Harmony

(4)

夕霧が部屋から去った後、サザキは朝餉もそこそこに天鳥船を後にして橿原宮に向かった。

途中、船の回廊でカリガネに「さっさとメシを食え。いつまでも片付かん」と渋い顔をされたので食堂に向かったが、焦って食べたためについ食い散らかす形になってしまい、カリガネの眉間のしわをますます深くさせてしまう、という失態もあったが、とにもかくにも出来る限り早く橿原宮に着くことが出来た。

そうしていつものように門番に声をかけ、回廊を足早に抜けて奥の院に向かう。

途中ですれ違う文官の中には、相も変わらずサザキの姿を見た途端に苦々しげな表情を浮かべて、さっと身を引く者も大勢いるが、今日はいつもよりも更に、そんな連中のことが気にならなかった。

別に、この国のすべての人間に認めてもらおうなどとは思ってはいない。サザキが自分を認めて欲しい、気にかけて欲しいと願う相手は、この国を司る若き姫王、ただ一人だからだ。

 

現在、中つ国の王は女である。しかもまだ十代の少女で、揚げ句につい最近まで豐葦原とは全く違う世界(?)に行っていたらしい。

十年程前、隣国である常世の国に攻められた時に、従者と共に姿を消し行方不明となっていた二ノ姫は、数カ月前に再びこちらに戻ってきたかと思うと、国の復興を願い各地に散って抵抗を続けていた者や異民族を味方に率いれ蜂起した。しかもその仲間の中に常世の第二皇子まで引き込んだのだから、彼女はただ「王女」であるというだけではない、人を惹きつける何かを持っていたのだろう。

そうして「中つ国を救う龍神の神子」と祭り上げられた少女は、人々の期待を裏切ることなく国を取り戻した。しかも自国を取り戻しただけではなく、そもそも常世が中つ国を攻めるきっかけとなった黒竜が転じた「禍日神」まで倒してしまったのだから、豊葦原全土の驚嘆と賛美はいやがうえにも盛り上がった。

凱旋する「龍神の神子」の姿を一目だけでも拝もうと常世の国から中つ国へと続く街道沿いは人々で溢れ、その余りの熱狂ぶりに、常世の皇となったアシュヴィンが彼女の身を案じて帰還を延期させ、人目につかぬ夜半、こっそり黒麒麟で橿原宮まで送り届けたほどだ。

 

それほどの人気者ではあるが、自国に戻れば国主としての仕事が待っている。

数年間を王なきうえに常世の属国として過ごした中つ国は、人心も国土も荒廃していた。それを少しでも早く復興させたいというのは、宮中の誰もが思うところであったが、なにより新しく君主となった二ノ姫が一番、それを願っていた。

しかし、もともとが跡継ぎとなるべく帝王学を学んできたアシュヴィンとは違い、出自こそ第二王女だが、母王からも疎まれがちだった、いわば『王位継承者となるはずはなかった』少女=千尋は、「国とはなんぞや」という基本中の基本から学んでいかなければならない。

だから自然、彼女は多忙となり、宮中に引き篭もりがちになってしまった。

かつて共に戦った仲間たちと過ごす時間もなかなかとれなくなり、またそれぞれの仲間たちも元々が中つ国の核ともなりえる地位にあった人物たちばかりだったので、国の復興後はそれぞれが忙しく、どうやら千尋と会えないことを寂しく思う暇もないらしい。

そしてそれはサザキにしてみれば、ほんの少しだけ羨ましく思えた。

 

背に大きな羽根を持つ有翼人種である日向一族は、先の戦いで千尋率いる中つ国に肩入れをし、その働きをもって勝利に貢献した。

そもそも中つ国の民は、異民族に対して寛容ではなかった。自分たちとは違う見目形や考え方をもつ者たちを蛮族として扱い蔑んでいたのは過去のことではなく、彼らが常世に下った後もその悪習は消えることはなかった。

だから本来であれば、中つ国がどうなろうと日向の民は気にもしなかっただろうし、むしろいい気味だと嘲笑していたとしてもおかしくはない。

そんな彼らを惹きつけ、力を貸してやろうと思わせたのは、他ならぬ千尋の人徳だ。日向の民の中でも血気盛んな若者らを束ねていたサザキと、彼の片腕であるカリガネを真っ先に得心させたのが良かったのだろうが、特にサザキは千尋の行動力と心根に惚れ込み、同行するようになって以降は常に彼女の側にいるようになっていた。

それは戦いが終わった今も変わらず、あれやこれやと理由をつけては橿原宮を訪れている。それを快く思わない昔気質の文官たちはもちろん大勢いたのだが、「先の戦でのサザキ達の働きは、一国の軍と将のそれにも匹敵する。にもかかわらず、地位や権力を望まず、王への直接の謁見の許可のみ願うという。その真摯な態度に報いず、なんの王を名乗れよう」と、柊が考えた口上を浪々と千尋に宣言されてしまっては、それ以上異を唱えることなど出来るはずもなかった。

だからサザキは多少冷たい視線を向けられつつも、かなり自由に王宮を闊歩できるようになった。同じ理由で遠夜も、橿原宮で暮らしている。

ただ控えめで、良くも悪くも周囲にとけ込める遠夜とは違い、サザキは王宮で暮らすつもりはないし、一部を除く橿原宮の雰囲気と人々には、恐らく一生馴染めないだろうと思っている。

自由に、気ままに、風を読み、空を駆る。

少々がさつではあるが、根は陽気で気のいい連中が多い日向一族に囲まれて育ったサザキには、大地に身体も心も縛られたままで一生を終える中つ国の人々のことなど、しょせんは理解の範囲外。

――だったはずなのだが。

サザキは、その理解できないはずの中つ国の二ノ姫に出逢った。そして彼女の行動や考えに興味を持ち、いつからかそれがただの好奇心だけではなくなっていた。

彼女のことをもっと知りたい。ずっと見ていたい。

それが「恋情」というものだと理解したときには、もうサザキは、自分に微笑みかけてくれる千尋から目を逸らすことが出来なくなっていた。