――小日向、いねぇのか。
食堂に入った途端、最初に脳裏に浮かんだ言葉に、火積は苦々しい表情を浮かべた。
先ほど食事をしたときも彼女の姿は見えなくてほっとした反面、しばらく口をきいていないこともあって寂しさが募った。だからもしかしたら、お茶を飲みに来てみたら姿くらいは見られるかもしれないという思いが、心の中にあった。
そしてかなでがいなかったことに落胆する気持ちと同時に、自分から離れようと決めたくせに、無意識に彼女の姿を探している自分が女々しくて情けなくて嫌になっていた。
食堂では、火積以外の至誠館メンバーがカードゲームに興じていた。それを遠巻きに響也と珍しく東金が見学し、時々無責任な茶々を入れて賑わっていた。 皆の騒ぐ姿を少し眺めてから、火積は麦茶を取りにいこうと食堂に背を向けたところ、気配に気づいた新が振り返って手にしていたカードを降ってみせた。
「あ、火積先輩っ! 一緒にカードしましょうよっ!」
「いや……俺はいい」
到底そんな気分になれない火積は振り返ろうともせずに右手を上げて軽く振ったが、台所へ足を踏み入れたところで背にかけられた声にぴたりと立ち止まった。
「小日向ならいないぜ。買い物に行かせたからな」
なんの脈絡もないような東金の言葉に、響也は怪訝そうな表情を浮かべて彼を見つめた。
「なんだよ、いきなり? そういや、あいつ飯のときからいなかったような……」
「ああ、色々頼んだからな。まぁ、帰って来るまでもう少しかかるんじゃねぇか」
椅子に逆側からまたがって座り、背もたれに肘を乗せた東金はさらっと言って笑ったが、その言葉に壁の時計を見上げた狩野が驚いた声を上げた。
「って、もう9時過ぎてるじゃん! こんな時間に、女の子一人で歩かせてて大丈夫かよ!」
「大丈夫だろ。あんな地味子を襲う物好きは、まずいないしな」
言ってくっと笑う東金を呆れたように見ていた響也だったが、不意に背後に近づいて来た並々ならぬ殺気に気づいて振り返ると、びくりと身体を震わせた。
「……てめぇ」
自分が睨まれているわけでもないのに真っ青になって固まる響也とは対照的に、明らかに殺気を向けられているはずの東金は、涼しい表情を浮かべたまま火積をちらっと見上げると、口角を上げてせせら笑った。
「なんだ、お前が怒る筋合いはねぇよな? これは俺と小日向の問題なんだから」
「確かにそうかもしれねぇ。だが、それがあいつを一人で行かせたことの言い訳にはならねぇよ。あいつに……小日向にもしものことがあったら、てめぇどうする気だ」
「知るかよ。さっきも言ったがあんなガキ、誰も襲ったりしねぇさ。そもそもあの程度の頼まれ事で、こんなに時間のかかるあいつが悪い」
「っ……の野郎っ!」
拳を握りしめて震わせて耐えていたらしい火積だったが、東金のあまりの言葉に顔を上げると唇をギリッと噛み締めて彼の胸倉に手を伸ばしかけた。だがその腕を後ろから思いがけない強い力に押さえつけられ、怒りに燃える目で振り返った。
「くそっ! 離せっ!」
「火積、落ち着きなさいっ!」
一喝されて、火積は驚いたように目を剥くと身体を硬直させた。火積の利き腕を後ろから掴んで押さえつけていたのは、なんと八木沢だった。
「ぶ、ちょう……」
「いいから落ち着くんだ。お前が今すべきことは、千秋を殴ることじゃない……違うかい?」
「……っ」
悔しそうにまた下唇を噛んだ火積だったが、やがて腕から力を抜くとだらりと脇に降ろした。そして八木沢がほっと息をついて手を離したところで、彼にぺこりと頭を下げると、素早くきびすを返して玄関に向かって駆け出した。
「あっ! 火積、待ちなさいっ!」
慌てて八木沢が追いかけようと数歩前に進んだが、それは間に合わず、玄関ホールから扉が盛大に閉まる音が聞こえて来た。だから八木沢は足を止めて小さく息を吐くと、東金の方を振り返って腰に両手を当てた。
「やれやれ……千秋の名演技のおかげで、小日向さんがどこにいるか教える前に行っちゃったよ」
「えっ……演技だってっ!?」
あまりの火積の迫力に固まっていた響也は、八木沢の言葉に驚いて東金を振り返った。すると彼は大して面白くもなさそうに、ふんっと鼻を鳴らした。
「当たり前だ。この俺が、こんな時間まで女を一人で出歩かせたりするかよ。小日向は蓮生と一緒に車で出かけてる、心配すんな」
「そ、そうだったんですか……なんだぁー。オレ、東金さんってなんて酷い人なんだろうって、火積先輩応援したのに」
「ああ、おれもおれも! 火積、今日ばかりはこてんぱんにするのおれがゆるす!って心の中で思ってた!」
「あ、あの、ぼ、僕も……す、すみませんっ…」
新が快活な笑みを浮かべ、狩野が苦笑いをしながら頭を掻き、伊織が申し訳なさそうに恐縮する姿を交互に見比べて、東金は細めた目で八木沢をじっとりと睨んだ。
「ユキ……お前、部員の教育はちゃんとしとけ」
「ははっ。それだけ千秋の演技が素晴らしかったってことじゃ……だめかな?」
八木沢が苦笑いとともに言うと、響也の涙声がすぐ後を追うようにして食堂中に響いた。
「あっ……あんな心臓に悪い演技、冗談でもすんじゃねぇっ!」