「……帰ろう。アンジェリーク」
オリヴィエはゆっくりと階段を昇りながらそっと呟いた。
アンジェリークはぺたんとその場に座り込んで、マントを握りしめたまま動こうとしない。俯くとマントの上に涙が落ちて幾つもの染みをつくった。
ぎゅっと握りしめたマントをそっと口元に当てると、懐かしい彼の匂いがしたような気がして、思わず肩を震わせた。
『……ずっと一緒よって。……約束したのに』
「……さ、アンジェ」
オリヴィエが最上段に足を書けた時、その声は突然聞こえてきた。
「このまま帰すわけにはいきませんよ」
嫌な空気を感じて、アンジェリークはとっさに顔をあげる。と、いきなり腕を後ろにねじ上げられ、無理やり身体を引き起こされた。くっと顰める彼女の顔の横に金色の見事な髪がかかる。そして耳元に、聞きなれた声が響いた。
「所詮、レヴィアスという男もこの程度だったという事ですね」
「……ジュリ、アス様…?」
声はクッと皮肉に笑う。
「この宇宙の女王の力はほとんど無くなってしまいましたが……そういえばあなたも女王だったのですね、お嬢さん」
「悪い事は言わない、その手を離しな!」
オリヴィエはキーファーを睨みながら身構える。事態に驚いていたヴィクトールとゼフェルも階段を慌てて駆け上がってきた。
「動かないほうがいいですよ、みなさん。……彼女が大事ならばね」
キーファーはアンジェリークの身体を楯にするようにして向き直り、彼女の顎に手をかけると、ゆっくりと上を向かせる。
「レヴィアス様は、何故こんな小娘に執着なさったんでしょうね。それ程値打ちがあるようには見えませんけれど。……いや、アリオスでしたか。まあ、今となってはどちらでもいいのですがね」
「離してっっ!」
アンジェリークはキーファーの手から逃れようと必死で抗う。しかしねじ上げた手に力を込められて、微かに呻いた。キーファーは冷たい微笑みを浮かべ、アンジェリークを見つめる。
「私にも力が必要なんですよ。……もとの宇宙に戻る為に。レヴィアス様と同じように、女王陛下の力が、ね……」
キーファーがそうアンジェリ?クの耳元に囁くと同時に、激しい虚脱感が彼女に襲いかかった。
「アンジェっ!」
「動けばこの娘を殺しますよ。……大丈夫。おとなしくしていれば、力を頂くだけで退散しますよ」
アンジェリークの女王としての力が奪われるという事は、すなわち新宇宙の崩壊を意味する。彼女自身とて無事ですむ訳がない。しかしその彼女を人質にとられてはなす術が無く、歯噛みしながらも呆然と立ち尽くす仲間の様子を、うっすらと目を開けてアンジェリークは見つめた。どんどん体中の力が抜けていき、もう立っているのがやっとだった。
『………やっぱり私は皆さんに迷惑かけるしか出来ないの? アリオスを守れなかったように、自分すら守る事が出来ないなんて……だったらいっそ…』
やがて遅れてきたルヴァがハアハアと肩で呼吸をし、ちらりとキーファーとアンジェリークの様子を見上げ、驚きの声を上げた。
「ええっ! ま、まさかっ!?」
ルヴァのその声が響くと同時に、急にアンジェリークの掴まれた腕の呪縛が解け、いいしれぬ脱力感がすっと遠のいていく。
キーファーは自分に何が起こったか一瞬理解できなかった。アンジェリークを掴まえていたはずの腕の力が見る見るうちに抜けていく。
震える手を確認しようとして、ふと視線を己の胸元に向けた。するとそこにはレヴィアスの剣の切っ先が覗いていた。
「……ば、かな。レヴィ、アスは…」
キーファーはひと言呻き、頽れると同時に霧のように消えていった。
力が抜けてふらりと倒れそうになるアンジェリークを、後ろから誰かしっかりと支えてくれた。
「お、おまえ…」
仲間達は信じられないものを見たような顔をしている。
アンジェリークが半信半疑のまま振り向こうとすると、後ろから力強く抱きすくめられた。
「…ったく。相変わらずおまえは無茶するぜ」
皮肉ッぽい、けれどどこか優しい声がアンジェリークの耳元に響く。彼が顔を微かに傾けると、銀色の髪がはらりとアンジェリークの頬を撫でた。
「……あ」
アンジェリークは、自分の視界がみるみる曇ってきたのがわかった。胸が一杯になって込み上げてくるものを堪えようと必死になって絶えた。
「振り向くなよ。……ちょっとやばい格好だからさ…」
アンジェリークは彼の腕の中で何度も頷く。
振り向かなくたって、顔が見えなくたって……あなただってわかる。
こんなに私に切ない思いをさせられるのは、あなたしかいないから……。
「……おい、また泣いてんのか? ちゃんと約束守っただろ?」
彼は彼女の胸の前で組んだ手をあげると、アンジェリークの涙をそっと拭う。
その手に自分の手を重ね、アンジェリークは自分の頬に押し当てた。
「…しょうがねえな。……いいか、これからも俺が守ってやるから。だから…もう俺の前で泣くなよ」
「……う…うん」
アンジェリークは彼の手を握ったまま目を閉じる。……暖かい掌の温もりを感じながら。
「……おかえりなさい、アリオス」
アリオスは優しく微笑んで答えた。
「………ただいま」