梅干し、昆布の佃煮、醤油で和えたおかかにシーチキン。
買い物を済ませて菩提樹寮に戻った二人は、そのままキッチンへ向かった。そして火積が買ってきた食材を調理台の上に並べている横で、かなでは米びつから米を出して研ぎ始め、電気釜のスイッチを入れた。
そこでようやく火積は、彼女がなぜ早々にパーティーを切り上げて帰ろうとしたのかを理解した。
「握り飯でも作んのか?」
すると鮭の切り身を網の上に並べながら、肩越しにかなでは振り返って微笑んだ。
「そう。至誠館の皆さんに、明日の朝食べてもらおうと思って」
「俺らに?」
「うん。朝早く仙台に着いて、そのまま学校へ行くって八木沢さんが言ってたでしょ。だから朝ご飯代わりになるものを渡そうって思ったの」
そのまま学校に、とは言ったが、それは言葉のあやというものだ。 いつも朝練を始めるくらいの時間に仙台に到着するのは確かだが、いくら八木沢が部活に対しては厳しくとも、長旅明けの朝の練習を免除するくらいの余裕はあるだろう。 それに仙台にだって早朝営業のファミレスもあれば、コンビニだってあるのだから、彼女が心配するような「朝飯抜き」にはならなくて済むはずだ。 だが火積は、あえて何も言わず「そうか……」とつぶやいて微かに微笑んだ。
ファミレスの温かいがありきたりの朝食メニューよりも、彼女が心を込めて作ったおにぎりの方が、はるかに美味いに決まっている。それに明日からは、彼女の手料理を味わう機会はなくなるのだから、ここは素直に好意に甘える方がいい。
「気を使わせてすまねぇな」
「ううん、私が好きでやってるだけだし。それに……」
「火積くんにお弁当を作ってあげられるの、これが最後だから……」と小さく付け加えたかなでの言葉は、蒸気を上げ始めた電気釜の音に消されて火積の耳には届かなかった。
買ってきた食材を並べ終え、シーチキンのフタを開けて器に入れてマヨネーズと混ぜ合わせ終った火積は、卵を割っているかなでを振り返った。
「小日向、こっちは終ったぜ」「ありがとう。味見してくれた?」
「ああ、大丈夫だ。他は? 他に、なんか手伝えることはねぇか?」
「んーと……ご飯はまだ炊いてるし、タッパーも用意したから、今はないかな。サロンでテレビでも見てて」
「そうはいかねぇだろ。俺らのためにやってくれてるってのに、あんたにばかり任せっきりじゃ申し訳がたたねぇ」
「いいの。私が作りたくて作ってるんだから、火積くんは向こうで休んでて」
フライ返しを手に持ったまま、かなでは振り返ってぷっと頬を膨らませた。そしてまだ渋る火積に詰め寄ると、彼の二の腕を掴んで背中を向かせ、そのままぐいぐいと押してキッチンから追い出そうとし始めた。
「お、おい、小日向っ!」
「いーから、向こうで休んでてくださぁい! 火積くんの為に作ってるのに、火積くんに手伝ってもらっちゃったら意味ないもん」
かなでがさらりと言い放った言葉に、火積の身体からふっと力が抜けた。それを見逃さなかったかなでは、さらに力を込めて火積の背中を押し続けた。すると火積が諦めたように息を吐いて歩き出したものだから、かなでは支えを失って前につんのめりそうになって慌ててたたらを踏んだ。
「……わかった、なら俺は向こうに行ってる。けど……なんかあったらすぐ呼べ。下手な遠慮、すんじゃねぇぞ」
「もぉ、大げさだなぁ」
くすりと笑ってから、かなでは改めてぺこりと頭を下げた。
「なにかあったら火積くんを頼るので、よろしくお願いします!」
「……わかってんなら、いい」
ぼそりと捨て台詞のように言ってきびすを返した火積は、そのままサロンではなく食堂の一角に腰を下ろし、テーブルに肩肘を付いて頭を乗せると、赤い顔をしたままゆっくりとため息をついた。
「……ったく。あいつ、危機感ってのがねぇのか」
今までだって一つ屋根の下で生活してきたとはいえ、それは他にも寮生がいた状態での話だ。しかもお互いを何となく意識してはいたものの、どちらもあと一歩を踏み出せずにいた曖昧な関係だったのだが、今は違う。
星奏学園が優勝することで幕を閉じた全国大会の祝賀パーティーで、火積はかなでに告白をし、彼女もそれを受け入れた。つまり二人は晴れて相思相愛、パーティ出席者達にとっても公認の仲となったのである。
その二人が、他に誰もいない思い出の寮に二人だけで居るというのに、かなでは相変わらずのんびりと構えていて、火積はなんとなく複雑な心境だった。
信頼されているのは嬉しい。が、男としてちっとも警戒されていないのは、正直なところ……なのである。
「あんま煽るようなこと言うなっても……わかんねぇだろうな」
そうなると心配なのは、自分が仙台に帰った後だ。
火積が気がついただけでも、かなでに好意を寄せている男は片手の指に余る。そいつらが火積がいなくなったのを幸いに、彼女に猛アピールを始めるというのも考えられなくはない。
しかもかなではあの通りの性格で、脳天気というかぼんやりしているというか、本人にはまったくその気がなくとも、相手に誤解されかねない台詞を漏らしてしまう可能性は極めて高い。
「誤解すんだろ。『あなたのために弁当を作りました』とか『頼りにしています』とか……言われたらよ」