「入っていいかい? アンジェリーク」
「……」
返事など期待していなかったのだろうオリヴィエは、無反応な事など気にもせずテントの入り口をめくった。そのまま奥に進むと、上体を起したまま俯くアンジェリ?クがいるベットの端に腰掛ける。
「これ、アンタに渡そうと思ってね」
無言のままのアンジェリークの右手を取ると、何かを握らせた。
「洞窟の外にね、転がってたんだ。あいつの剣と一緒に……」
操られるようにアンジェリークは自分の右手をゆっくりと開いた。そして小さな自分の手に収まってしまうそれを見つめ、ゆっくりと声を漏らした。
「これ、私があげた……」
『……へったくそだなぁ。ほら、貸してみろよ』
『……へえ、上手なのね』
『感心するほどじゃないだろ。こんなもん、誰でも吹けるぜ。おまえが不器用すぎるだけだよ』
『……そんな事言うんなら返してよ、もう』
『また、そんな面白い顔して。くれるって言っただろ……?』
アンジェリークはオカリナをじっと見つめた。
「あいつ、ちゃんと持ってたんだよ。最後の最後まで。それだけアンタの事、大事に思ってたんだ。……何だか妬けちゃうね」
口調はいつもと一緒だが、オリヴィエは笑っていなかった。
そして、じっとオカリナを見つめるアンジェリークの肩を励ますように軽く叩く。
「ねぇ、アンジェリーク。辛い気持ちはわかるよ。でもいつまでも落ち込んでたって、アリオスは帰ってこないんだよ? だからさ、レヴィアスを倒して、陛下をお助けするのが私達の……」
「……もう、いいんです……オリヴィエ様」
「え?」
オリヴィエは、諦めたように言葉を吐き捨てる少女を見つめた。
アンジェリークはオカリナから視線を逸らさず、俯いたまま呟き続ける。
「これ以上は私には無理……いいえ、最初から無理だったんです。
私ったら、皆さんに褒められて、つい自惚れて何でも出来るって思い込んでただけなんです。……馬鹿みたい……強くなったような錯覚起こして。その所為で…………一番大切なものを失くしてしまうなんて……」
彼の前ではいつだって自然になれる自分がいた。
気さくに話せる彼の存在がどれほど大切だったのか、一緒にいた時はわからなかった。
失ってみて初めて気がついた。自分にとって一番大切だったのが何だったのか。
こんなにも……彼の事が好きだったなんて。
涙が止めどなく流れる。でも、それを隠そうとはしなかった。
泣けば総てが解決するわけではない。しかし、そんなことはもうどうでもよくなっていた。
「彼がいない世界なんて……宇宙なんて……何だか疲れちゃったんです。……レイチェルに逢いたくなっちゃったんです」
天井を見上げて自嘲気味に呟いたアンジェリークは、次の瞬間、頬の辺りで高い音が響いたことに驚いた。呆然と目を見開いて何が起きたのか考えていると、やがてじんわりと痛みが広がり、がしっと肩を掴まれた。
「甘ったれてるんじゃないよっ!」
アンジェリークは叩かれた左頬を押さえた。微かに熱を持っている。
「レイチェルに逢いたいだって? 今のアンタが、どんな顔して彼女に逢えるのさ? 怖かったから尻尾まいて帰ってきたって言うつもりなのかい?」
「オリヴィエ様……」
「無理かもしれないって事くらい、みんな百も承知してるよ。アンタが頑張ってるから、私達もここまで来れたんだ。そのみんなをほったらかして、独りで逃げ帰るって言うのかい?」
アンジェリークは頬を押さえたままうなだれ、肩を小刻みに震わせている。
それでもオリヴィエはやめなかった。彼自身止める事が出来なくなっていた。
「アンタは今まで前を見て、前だけを見て進んできたんだよ。そんなアンタだから、私もここまで来たんだ」
「オリヴィエ様……私……」
「あいつだって、アリオスだって同じ気持ちだったと思うよ。だから一人で先走ったんだろうね、きっと。……馬鹿だよ、ほんと」
アンジェリークは溢れる涙を浮かべたままで、オリヴィエを見上げる。
オリヴィエはふっと視線を彼女から逸らした。
「そんなあいつの気持ちまで裏切るつもりなの? 見損なったよ……」
アンジェリークは涙が止まらなかった。しかし、さっきまでの涙とは少し変わっていた。
『……本当、私ったら最低だ。こんなに心配してくれる人がいるのに。守り通してくれた人がいたのに……総て放り出そうとしていたんだ』
「ご……めんなさい」
うつむいて両手で顔を覆うアンジェリークの髪をそっと撫でながら、オリヴィエは優しい口調に戻った。
「……ゴメン。痛かった? 女の子の顔を叩くなんて、私ったら最低だね」
アンジェリークは俯いたまま、ブンブンと首を振る。そして少し鼻をすすると、顔を上げて恥ずかしそうに微笑んだ。
オリヴィエはアンジェリークに困ったように微笑み返し、アンジェリークをそっと抱きしめると優しく囁く。
「……あのね、ホントは私がアンタの騎士になりたかったんだ。でもその席は他の人に取られちゃったからさ。せめて道化としてでもそばにいさせてよ。……アンタの笑顔がみれるようにさ」
「オリヴィエ様……」
オリヴィエは、すっと身体を放すと、お得意のウインクをアンジェリークに投げてよこした。
それはいつもとは少し違う、どこか寂しげなウインクだった。