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似た者同士

(3)

言うと家康は件の姫の姿を思い浮かべているのか、ほんのりと頬を染めて嬉しそうに目を細めた。そんな様子に秀吉は軽い嫉妬のような感情を覚えて眉をひそめたが、すぐに何事もなかったように腕を組みながら大きくうなずいてみせた。ここで悋気を起こしたところで、また話がややこしくなるだけだからだ。

そうとは知らない家康は、秀吉の無言に促されたように再び口を開く。

「だというのに、僕はあの方の優しさに甘えて、いまだにまともにお話をすることもならない不甲斐なさで……我ながら情けない限りです」

「……」

「ですが、本当に感謝しているのです。怒ることもなく呆れることもなく、僕の心の準備ができるまでゆっくりお付き合いしますからとおっしゃってくださって。ですからそんな姫に、僕の感謝の気持ちを少しでもお伝えできればと……」

言いながら家康ははたと言葉を止めると、秀吉を改めて見てからふっと肩の力を抜いたように笑ってみせた。

「そういえばこちらに伺った時、秀吉殿も姫と同じことを言ってくださいましたね?」

「不思議な偶然ですね」と続けて、首を傾げ笑う青年の屈託のない様子に、秀吉はむずむずとした気恥ずかしさを感じて首の後ろを掻いた。片恋の相手と同じ台詞を言ったと言われれば嬉しくないわけはないが、伝えてきた相手が恐らくは恋敵(しかし本人は自覚していない)だと言うのは、どうにも居心地が悪い。

「まぁ、なんてんですか。何事も、無理強いはよくねぇってことだと思いますよ。とはいえ、姫さんはともかく、オレはそう深い考えがあったわけじゃないですが……」

くすぐったさを堪えながら秀吉が言うと、家康はふふっと小さく笑って小首を傾げた。

「やはり姫は人を見る目がおありのようです。僕は今まで、秀吉殿は僕とは違う世界に住んでいる方のように思っていましたから」

「それを言うならオレの方こそ、家康殿は天上世界のお方のように感じとりましたよ」

肩をすくめて秀吉が言うと、家康は驚いたように瞬きを繰り返した。

「え、僕がですか?」

「ええ。オレなんかとは出自も振る舞いも考えも全然違う、まさしく殿上人のように感じとりましたなぁ」

「秀吉殿……」

困ったように眉根を寄せる家康に、しかし秀吉は目を細めて笑ってみせた。

「だから、安心しましたわ。家康殿、あんたもオレと同じ人間だったんだとわかったんでね。むしろ男としては、なかなかの目利きでいらっしゃる。なにせ、オレと同じ女人に惚れ込んでるんですから」

かかっと音を立てるかの如く顔を赤らめる家康に、秀吉はからからと楽しげに笑って己の膝頭をポンッと叩いた。

「――と、お互いわかり合ったところで、話はここまでとしましょうや」

言って立ち上がりかけた秀吉の様子に、家康は慌てて中腰になると不満げな声を漏らした。

「ひ、秀吉殿。あの、まだ僕のご相談にお答えをいただいていないのですが……」

「あん? お姫さんへの贈り物について、ですかね?」

立ち上がって小首を傾げる秀吉を、家康はこくこくとうなずいてからすがるように見上げた。すると秀吉は家康をしばし見おろし、やがて己の顎をゆっくりと撫でさすりながら口を開いた。

「さて――そいつぁ教えられませんなぁ」

「ええっ?」

思わず漏れた頓狂な家康の声に、秀吉はにやりと笑って口を尖らせた。

「そりゃあそうでしょう。そいつをオレが教えちまうってのぁ、つまり恋敵に塩を贈るようなもんですからねぇ」

「で、ですから、僕はそのようなつもりではなく、ただ姫に感謝の気持ちを……」

あわあわと焦る家康を軽く睨んでいた秀吉だったが、やがてくくっと小さく吹き出してから、涙目になっている家康に微笑んだ。

「冗談ですって。けど、あのお姫さんには感謝の品なんぞ渡さんでもいいんじゃないですかねぇ」

思ってもいなかった意外な言葉に、きょとんとした表情を浮かべる家康の前に秀吉は改めて座り直すと、穏やかな表情を浮かべつつ彼を見つめた。

「家康殿が誠に感謝しているのなら、そいつぁきっとお姫さんに伝わっていますよ。そうでなきゃ、いくら信長様のご命令とはいえ足繁く通ったりせんでしょう。なにせあの姫御前は、相手が誰であろうと、嫌なものは嫌だとはっきりと言ってのける強さを持っているんですから」

秀吉の言葉に、家康はしばらくの間沈黙した。やがて大きくうなずいたかと思うと顔を上げ、晴れ晴れとした表情を浮かべた。

「――そうですね、確かに、あの姫はそういうお方でした」

「まぁ、それでもどうしても伝えたいのなら、『ありがとう』とひと言だけおっしゃればいいんじゃねぇですか」

「はい!」

嬉しげな笑みを浮かべてうなずく家康の様子に、秀吉は『結局、塩を贈っちまったなぁ……』と胸の内で苦笑した。それを知ってか知らずか、柔らかい笑みをたたえたまま家康はもう一度頭を下げると、すっと軽やかに立ち上がった。そして訊ねてきた時とは別人のように快活に言葉を紡いだ。

「ありがとうございました、秀吉殿。それでは、僕はこれから姫を我が邸へご招待し、想いを込めて茶を献じようと思います」

「へ? って、これからですかい?」

こういう大人しい手合いは、なにかを吹っ切るといきなり強気に出るなぁと妙な感心をしつつ秀吉は眉をひそめたが、家康はなおも笑んだまま「はい」と答えた。

「兵は神速を貴ぶ、ですから」

「は、はぁ……」

「――しくじった。こいつぁ意外に手強い相手かもしれねぇ」とぶつぶつ零してため息をつく秀吉に、家康はにこりと笑って手を差し出した。そして怪訝そうに見上げる秀吉に向かって、自分の言葉を確認するようにしっかりと口を動かした。

「秀吉殿、あなたもぜひいらしてくださいませんか? 僕は姫だけでなく、あなたにもありがとうと申し上げたいのです」

今度は秀吉が虚をつかれ、ぽかんとした表情で家康を見上げることになった。やがて秀吉の顔にじわじわと笑みが浮かび上がると、堰を切ったように彼は笑い出した。

そうして家康の手をちらと見てから頭を振った秀吉は、自分の膝を勢いよく叩いて弾みをつけながら立ち上がると、己より頭一つ高い位置にある家康の顔を改めて見上げ笑いながら歩き出した。

「そういうことならご相伴に預かりましょう。今のあんたとお姫さんを二人きりにするのは、どうやらオレにとってまずいことになりそうですしね」

秀吉に遅れないよう歩き出した家康は、ちらと隣の小柄な男を見てからふふっと笑った。

「僕はそんなつもりはありませんと申し上げたじゃないですか。ただ純粋に、感謝したいだけです」

「その素直さが厄介なんですよ。あんたとは、これからのことをいろいろ話し合う必要がありそうですなぁ」

「それは奇遇ですね。僕も、秀吉殿にお聞きしたいことがたくさんあるんですよ」

本音なのか戯れなのかわからないやり取りを繰り返しながら、秀吉と家康は肩を並べて玄関へと向かった。

おわり