きみの、となり

(5)

「……なぁ、望美」

「んー、なに?」

洗い物を終えて川辺から戻ってきた望美の気配に、将臣は水平線に沈みかけたオレンジ色の太陽を見ながらぽつりと呟いた。

「さっき、なに作ってたんだ?」

「……さっき?」

将臣の問いかけの意味がわからず首をかしげた望美だったが、くるりと振り返って膝の上に肘を乗せた将臣が次に発した言葉に、引きつった表情を浮かべた。

「あんなに指に針を刺して、なに作ってたんだよ?」

「あ……えと…」

「繕い物なんて、今まで尼御前に頼りっぱなしだったろ。なのに、なんでいきなり縫い物なんか始めたんだ?」

「え、えと……その、やっぱり頼りっぱなしってのはまずいなぁって、思って……」

視線を逸らして答えてみたが、そんなことで誤魔化されるような将臣ではなかった。

「……ふーん。一念発起したってのか?」

「そ、そうそう!」

へらっ、と望美が笑うと、将臣はしばらく無言で彼女を見つめていた。が、やがて小さく溜息をつくと顔を伏せ、右腕をすっとあげて人さし指を動かして手招きをした。 そしてまんまと側に歩み寄ってきた望美の首に腕を伸ばすと、彼女の頭を押さえつけてわしゃわしゃと両手でかき混ぜた。

「おーまーえーなー。つくなら、もちっとマシな嘘つけっつうのっ!」

「いたいいたいいたいっっ!!」

「さぁ吐けーっ。なに企んでんだぁ?」

「わ、わかったわよぅ! 話すからっ!」

望美が堪らずに叫ぶと、将臣の手がぴたりと止まった。恐る恐る顔をあげて彼の顔を見上げると、将臣は口の端をきゅっと上げて微笑んだ。

「ん。話してみ」

勝ち誇ったような将臣の態度に望美はむうっと膨れたが、すっくと立ち上がるとそのまま小屋の中に姿を消し、しばらくして手になにやら赤い布をもって出てきた。そして将臣の膝にそれを乗せると、彼の隣にすとんと座った。

「これ」

将臣は、自分の膝の上に乗せられた赤い布ちらりと見下し、それが何であるのかにすぐ気がついた。そして躊躇いがちに手を伸ばして持ち上げると、感慨深げに見つめながら軽く下唇を噛んだ。

「……俺の陣羽織、か」

「うん……ううん、ちょっと違うかな」

「え?」

ゆっくりと隣にいる望美に視線を向けると、彼女は太股の上に肘を乗せて頬杖をついている。

「将臣くんだけど、将臣くんじゃなかった人……還内府の陣羽織、だよ」

望美は頬杖をつくのを止めてゆっくりと腕を前に伸ばすと、そのまま手を後ろについて、太陽の光を失い、代わりに星が輝き始めた空を見上げた。

「片づけしてたら、行李の隅にあったのを見つけたの。それで、やっぱり捨てられなかったんだって思った。私と同じだな、って」

「同じ?」

「私もね……捨てられなかったんだ。……ごめん」

「そっか――ま、謝ることじゃねぇだろ」

望美と共にこの小屋に来て、彼女が荷物を整理しているのをなにげなく見た将臣は、その中に望美が着ていた白い陣羽織を見つけた。

その途端彼の脳裏に、彼女がこれを着て戦場に出ていたこと、なにより自分が『源氏の神子』に刃を向けた時のことが瞬時に甦り、今さらながら身体が震えた。だがすぐに、何事もなかったように顔を逸らして、自分の荷物の整理を始めたのだが、おそらく望美はそれを見ていたのだろう。

その日の夜、他の連中と島の中心に集まって宴会をしていたときに、望美は将臣の隣に座って、まるで挨拶でもするかのように「あの陣羽織、あとで捨てておくね」と笑って言ったのだ。

「ここには戦も神子も必要ないもの。だからもう必要ないから」

けれど彼女は、それをいまだに持っているという。恐らく、捨てようとはしたのだろう。だが、最後の最後で躊躇って、けっきょく捨てられなかったのだろう。

「朔が縫ってくれたんだろ……捨てられなくて当然だ」

自分だけではない。彼女の陣羽織にも、戦いや苦しみだけではない思い出が詰まっていたのだ。

「……うん。朔がね、二晩徹夜して作ってくれたんだ。きっとすごく疲れて眠かったはずなのに、朔ったら『とてもよく似合うわ』って、とっても綺麗な、笑顔で…」

呟くように言って望美はしばらく地面を見つめていたが、やがて将臣の方を振り返り、微かな笑顔を浮かべた。

「時子さまから聞いたよ。その陣羽織、清盛からもらったんでしょう?」

「……ああ」

『清盛』の名に、昔のことを思い出した将臣は、ぎゅっと手の中の衣を握りしめた。そんな将臣をしばらく見つめていた望美は、やがてまた視線を天へと向けた。

「いろんなものを背負い込んで、すごく苦しかった時もあったけど……それを全部捨てられたら、どんなにいいだろうって思ったけど……」

空の星よりも、もっと遠いものを見ているような望美の瞳を、将臣は横からじっと見つめた。

「そんなことは出来ないんだって、この島に来てみてわかったの。だって『源氏の神子』だった自分を全部なくしちゃったら、私は私じゃなくなっちゃうもの」

「……そうだな」

望美が源氏の神子だったことを忘れられないように。自分も還内府だった過去は捨てられないし、捨てたくないのだと。