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Time Limit

(5)

「風邪……うつっちゃうよ」

「あんたの風邪なら……かまわねぇよ」

口角を上げて笑う火積の言葉に、かなでは赤い顔を更に赤らめた。そうして火積のシャツを掴む指に力を込めると、今度は自分から彼の口に唇を寄せた。

「好き…火積くん、大好き……」

小さなささやきに、火積はびくりと身体を震わせた。かなでの声は聞き慣れているはずなのに、こんな身体の芯が痺れたように疼く声は聞いたことがなかった。

「小日向…」

ぎゅっとかなでを抱きしめると、小さな身体が窮屈そうに身じろいだ。慌てて腕の力を緩め彼女の顔を覗き込むと、かなでは熱に浮かされた赤い顔を、火積の胸に押し当てていた。

「悪い……熱あって辛い、よな」

小さく首を振ったかなでは、やがてゆっくりと顔を上げて火積を見つめた。

「ううん、大丈夫。だから……やめないで」

口を小さく動かして告げられた言葉に、火積はわずかに目を見開いた。だがすぐにまた目を細めると、かなでの頬をそっと撫でた。

「……かなで」

唇がわずかに離れる度、彼の口から紡がれる自分の名に、かなでは嬉しくて身体を震わせた。 そうしてじゃれ合うように繰り返されるキスが、次第に別の熱を持ち始め、火積はかなでの手に自分の指を絡ませ、彼女の身体を長椅子から持ち上げるため細い腰にもう片方の手を廻した――のだが。

「ん? 鍵、開いてんじゃん。かなで、帰ってんのか」

「不用心だな。部屋に居たなら、誰か勝手に侵入してもわからないだろう」

「こんなボロいとこ、誰も入ってこねぇって」

苦笑しながら食堂に入ってきた響也は、ラウンジの長椅子の前で、お互いに背を向け床に正座して固まっているかなでと火積の姿に、ぎょっとして数歩下がった。

「な――お、お前ら、なにしてんの?」

弟が急に後ろに下がったことに、一瞬不快そうに眉をひそめた如月律だったが、響也の肩越しに二人の姿を認めて、ほんの少し表情をゆるめた。

「小日向、不用心だぞ。玄関はきちんと施錠しておけ」

「ご、ごめんなさいっ!」

「久しぶりだな、火積。小日向を送ってきてくれたのか?」

「あ? ま、まぁ……」

「そうか、世話をかけた。八木沢も来ているそうだが、よろしく伝えてくれ」

「う……うっす」

ぎこちなく頭を下げる火積と、彼に背を向けたまま真っ赤になっているかなでを交互に見比べていた響也は、やがて自分たちの登場が、どうやら二人の邪魔をしてしまったらしいと気がついた。そこで焦ったように咳払いをすると、二人にくるりと背を向け、兄の腕をぐっと掴んで引っ張った。

「あー、律。早く部屋に行こうぜ」

「いきなりどうした?」

相変わらず場の雰囲気を読まぬ兄の態度に、響也は呆れたように肩をすくめつつ、握った手に力を込めた。

「あんた、いい加減、空気ってのを読め!」

「響也、何を言っている? 目に見えぬ空気を、読めるわけがないだろう?」

「……あのな」

うんざりしながらも律をラウンジから連れ出した響也は、食堂を出て行くところで立ち止まって振り返り、意味ありげな笑みを口元に浮かべた。

「そんじゃ、もう邪魔はしないんで。続きをどうぞ」

「…う」

「あ。おい、かなで」

「な、なに?」

「……頑張れっ!」

「きっ、響也っ!」

ようやく動いたかなでは振り返って叫んだが、響也は高笑いを残して素早く姿を消してしまった。

一瞬の喧噪から取り残された火積とかなでは、同時に相手に視線を向け目が合うと、また揃って顔を真っ赤に染めてうつむいた。 そんなわけで、せっかく響也が気を利かせてくれた「続き」どころではなく、二人はラウンジの床で罰ゲームよろしく、しばらく正座し続けたのだった。

そうしてどれくらい座っていたのか、火積はなにげなく腕時計に視線を落としたかと思うと「…やっべ!」と舌打ちして勢い良く立ち上がった。それに驚いたかなでも、彼に背を向けたままびくりと身体を震わせてから、ようやく振り返った。

「あ……もしかして…」

「…ああ。もう、時間だ」

短く言って歩き出そうとした火積を追うように、かなではふらりと立ち上がったのだが、それに驚いた火積は慌てて彼女の肩を支えた。

「無理すんな。いいから休んでろ」

「だって…お見送り…」

「んなもんはいい」

「でも、新くんとも約束したもの。駅に行くねって」

「こんなに足下ふらつかせて、見送りもなにもねぇだろう。水嶋には、俺がちゃんと話しておく」

言いながらかなでの身体を抱き寄せ、あやすように頭を撫でると、かなでは小さく息を飲んだ。

「余計なこと考えねぇで、ちゃんと寝とけ」

「火積くん…」

「そんで、次に会う時まで、しっかり直してくれ。じゃねぇと……俺もいい加減、限界、近いみてぇだから」

顔を上げ、「? どういう意味?」と問うかなでのきょとんとした表情に相好を緩めた火積は、「さぁ…な」と呟きながら彼女の頭を軽く叩いた。

おわり