたいだなって」
千尋がくすくすと笑いながらそう言うと、サザキもつられて「あははっ! 確かにそりゃあ……」と笑ったのだが、不意に口をつぐんでそっぽを向いた。
「どうしたの?」
千尋も笑うのをやめると首をかしげ、怪訝そうにサザキの横顔を見つめた。そして彼が赤くなって頭を掻いているのを見て、驚いて目を見開いた。
「え? え? な、なんで?」
するとサザキはちらっと千尋を見おろし、また視線を泳がせてながら口を尖らせた。
「だ、だって……姫さんが『旦那様』とか……言うから」
「え……? え、こういうのってダメなの?」
さらっと言った願望というか、現代生活に慣れた千尋にしてみれば、「私の旦那様♪」程度の言葉は、そう恥ずかしいことではない。むしろ彼氏が出来たら、一度くらいは誰でも想像したり言ってみたりするものだ。
しかしここは豊葦原なので、そう言った言葉を女性が口にするのははしたないのかもしれない。と、一瞬思ったのだが、たぶんそれは違うだろうと思い直した。まず間違いなく、サザキが無類の照れ屋だからこその反応なのだろう。
すると案の定、サザキは千尋の言葉に大きく首を振ると、顔を真っ赤にしたまま弁解を始めた。
「い、いやっ! ダメなんてこたぁないっ! ぜんっぜんないっ! むしろ大歓迎っつうか、そこまで言ってくれるならオレも腹くくるっつうか!」
「……そこまで言うほどのことじゃないと思うけど」
つい苦笑してつぶやいた千尋だったが、急にサザキが真剣な顔をして彼女の肩を掴むものだから、驚いて息を飲んだ。
「サザキ……?」
するとサザキはごくりと息を飲み、千尋から目を逸らさずにじいっとその目を見つめた。
「姫さん……いや、千尋」
「なぁに?」
真っ直ぐに自分を見てくれる千尋の視線に、サザキはくらっと眩暈を感じた。つい怯みそうになるが、この機会を逃したら、次はいつ言えるかわからない。
「そう言うならこの際だ。オレのよ、よ、よっ……!」
「よ……? 酔ってる?」
「だーっ、違うっ! そーじゃなくてっ! い、いますぐオ、オレのよ、よめっよ……っ……」
「嫁さんになってくれっ!」と叫んだちょうどその時、千尋はすいっとそっぽを向いて立ち上がった。サザキの肩越しに、回廊を抜けた遠夜が、こちらの方へ向かってくるのが見えたからだ。
「遠夜! ここよ!」
他の者には聞こえないのだが、千尋には遠夜の声が聞こえるのだという。だから彼が千尋を捜して歩いている声が、少し前から聞こえていたのだろう。
『神子……』
千尋の前に足音も立てずに近づいた遠夜は、にこりと微笑んで口を開いた。
『足往たちが、調練の様子を見て欲しいと言った。神子が望んでいたからと』
「うん。兵達の栄養状態がどのくらい良くなったか、ちょっと確認したくてね。すぐに行くって伝えてくれる?」
『……わかった』
そう言って歩き出した遠夜の背中を見送ってから、千尋はくるりと振り返って微苦笑を浮かべた。
「サザキ、ごめんね。私、もう行かないと……あれ?」