Harmony

(3)

「……あー」

彼女の笑顔が脳裡に浮び、サザキもつい表情をほころばせた。しかもそれが自分の事を思って浮かべた笑顔だというのだから、想像しただけで嬉しくて堪らないのだが、どこか気恥ずかしくもあって、サザキは夕霧から視線を逸らすと赤くなったままの頬をぽりぽりと掻いた。

すると、夕霧はむうっと眉をひそめたまままたしゃがみ、両腕をさっと伸ばしてサザキの頬を両手で押さえ込んだ。そして無理やり自分の方を向かせると、顔を引きつらせているサザキの目をずいっと覗き込んだ。

「なに嬉しそうにヘラヘラしとるん? あーもう、なんや腹立ってきたから、このまま奪ってくってのはどうやろ」

「う、うびゃう?」

頬をぎゅっと押さえつけられているものだから、サザキの発した言葉はくぐもっている。しかし夕霧は目を細め唇の両端を器用に持ち上げると、目を白黒させているサザキをじーっと見つめ返した。

「そんなん、私の口から説明せんかてわかるやろ? こうしてよう見てみたら、サザキはん、私好みのええ男やったんやねぇ」

しみじみとつぶやかれたサザキは、びくりと肩を震わせた。そして慌てて夕霧の両の手首を掴んで顔から外そうとしたのだが、細く見えるそれは意外なほど頑強で、ちょっとやそっとでは動きそうにない。

歯を食いしばって手に力を込めるのだが、サザキの体勢が悪いのか夕霧の力が尋常ではないのか、やはり腕は外れそうになかった。このままでは千尋に二度と顔向けできない身体(?)にされてしまう!と、さすがのサザキが涙目になった途端、それまで万力のように締めつけていた夕霧の手が、するりとサザキの顔から離れた。

「……は?」

ため息とも安堵ともつかない声を漏らして、その場に両腕をついて座り込んだサザキの前で、夕霧は身体を折り曲げるようにして床に寝ころび肩を震わせていた。時折、呼吸音とともに忍び笑いが聞こえてきたので、サザキは眉をひそめて片足を伸ばすと、夕霧の向こうずねをがつんと蹴った。

「い、いたた…………な、なにしはるん……あはははっ……あ、ははっ」

首から上だけを微かに上げ、夕霧はサザキを見上げて抗議の声を上げた。しかしその表情は、笑いすぎてくしゃくしゃになっていたものだから、ますます癪に触ったサザキは、更に眉間にしわを寄せると、先ほど蹴ったのとは逆の足をつま先で攻撃した。

「ちょ! 痛いゆうてるやないの、もうっ…………くっくっく……」

「うるせぇ! 痛がるか笑うかどっちかにしろっ!!」

「ほんなら笑わせてもらいます……あっはっはっは!」

「て……てっめぇ……っ!!」

わなわなと肩を震わせているサザキにお構いなしに、夕霧はなおも楽しそうに笑い続けた。その姿を苦々しげに睨んでいたサザキは、やがてくしゃくしゃっと己の髪を掻きむしると、舌打ちをして立ち上がった。

「けっ、勝手に笑ってろ! もういいから帰れ! さっさと大陸でもどこへでも行っちまえっ!!」

吐き捨てるように怒鳴ったサザキがくるりときびすを返すと、ようやく夕霧の笑いは治まったらしい。しかし彼は体を起こそうとはせず、サザキに背を向けて寝ころんだままぽつりとつぶやいた。

「言われんかて帰るわ。私が出来んかったことを他の男がするのんを見るんは……癪やし」

夕霧の言葉に、サザキはゆっくり振り返った。そして、ようやく身体を起こし始めた夕霧の、意外に広い背中を見ながら口を開いた。

「……おまえ」

すると夕霧はいきなり両手を打ち合わせて「パンッ!」という高い音を響かせたかと思うと、くるりと振り返って笑った。

「さっきのことは堪忍な。あないなことしといてなんやけど、私かて相手は女の子のほうがええし」

「そりゃ、オレが言うことだっての」

「あはは。ほんならおたがいさまってことやね」

夕霧の一方的な提案に、サザキはむっとして口を開きかけた。だが何を思ったのか急に押し黙ると、気まずそうに視線を逸らして小さくため息をついた。

「……勝手にしろ」

すると夕霧は「ええ、勝手にさせてもらいます」と言い、柔らかく微笑んだ。だがすぐに真顔に戻ると、自分から視線を逸らしているサザキの横顔を見つめた。

「けど……あんたはんは、勝手したらあかんよ」

「なんだと?」

反射的に声を漏らしたサザキは、ちらりと夕霧の方へ視線を向けた。するとそこには、驚くほど真剣な眼差しで自分を見ている夕霧がいたので、サザキは思わず息を飲んだ。

「夢とか、昔からの仲間とか、いろいろ大事なんはわかるし、それなしではあんたという人でのうなってしまうんもわかる。けどあの子が……あの子が、ありのままのあの子らしいいられるんは、あんたはんが側におるからやと思う」

言って夕霧はふっと表情を和らげると、サザキの肩を握り拳でこつんと軽く叩いた。

「せやから……勝手にのうなってしまうんだけは、せんといてあげてな。これ以上、あの子にいろんなもん背負わせるんは、あんまり可哀相やから……」

「……夕霧」

なんと答えればいいのか躊躇っているサザキに、夕霧はにっと笑ってみせた。その笑みはどこか意地悪そうで、けれどほんのりと暖かく、そして寂しげだった。

「あれこれ考えるなんてらしないわ。こういう時はな、ただ黙ってうなずいてみせるんが、ええ男っちゅうもんやで?」