かなでを背負ったまま建物の中に入った火積は、もどかしげに靴を脱ぐと玄関ホールを抜けて階段を上ろうとしたのだが、ふと考え込んでからくるりときびすを返し、食堂へ向かって歩き出した。そして食堂へ入るとそのままラウンジに抜け、中庭が見える窓の前にある長椅子の前で立ち止まると、かなでの身体をその上に慎重に下ろした。
長椅子に身体を横たえたかなでの足から靴を脱がせてから、火積は駆けるように食堂へ行くと、勝手知ったるキッチンでタオルや氷をかき集め、再びかなでの元へ足早に戻った。 彼女の額に改めて触れてみると、先に触れた時よりも熱くなった気がする。小さく舌打ちをして、ビニールに入れた氷を包んだタオルを額に乗せてやると、かなでが安心したようなため息をついた。
「小日向。少し、ここで寝てろ」
ぽつりと漏れた火積の声に、かなではゆっくりと目を開けて彼を見上げた。先ほどまでの怖い表情は消えていたが、緊張しているのかまだ表情は硬い。
「火積くん……」
「ほんとは、部屋に連れてってやったほうがいいんだろうが…他に誰もいねぇ間に、女の部屋に入るわけにいかねぇだろ」
こんな時にも生真面目なんだな、とかなでは火積を見ながらぼんやりと微笑んだ。
「薬、見あたらねぇから買ってくる。水はここに置いとくから、喉が渇いたら飲めよ。いいな?」
ちらっとサイドテーブルに目を向けた火積は、そのままかなでに背を向けた。そして歩き出そうとしたところで、シャツの裾をぐっと引っ張られて立ち止まった。 肩越しに振り返ると思った通り、かなでが上体を起こして火積のシャツをしっかりと掴んでいた。
「小日向…?」
すると彼女は大きく首を振って赤い顔を上げると、火積と目が合った途端に口をへの字に曲げてぽろぽろと涙をこぼした。
「……行かないで」
驚いた火積は、かなでがシャツをつかんだままなのを忘れ、慌てて向き直ろうと身体をひねってしまった。
「きゃあっ!」
「小日向っ!!」
かなでは引っ張られて長椅子からずり落ちそうになったが、すんでのところで火積が身体の下に滑り込むと、彼女の上半身を抱きかかえた。 かなでを抱きしめたまま、火積は安堵の息を吐き出した。そうして改めて、自分たちの体勢に気づいて顔を赤らめたが、かなでが胸元にぎゅっとしがみついたまま肩を震わせていることに気がつくと、眉をひそめた。
「……大丈夫か? どっか、ぶつけなかったか?」
するとかなでは大きく首を振ったが、顔を上げようとはしなかった。しかし、しばらくしてしゃくり上げる声が大きくなると、ゆっくり顔を上げて火積の顔を上目遣いに見つめた。
「小日向……?」
小さく声をかけると、かなではしゃくりあげながら火積のシャツをぎゅっと握った。そして涙でぐしゃぐしゃになった赤い顔を更に赤らめた。
「も……やだぁ。私のばかっ……ほっ、火積くんに会えるのっ……楽しみにしてたのにっ……なんで風邪っ、引いちゃうの……っくっ」
「……って。まさか、あんた朝から具合悪かったのか?」
驚いたように声を大きくして火積が問うと、かなではこくんとうなずいた。
「なら、ちゃんとそう言え」
「でもっ、そんなこと言ったらっ……き、今日は休んでろって言ったでしょ?」
「当たり前だ」
「うっく……だ、だから黙ってた…のっ。火積くんに会いたかったんだもん」
かなでの言葉に、火積は小さく息を飲んだ。そこまでして会いたかったのだと言われて、嬉しくないはずがない。だが、すぐに深いため息をついた。
「……だからって無理すんな。それに、あれだ。今日しか会えねぇってわけじゃねぇだろうが」
「だってっ……次、いつ会えるかわからないじゃない」
「そ、そりゃそうだが…。いつでも、時間作るってのは出来んだろ」
「いつかなんていやだよ。今日、会いたかったの。すごく会いたかったんだもん」
しがみついてしゃくりあげるかなでを見つめていた火積は、やがてゆっくりと息を吐いた。そして彼女の頭をあやすようにそっと撫でると、熱い身体を恐る恐る抱き寄せた。
「俺も…あんたに会いたかった。電話で声を聞くだけじゃ……全然足りねぇ」
「火積くん……」
「むしろ声を聞いちまったら、余計に会いたくて、会いたくて……どうにか、なっちまいそうだった」
かなでがくすんと鼻をすすり上げる音に、火積は微笑むと彼女の熱い額に唇を寄せた。するとかなでは驚いたように目を見開き、まじまじと火積を見返した。その表情が可愛らしくて、火積はまた目を細めると、少し開いているかなでの唇にそっと自分のそれを重ねた。
かなでの唇は思っていたよりもずっと柔らかくて、ほんのり熱を持っていた。軽く触れるようなキスを何度か繰り返すと、かなではうっすらと目を開け頬を染めた。