そんな彼が率いる日向一族の者たちの間で、ここ数ヶ月、頻繁に噂にのぼり酒の肴になっている話題がある。
「うちの大将、あろうことか中つ国の姫様に片恋して、しつこく言い寄っているらしい」
この噂を聞いた時、サザキは苦々しげに眉をひそめた。これではまるで、嫌がっている彼女に無理やり迫っている最低男のようではないか。
そう言って憤慨するサザキの目の前で、怒る彼の顔が面白いと千尋は笑った。
「笑い事じゃねぇだろ。オレがいらぬ嫌疑をかけられてるってのによ」
「あ、ごめん……うん。そうだね……」
ひとつうなずいて顔を上げた千尋は、腕を組んで口をとがらせている日向の大将の顔をじっと見つめてから、ふわりと微笑んだ。
「片恋なんかじゃなくて、私たち、両思いなのにね」
千尋の笑顔にぼおっと見とれていたサザキだったので、彼女の言葉が基本能天気な頭に到達するまで、多少時間がかかった。
そうして改めて言葉の意味を理解した途端、首の根っこから頭のてっぺんまで朱に染めたサザキは、反射的に彼女から顔を背けてしまった。するとまた、千尋は笑った。照れるサザキの態度が可愛いと言いながら。
「ひ、姫さんっ!! からかってんのかっ!?」
サザキが焦って怒鳴れば怒鳴るほど、千尋は楽しそうに幸せそうに笑い続けた。そこでサザキは拗ねた表情を浮かべたまま口を閉ざすと、肩を震わせて笑う千尋を引き寄せてぎゅっと抱き込み、驚いて笑うのをやめた少女の半開きの唇を掠めるように接吻した。
するといつも千尋は、数回まばたきをしてから顔を上げ、いたずらっぽい笑みを浮かべるサザキと視線を合わせてから、先ほどまでの彼と同じように顔を真っ赤に染めた。その表情と仕草が可愛らしくて、サザキは満面の笑みを浮かべてから、またぎゅうっと千尋を抱きしめる。
「あーもーーっ! 姫さん、すっげぇ可愛い!!」
「ち、ちょっとサザキっ! もぉ、そんな大声でっ!」
「なんだよー。さっき姫さんが言ったの、そのまんま返しただけだぜ?」
「わ、私はそんな大声で言ってないもん!」
「大声で笑っただろ。だからそのお返しだ」
「やだっ! もぉくすぐったいよサザキっ!」
そうしてしばらく二人でじゃれていたのだが、そこへ竹簡の山を抱えた風早が通りかかったものだから、その姿をいち早く見つけた千尋が慌ててサザキの身体を突き飛ばしたので、彼はよろけて柱に後頭部をぶつけ目を回した。
――というのが、前回の二人の逢瀬の顛末だったりする。
「……また、あんたか」
だから奥の院に入って、すぐ風早が出てきたのに遭遇したサザキは、ほんの少し眉をひそめた。あれから数週間経って直ったはずの頭のたんこぶが、気のせいかしくしく疼いた。
「まぁ、そう嫌わないでくれ。この間はすまなかったと思っているんだから」
いまでは中つ国の王の従者となった風早は、いつものように穏やかな笑みを浮かべて近づいてきたのだが、サザキから数歩前で不意に立ち止まると、怪訝そうに眉をひそめた。
「サザキ……なにかあったのかい?」
「ん?」
サザキが声を漏らして目をしばたたせると、風早は自分の眉間を右手の人差し指で押さえ、寄り目をしながら上体を微かに屈めた。
「眉間、すごいシワが寄っている。君みたいな男でも、考え込む表情をすることがあるとは驚きだ」
「……どーいう意味で言ってんだ?」
サザキが忌々しげに頭を掻きながら舌打ちをすると、風早はくすっと笑った。
「でも、そういう凛々しい顔をしているところを見たら、千尋はたぶん喜ぶんじゃないかな」
思う少女の名を出され、どきりとして固まるサザキを見ながら、風早はまた笑った。そしてくるりときびすを返すと、サザキがなにも言わないうちに、すたすたと奧に向かって歩き出してしまった。
「少しここで待っていてくれ。いま、彼女を呼んでくるから」
「あ……ああ。あ、でもな、仕事中だったり忙しいんなら、オレはいくらでも待ってるから、そんな急がなくても……!」
そう言って風早の背中を追いかけようと走り出したサザキだったが、立ち止まった風早にぶつかりそうになって足を止めた。足を止めた風早はちらりと首だけで振り返り、「もうすぐ君がくるんじゃないかと思ってね、千尋の手を止めても差し支えないよう仕事量を調節していたんだよ」と言いながら目を細めて微笑んだ。
独り残されたサザキは「オレってそんなにわかりやすいかね?」とぶつぶつとつぶやき、床に勢いよく腰を降ろして胡座をかくと、腕を組んで眉をひそめた。別に不機嫌なわけではなく、夕霧の言った言葉を改めて考えているうちに、自然と表情が険しくなってしまったのだ。
夕霧は恐らく、サザキは千尋の側にずっといるべきだと言ったのだろう。そしてそれを、千尋も望んでいるのだと。もちろんサザキ自身もそうしたいし、彼女がそう思ってくれているなら、これほど嬉しいことはない。
「けどな……」
思わず漏れた自身の声に、サザキはぽりぽりと頬を掻きながらため息をついた。
「他の奴らがなんと言おうとかまわねぇさ。姫さんがそう願ってくれるなら、オレはどんなことだってかなえてやりたい。けど……」
言って胡座をかいた腿の上に肘を乗せ、そこに頬杖をつくと、サザキはもう一度深いため息をついた。