陰陽夢

(11)

「入っていいかい? アンジェリーク」

「……」

返事など期待していなかったのだろうオリヴィエは、無反応な事など気にもせずテントの入り口をめくった。そのまま奥に進むと、上体を起したまま俯くアンジェリ?クがいるベットの端に腰掛ける。

「これ、アンタに渡そうと思ってね」

無言のままのアンジェリークの右手を取ると、何かを握らせた。

「洞窟の外にね、転がってたんだ。あいつの剣と一緒に……」

操られるようにアンジェリークは自分の右手をゆっくりと開いた。そして小さな自分の手に収まってしまうそれを見つめ、ゆっくりと声を漏らした。

「これ、私があげた……」

 

『……へったくそだなぁ。ほら、貸してみろよ』

『……へえ、上手なのね』

『感心するほどじゃないだろ。こんなもん、誰でも吹けるぜ。おまえが不器用すぎるだけだよ』

『……そんな事言うんなら返してよ、もう』

『また、そんな面白い顔して。くれるって言っただろ……?』

 

アンジェリークはオカリナをじっと見つめた。

「あいつ、ちゃんと持ってたんだよ。最後の最後まで。それだけアンタの事、大事に思ってたんだ。……何だか妬けちゃうね」

口調はいつもと一緒だが、オリヴィエは笑っていなかった。

そして、じっとオカリナを見つめるアンジェリークの肩を励ますように軽く叩く。

「ねぇ、アンジェリーク。辛い気持ちはわかるよ。でもいつまでも落ち込んでたって、アリオスは帰ってこないんだよ? だからさ、レヴィアスを倒して、陛下をお助けするのが私達の……」

「……もう、いいんです……オリヴィエ様」

「え?」

オリヴィエは、諦めたように言葉を吐き捨てる少女を見つめた。

アンジェリークはオカリナから視線を逸らさず、俯いたまま呟き続ける。

「これ以上は私には無理……いいえ、最初から無理だったんです。

私ったら、皆さんに褒められて、つい自惚れて何でも出来るって思い込んでただけなんです。……馬鹿みたい……強くなったような錯覚起こして。その所為で…………一番大切なものを失くしてしまうなんて……」

 

彼の前ではいつだって自然になれる自分がいた。

気さくに話せる彼の存在がどれほど大切だったのか、一緒にいた時はわからなかった。

失ってみて初めて気がついた。自分にとって一番大切だったのが何だったのか。

こんなにも……彼の事が好きだったなんて。

涙が止めどなく流れる。でも、それを隠そうとはしなかった。

泣けば総てが解決するわけではない。しかし、そんなことはもうどうでもよくなっていた。

「彼がいない世界なんて……宇宙なんて……何だか疲れちゃったんです。……レイチェルに逢いたくなっちゃったんです」

天井を見上げて自嘲気味に呟いたアンジェリークは、次の瞬間、頬の辺りで高い音が響いたことに驚いた。呆然と目を見開いて何が起きたのか考えていると、やがてじんわりと痛みが広がり、がしっと肩を掴まれた。

「甘ったれてるんじゃないよっ!」

アンジェリークは叩かれた左頬を押さえた。微かに熱を持っている。

「レイチェルに逢いたいだって? 今のアンタが、どんな顔して彼女に逢えるのさ? 怖かったから尻尾まいて帰ってきたって言うつもりなのかい?」

「オリヴィエ様……」

「無理かもしれないって事くらい、みんな百も承知してるよ。アンタが頑張ってるから、私達もここまで来れたんだ。そのみんなをほったらかして、独りで逃げ帰るって言うのかい?」

アンジェリークは頬を押さえたままうなだれ、肩を小刻みに震わせている。

それでもオリヴィエはやめなかった。彼自身止める事が出来なくなっていた。

「アンタは今まで前を見て、前だけを見て進んできたんだよ。そんなアンタだから、私もここまで来たんだ」

「オリヴィエ様……私……」

「あいつだって、アリオスだって同じ気持ちだったと思うよ。だから一人で先走ったんだろうね、きっと。……馬鹿だよ、ほんと」

アンジェリークは溢れる涙を浮かべたままで、オリヴィエを見上げる。

オリヴィエはふっと視線を彼女から逸らした。

「そんなあいつの気持ちまで裏切るつもりなの? 見損なったよ……」

アンジェリークは涙が止まらなかった。しかし、さっきまでの涙とは少し変わっていた。

『……本当、私ったら最低だ。こんなに心配してくれる人がいるのに。守り通してくれた人がいたのに……総て放り出そうとしていたんだ』

「ご……めんなさい」

うつむいて両手で顔を覆うアンジェリークの髪をそっと撫でながら、オリヴィエは優しい口調に戻った。

「……ゴメン。痛かった? 女の子の顔を叩くなんて、私ったら最低だね」

アンジェリークは俯いたまま、ブンブンと首を振る。そして少し鼻をすすると、顔を上げて恥ずかしそうに微笑んだ。

オリヴィエはアンジェリークに困ったように微笑み返し、アンジェリークをそっと抱きしめると優しく囁く。

「……あのね、ホントは私がアンタの騎士になりたかったんだ。でもその席は他の人に取られちゃったからさ。せめて道化としてでもそばにいさせてよ。……アンタの笑顔がみれるようにさ」

「オリヴィエ様……」

オリヴィエは、すっと身体を放すと、お得意のウインクをアンジェリークに投げてよこした。

それはいつもとは少し違う、どこか寂しげなウインクだった。