陰陽夢

(20)

「……アリオス…なの? ……本当に…?」

アンジェリークはようやく呼吸が整うと、うっすらと目を開ける。涙に潤んだ瞳は僅かに揺れて、まだ視線がうまく定まらない。

「ア、アンジェリーク! まだ動かないほうがいいですよっ」

慌てて止めようとするルヴァをそっと押しとどめ、アンジェリークはふらりと立ち上がった。

「アンジェっ! 後ろに下がってなっ!」

歩き出したアンジェり?クに驚いて、オリヴィエは一瞬動きが止まる。そんな彼を振り返った少女は、今までオリヴィエ達が見た事もない不思議な雰囲気を漂わせていた。

「……アンジェ……」

剣を構えたオリヴィエの身体から、力がすうっと抜けていく。立ち尽くす一行を気にも止めずにアンジェリークは祭壇を昇り、蹲るレヴィアスへと歩み寄った。

『馬鹿やろうっ! 来るんじゃねえっ!』

アリオスの叫びにアンジェリークは優しく微笑むと、レヴィアスの肩をそっと手で触れる。

「……やっぱり生きててくれたんだ……よかった」

『早く下がれ!アンジェリーク! お前の目的はレヴィアスを倒すことだろう? そのチャンスは今しかないんだぞ。俺がこいつを抑えてる間に俺ごと消すしかないんだ』

「よかった……また会えて。もう……独りで行ったりしないで。私を置いて行かないで……」

アンジェリークは何も聞こえていなかった。……ただ、アリオスに会えた事が嬉しかった。

レヴィアスの背中に自分の頬を押し当て目を瞑る。閉じた瞳からすっと零れる涙が、レヴィアスの背中を段々と濡らしていった。

「守ってくれるって……約束したよね? ……ずっと一緒だって」

『……アンジェリーク…』

「…エ、リス、か…?」

レヴィアスはふっと顔を上げると、微かに首を傾ける。自分に触れる優しいぬくもりを確認する為に。

「……約束……絶対守ってね。……大好きよ……アリオス」

アンジェリークは小さな声で呟くと、目を閉じたまま呪文を唱え始めた。

……悪しき心に支配された魂を救う、聖なる祈りの呪文を。

「女王の御名において命じます。この者の魂を救いたまわん事を……解放の祈りよ、ここに」

 

その時、オリヴィエ達は確かに見たような気がした。

アンジェリークの背中から白く輝く翼が現れ、辺り一面を優しく暖かい光が包んでゆくのを。

 

『ここは? …そうか、我は破れたのだな。あの翼持つ小さき者に…』

レヴィアスは苦笑する。だが不思議と怒りはなかった。

『これで開放される…。忌まわしい運命からも、辛い思い出からも…』

レヴィアスは目を閉じる。……静寂がひどく心地よい。

「レヴィアス…」

優しい声が柔らかく耳に響き、彼はゆっくりと目を開ける。栗色の髪、碧の瞳の少女が懐かしそうに、そしてとても穏やかな顔で両手を差し出していた。

「やっとあなたに逢えた…本当のあなたに。……私の…レヴィアス…」

レヴィアスも微笑むと、少女の手を取る。

「エリス…やっと会えたのだな。迎えに来てくれたのか…? 俺を…許してくれるのか?」

『あの時お前を守ることの出来なかった、この俺を…』

エリスは深く頷き、レヴィアスをそっと抱きしめた。

「さぁ、還りましょうレヴィアス。私達の居場所はここではないわ。ここは…未来持つあの子達の世界…」

エリスの胸に顔を埋め、レヴィアスは生まれて初めて穏やかな気持ちになることが出来た。

子供のようにエリスに縋り付くと、自分の頬に涙が伝うのがわかり驚く。

けれどその心地よさに総てから解放された気がして、もう一度ぎゅっとエリスを抱きしめて呟いた。

「ああ…そうだな。…お前と一緒なら、お前の居る場所こそが、俺のいるべき世界だ。……今度こそ二人で行こう………エリス」

 

まばゆい光がゆっくりと収縮し始める。

光は球体となりさらに小さくなる。

やがて小さな光の宝玉は、祭壇の間で神々しく立つアンジェリークの掌の上で、光の粒子を振りまきながら回転する。アンジェリークは掌に光の球体を頂いたまま、ゆっくりと両手を天へと差し伸べた。

「……尊き方がその宝玉を天に頂いたとき、閉ざされしその身は呪いから解き放たれる」

ルヴァはその光景を見つめながらつぶやいた。

「ルヴァ様、それは…?」

眩しそうに祭壇に目をやりながらヴィクトールが問いかけた。

「…古い伝説ですよ。ロキシーの石化を解くために調べた文献に載っていた…とても古い…ね」

オリヴィエは目の前の光景をうっとりと眺めた。オリヴィエが守りたいと思った、美しいと思ったアンジェリ?クが目の前にいる。

……もう何もいらない。こんなアンタを見れただけで、私はもう十分に幸せになれたよ。

「アンジェリーク……本当に凄い娘だよ。最高に綺麗だ」

ゼフェルは苦笑する。知らず知らず感動している自分が照れ臭くて、つい吐き捨てるように呟いてしまった。

「たいしたもんだぜ………女王様ってのはよ」

光はアンジェリークの手を離れて、天へと昇ってゆく。

光が空へ溶け込んだ時、アンジェリークの翼はその役目を終えたようにふわりと消えていった。

 

光が薄らいで一行がもう一度祭壇を見上げると、そこには仲間を見つめて優しく微笑む天使と、彼女によって救われた男の残したマントが残っていた。