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夢への軌跡

(10)

秀吉の報告に信長は、怒るでもなく呆れるでもなく、むしろほんの少し楽しげな笑みを口元に浮かべていた。一通りの報告が済んだ後、顔を上げた秀吉を上座から見おろし、信長は脇息に肩肘をついた格好で口を開いた。

「秀吉。二、三、貴様に問うが……」

「はっ。なんなりと」

「城を囲うのみで攻めなんだは何故だ? 城主は篭城の構えだったと聞く。そうなれば戦は長引き、民も互いの兵も疲弊するぞ」

「確かに仰せの通り。なれど城主は領地の民の評判悪く、家臣の中にも人望のない悪漢。放っておけば、いずれ内部から綻びが生じるだろうと考えました。故にこちらから攻めて、無駄に兵を失う愚を避けましてございます」

「――ふむ」

信長は小さく声を漏らすと、おもむろに己の顎を撫でた。

事実、羽柴軍に城を包囲された敵軍は、最初こそ篭城の構えを見せていたが、秀吉が降伏の使者を送ったことで重臣達の中で分裂が起きたらしい。やがて強硬に抵抗を唱えていた城主の寝所を夜半に数人の重臣が襲い、彼の身柄と城の明け渡しを条件にした降伏を受諾する旨の知らせが来たのだった。

「なれば、更に訊ねる。城主を切腹ではなく斬首としたはなにゆえか?」

「切腹は武士の誉れ。あやつのような人の風上にも置けぬ輩を武士と同じに扱うは、世の乱れとなりましょう。さすれば罪人と同じく斬首が妥当であると判じました」

 

その話を聞いたほたるもさすがに顔を青ざめさせたが、秀吉に「奴を許せば、信長様の天下が軽んじられる。信長様の元では、正しく生きる者こそ安寧が得られるとわからせなきゃならねぇ。だからあいつには人身御供になってもらう……最初で最後の、あいつの罪滅ぼしってこった」と説かれ、ゆっくりうなずくと辛そうな笑みを浮かべた。

「家族は、いかがなりましょう?」

「女房らは実家や親族に預けた。子供は寺に預け、幼い者は養子先を探した。いずれ長じて実家のことを知ることにもなろうが、まともに育てば己の親の愚行を恥じ、仇討ちなど考えんだろうさ」

「そうですか……」

「家臣も城主に手を貸した者は罰するが、他は無罪放免にした。敗軍の将となればしばらくは苦しい生活だろうが、いずれ各々が拠り所を見つけて落ち着くだろうよ。数人ほど配下に入れてもいいと思う者もいたが……ま、そいつは追々とだな」

「……秀吉殿」

「ん?」

「それらの業、すべてお一人で背負うおつもりでしょうが、私も共に背負いますよ。私はあなたの妻ですから」

「そっか……ありがとうな、ほたる」

頭を垂れる秀吉にほたるは小さく首を振り、ただ柔らかな笑みを浮かべた。

妻の笑顔を思い出している秀吉の前に、信長はゆっくりと歩み寄った。そして気配に気付き慌てて顔を上げる秀吉の前で立ち止まると、改めて口を開いた。

「大儀であった。なにか褒美をとらそうが、欲しいものはあるか?」

信長の問いに秀吉はゆるゆると顔を上げて主を見上げ、やがて常のような人懐っこい笑顔を浮かべた。

「ならば、天下泰平をいただけますか? 誰も泣くことなく、みなが笑い合って、想い合って暮らせる平和をいただきとうございます」

秀吉の言葉に面食らったようにまばたきをした信長だったが、すぐに唇の端を持ち上げ笑ってみせた。

「はっ、欲のない奴よ。そのようなもの、余がすぐにくれてやるわ」

主の応えに秀吉が満足げに微笑むと、彼の脳裏に浮かぶほたるも嬉しげな笑顔を見せた。その顔に目を細めた秀吉は、信長に対して深々と頭を下げた。

おわり