手裏剣アイコン

つなぐ手と手

(3)

彼は胸元を掴んでいた手を無意識に伸ばすと、通り過ぎようとしていた桔梗姫の袖を掴んで引っ張った。当然のように彼女は驚き手を引こうとしたが、今度は秀吉の指が桔梗の手首を捕らえてぐいと引き寄せたものだから、姫は小さな悲鳴を上げて身体をよろめかせた。

彼女の悲鳴を聞いた途端、秀吉ははっと我に返って慌てて手を離したが時すでに遅く、妹姫の異変に気づいた光秀が素早く側に駆け寄ってくると、彼女の前に回り込んで秀吉とは気づかずに口を開いた。

「失礼だが、妹がなにか粗相でも?」

問う声は穏やかだが、彼からは殺気にも似た気配が漂ってきていた。そこで秀吉は諦めたように肩を落とすと、微苦笑を浮かべながら笠を上げて顔をさらして二人を交互に見やった。

「いやぁ、すまねぇ。ちいっとばかしおふざけが過ぎちまったみてぇだな」

「秀吉?」

わずかに目を剥いた光秀だったが、相手が誰かわかって安堵したのか闘気を消すと、肩をすくめて息を吐いた。

「まったく……相変わらず人騒がせですね」

「へへっ。まぁなんつうか、久方ぶりにお姫さんの顔を見たら、矢も楯もたまらなくなっちまってなぁ」

「まぁ無事ならば、そろそろ帰ってくる頃だとは思っていましたが…まるで無傷とは、つくづく悪運の強い」

「あんたも相変わらずだなぁ。褒めるつもりなら、もっとこう言葉を選んでだな」

「褒めるつもりなど毛頭ありませんよ。役目をきちんと果たすことなど、ごく当然のことでしょう?」

「あ、そう。……お姫さん、驚かせちまって悪かったな」

誤摩化すように軽口を飛ばして笑いながら桔梗を見ると、彼女はじっと秀吉の方を見つめたまま黙っていた。その視線に秀吉はそっと目を逸らすと、今度は光秀に向き直ってへらりと笑ってみせた。

「ってなわけで! 無事に戻ったオレを労うってことで、兄君にはここでご退場願うってのはどうだい?」

「は?」

目をしばたたせる光秀を横目に秀吉は桔梗の元に歩み寄ると、彼女の手をそっと握ってにこりと笑ってみせた。

「お姫さん、こっからはオレがお相手いたしましょうほどに、どうかご同行いただけねぇですかい?」

すると桔梗は大きく目を見開いて秀吉を見上げた。その表情に秀吉は逆に目を細めてみせると、ややあって桔梗はするりと秀吉に取られた手を引いた。

それは秀吉が予測していた行動だったが、彼はさも気落ちしたようにがくりと肩を落としてみせてから「あいや、残念無念! しかし姫の麗しきかんばせを拝めただけでもこの秀吉、無上の喜びと思って退散いたしましょう!」と大げさな口上を述べてきびすを返そうとした。しかしそんな彼の動きを止めたのは、他ならぬ桔梗姫だった。彼女は引いた手を秀吉の手首に添えて引き止めると、光秀の方へ半身で振り返った。

「兄様、少し秀吉殿とご一緒してきてもいいですか?」

すると秀吉と光秀は同時に驚いたように目を見張って、揃って口を開いた。

「桔梗、気でも違ったのかい?」「え、お姫さん、マジか!?」

二人の叫びに桔梗はゆっくりと首を振ると、秀吉の手をそっと離しながらくすりと笑った。

「ふふっ。お二人は思いの外、気が合うご様子ですね」

すると再び、光秀と秀吉は同時に複雑そうな表情を浮かべて息を飲んだ。その態度に桔梗はまたくすくすと笑い、それから改めて光秀に頭を下げた。

「どうかご心配なさいませんよう。いざとなりましたら、秀吉殿と刺し違えてでも操を守りますゆえ」

ぎょっとした秀吉は、思わず桔梗の顔を覗き込んで眉をひそめた。

「おいおい、そんな物騒なこと言わんでくれ。だいたい、オレがお姫さんに無体なことをするわけねぇだろうが」

「このように秀吉殿も申されております」

秀吉から目を逸らしにこと笑って桔梗が念を押すと、光秀は眉間を抑えて目を閉じて押し黙った。やがてゆっくりと肩で息をつくと微かに目を開け、ちらと妹姫を見おろしてまたため息をついた。

「仕方がないね、行っておいで」

「ありがとうございます」

にこりと笑った桔梗はふたたび秀吉に視線を戻して彼の袖を掴んでくいと引くと、戸惑う秀吉の様子に目を細めた。

「それでは参りましょうか、秀吉殿。私と逢い引きをなさるのはお嫌でなければ、ですが」

「なっ!? 嫌なわけねぇって!!」

目を見開いて大げさに首を振った秀吉は、自分の腕に添えられた桔梗姫の手を掴むときゅっと握りしめてきびすを返した。そのまま彼女の手を引いて歩き出すと、背後から光秀の大げさなため息が聞こえてきた。

「秀吉、くれぐれも妹のこと、頼んだよ。決して邪まな考えなどは持たぬよう…」

「心配ご無用! ちゃんと心得てるよーっ!」

苦笑いとも言えない笑みを浮かべつつ空いた手を振る秀吉を、桔梗姫はちらと見上げて目を細めた。