「サザキ……サザキってば!」
耳元で叫ばれて、ようやくサザキは我に返った。どうやら、いつの間にか物思いに沈んでいたらしい。慌てて顔を上げ肩越しに振り返ると、千尋が呆れたような表情を浮かべ、サザキのすぐ後に立っていた。
「もぅ、自分から呼び出しておいてぼおっとしてるなんて、らしくないよ」
「あ……ああ、悪い」
思わず謝って頭を掻くサザキに、千尋は小さくため息をついた。けれどすぐに表情を緩めると「でも……まぁ」と言いながら、ふわりと笑った。
「滅多に見れないサザキの真面目でかっこいい顔が見れたから……いいけど」
「……ん? なんか言ったか?」
まだぼおっとしているのか、サザキは千尋の言った言葉が理解できなかったらしい。怪訝そうに眉をひそめて彼女の顔をじっと覗き込んでくるものだから、千尋はほんのりと頬を染め、慌てて手を振ってみせた。
「あ、ううん。な、なんでもないっ!」
「……ほんとか?」
片眉をひそめるサザキにぎこちない笑みを返し、千尋はそそくさとその場に座り込んだ。
「ほんと、なんでもないの。で、サザキの用事はなに?」
「……ん」
千尋に尋ねられたサザキは、所在なさげに頭を掻いた。そして目の前の彼女をちらっと見てから、頭に触っていた右腕を降ろすと、人差し指を軽く動かした。
「なぁに?」
指で招かれた千尋は、不思議そうに首を傾げながら立ち上がった。そして彼の目の前まで歩み寄ると、腰を屈めて胡座をかくサザキの顔を覗き込んだ。
「なに?」
するとサザキは無言で腕を動かし、千尋の両手を掴んでぐっと引っ張った。当然千尋は、前につんのめるようにしてサザキの腕の中に飛び込むことになり、背中をぎゅうっとサザキに抱きしめられてようやく、弾かれたように顔を上げた。
「な、な、なに? ち、ちょっと、サザキ!?」
「用事がなきゃ、会いに来ちゃいけねぇのかよ……」
「そ、そんなことないけど……」
いつになく積極的なサザキの行動に、千尋は目を白黒させるしかなかった。
いつものサザキは、本音はどうあれ、ここに来る時はなにか理由をつけて来る。例えば、近隣の村々の復興具合だとか、街道の整備がどれくらい進んだとか、自分が見てきたことを彼女に報告しに来るのだ。
だがそれらは、国主である千尋にとってはすでに知らされている情報であって、特に目新しいものではない。
それでも、そんな理由をつけないと、やっぱりなんとなく足を運びにくいのだろうと思うから、千尋はサザキのありきたりの報告を、いつも黙って聞いている。自分の方から会いに行けない彼女にとっては、それがサザキへの精いっぱいの礼儀だからだ。
そんな彼が、今日は特に用事はないという。ただ彼女に会いたかったからだときっぱり言われれば、もちろん嬉しくないはずはないのだが、どこか引っかかるものを感じないわけにはいかない。
やがて大きなため息を一つついた千尋は、腕の力を緩めそうにないサザキの赤い髪の先に、そっと指先を伸ばした。
「……もぉ。どうしちゃったの?」
呆れつつも抵抗しなくなった千尋を黙って抱きしめていたサザキだったが、不意に天を仰いだ。そして改めて腕の中の千尋をまじまじと見おろした。
「え……サザキ?」
うっとりした表情でサザキを見つめ返した千尋だったが、次の瞬間、自分の背中に廻されていた彼の手がもぞもぞと動き始め、背中から腰辺りまでをさすり始めた途端、弾かれたように身体を動かすと悲鳴を上げた。
「ひゃあっ! な、なにすんのばかぁっ!!」
「いてぇ!!」
反射的に振り回した千尋の手は、見事にサザキの左頬を捉え、咄嗟のことで避けることもかなわず、力任せに頬を叩かれたサザキは顔をしかめてのけぞった。
その隙に千尋は彼の身体を突き飛ばしたが、サザキが背中から床に倒れる様子を見てはっと我に返った。
「あ! ご、ごめん!」
「いてて……ひでぇなぁ」
後頭部を撫でながら起きあがるサザキが口を尖らせると、最初こそ申し訳なさそうに肩をすくめていた千尋が、急に険しい表情を浮かべて彼に詰め寄った。
「け、けど! そもそも、サザキがいきなりあんなことするから悪いんじゃない!」
「あんなことって……ちょっと、確かめたかっただけじゃねぇか」
「確かめるって、なにを?」
怪訝そうに眉をひそめた千尋に対し、サザキは腕を組んでしかめつらしい表情を浮かべ「だからだなぁ!」と言いかけたところで、不意に押し黙った。
「ねぇ、なにを確かめたかったの?」
サザキの前に改めて座り直した千尋は、気まずそうに視線を逸らすサザキの横顔をじっと睨んでいる。
この様子だと、訳を話すまでは解放してくれなさそうだと判断したサザキは、ひとつため息をついてぽりぽりと頬を掻きながらぼそっとつぶやいた。
「だからその……姫さんに、羽根が生えちゃいないかを、だな」
「……は?」
サザキの答えに、千尋は間の抜けた声を漏らし、きょとんとした表情を浮かべてわずかに身を引いた。
そんな彼女の顔をちらっと盗み見たサザキは、決まり悪そうに頬を赤らめると、わざとらしいほどぶっきらぼうに言葉を続けた。
「ち、ちっとばかり気になる夢を見ちまってだな。姫さんに羽根が生えて飛んで行っちまうんだけど、そんで、だからもしや姫さんの身になにかあったんじゃねぇかって……ああ、もういいっ! オレが悪かったっ!」
ついには、胡座をかいたままぺこりと頭を下げるサザキだったが、しばらくして千尋のくすくすという笑い声にゆっくり顔を上げた。