「ちょ、い、家康殿!?」
「貴重なお時間を割いていただき恐縮です、秀吉殿」
「いやいやいや。だから謝ることなんざねぇって! ったく、、どう言ったらわかってもらえんだか……」
今度は秀吉が困ったように頭を掻くと、家康の方は少し余裕ができたらしい。くすりと笑ってから顔を上げると、今日、羽柴邸に入ってから初めて穏やかな表情を浮かべた。
「やはりあの方がおっしゃっていた通りでした。秀吉殿はただ騒がしいだけのように見えるけれど、その実、とてもお優しいから、困ったことがあったら気軽にお話してみるのがよいでしょう、と……」
続けようとした家康の言葉は、秀吉が目の前にずいっと差し出した手の平に遮られた。家康が口を半開きにしたままその手の先に視線を向けると、秀吉の面映げな顔があった。
「たぶん褒めてくださってるんでしょうな、うん。けど、ただ騒がしいだけってなぁ余計ですが」
「え? あ! す、すみません!」
慌てて口元に手を添えて目を白黒させる家康に、秀吉は困ったように微笑んでから腕を下ろした。
「あんたも大概正直ですなぁ、家康殿。いくらお姫さんが言ったことでも、そのまんま言う必要はないですよ」
「そ、そうですよね!」
その口調から秀吉が怒ってはいないらしいと感じた家康は、指先で軽く頬を掻きながら苦笑したが、すぐに手の動きを止めると秀吉をまじまじと見つめた。
「あの、僕……桔梗姫がおっしゃったと申し上げましたか?」
家康の疑問に秀吉は頭を振ると、不思議そうに目を見開く家康の前で自分の頭を人差し指でちょいと小突いた。
「そんなもの、ちょいとばかり頭を働かせればすぐにわかりますよ。それともうひとつ。家康殿が珍しくここに来たのも、そのお姫さんのことで、なんじゃねぇんですかい?」
図星を突かれたらしい家康は、実にわかりやすく息を飲んだかと思うと、見る見るうちに顔を真っ赤に染めた。その様子を見れば、わざわざ問いへの返事をしてもらう必要はない。もしやとカマをかけたつもりだったのだが、どうやらずばりと的を射たらしい。
読みが当たったのは嬉しいが、顔を伏せる家康を見ると、そう喜んではいられないようだ。せっかく話が進みそうになったのに、また振り出しに戻しちまったか?と、秀吉は無意識に眉をひそめて頭を掻いたが、それは杞憂だったらしい。家康はほんの一瞬頭を垂れてみせたが、すぐにゆるゆると顔を上げて秀吉を正面から見据え、まだほんのりと顔を染めたまま口を開いた。
「はい……おっしゃる通り、僕が今日お伺いしたのは姫のことでして…ぜひ秀吉殿のお知恵をお借りしたくて」
「オレの知恵、ですか?」
「はい」
今度はきっぱりと言い切ってうなずいた家康は、自分を落ち着かせるためかゆっくりと細い息を吐いた。
「秀吉殿は、ええとその……女人の気持ちがよくおわかりになられるので、どのすればあの方が喜んでくださるか、ご存知かと思ったのです」
「ちょ、ちょいと待ってくださいよ!」
せっかく家康が話を進め出したというのに、秀吉は慌ててそれを止めると腰を浮かせ、床を這うようにして家康の前に進み寄った。そして無意識に身を引く家康の両腕をがしっと掴むと怖いほど真剣な表情を浮かべた。
「今の話から察するに……家康殿、あんたとお姫さんはつまりそういう間柄になったってことなんですかい?」
「そういう間柄……とは?」
「ああっ、じれってぇなぁもう! 要するにお姫さんと男と女の関係になったのかって訊いてんだっての!」
焦れて身をよじりながら秀吉が重ねて問うと、家康は瞬間ぽかんと口を開けた。しかしすぐに先ほどよりも更に顔を朱に染めると、思わず秀吉の身体をどんと突き飛ばした。
「そ、そそそっ、そのようなことっ、ありませんっっっ!」
勢いよく突き飛ばされてごろりと後ろに転がり一回転した秀吉は、仰向けに転がって天井を見上げながら、深く息を吐いた。
「そ、そうですかい。そんならよかった……」
「え? わああっっ! す、すみません秀吉殿っ! あのあのっ、お、お怪我はありませんかっ?」
「大丈夫、大丈夫。これっくらいなんでもねぇですよ。それよりお姫さんに何もなくて、本当によかったぁ!」
「あの、秀吉殿……それはどういう……?」
「ああ、気にせんでください。独り言、独り言ってね!」
「は、はぁ……」
仰向けに寝転んだまま安堵の笑みを浮かべる秀吉の様子に、家康はさすがに怪訝そうに眉をひそめたが、すぐに身体を起こすと秀吉の腕を取って引っ張った。そして彼を目の前に座らせ直すと、大きく息を吐いてから秀吉の顔を見つめた。
「あの、秀吉殿にご教授いただきたいのです。どのようにすれば、姫に感謝の気持ちを伝えられるのかを」
「そいつぁ、たとえばどんな物を贈ればいいのか、とか?」
こくりとうなずいて家康は、すすっと身体を後ろに移動させた。そして両手を軽く握り膝の上に乗せてから、ゆっくりと言葉を続けた。
「信長様に命じられた所為でもありましょうが、あの方は本当に足繁く僕を訪ねて来てくださいます。暖かい笑顔で僕を見ながら、優しく語りかけてくださるんです」