陰陽夢

(9)

アリオスは一人で洞窟を抜け出してきた。アンジェリークが仲間と会いはしゃいでいる隙にそっと身を隠したのだ。

『――自分の事は自分でケリをつける。おまえらの手を煩わせる気はねえ』

なにより、彼女をこれ以上危険な目に合わせたくない。たとえ操られた感情だとしても、この想いは真実だった。

洞窟の入り口を見上げると、そこにはいつの間に来たのか光の守護聖が立っていた。逆光の中でその黄金の髪が鮮やかに輝いている。

「自分から戻ってきてくださるとは。……さすがはレヴィアス様の分身ですね」

端正な顔を僅かにほころばせ、その人物は口を開いた。その途端、アリオスには彼がジュリアスでないことがわかった。

「別に戻るつもりはないぜ。……あんたらのところにはな」

薄笑いを浮かべながら自分を見ているキーファーの脇を通りながら、アリオスは嘯く。

「では守護聖達のもとへ帰りますか? もっともあなたの正体を知って、彼らが受け入れてくれればの話しですが」

洞窟の坂を昇りきった所に立って、カインは冷ややかにこちらを見つめていた。

その瞳はアリオスを哀れんでいるようにも見える。それを見て、ふとアリオスは考えた。

『……こんな顔もできるんだ、あの穏やかで寡黙な闇の守護聖は』

しかしその考えを慌てて打ち消す。

『彼らは違う。……こいつらとはまるで。姿形は一緒でも、全くの別人だ。そう……俺とレヴィアスのように』

総てを吹っ切るようにしてアリオスはキーファーとカインを睨みつけ、手をふっと払いのける。

「……どけよ。俺が用があるのはあんたらじゃない」

彼らは黙って誘うように道を空け、アリオスに手出ししてこなかった。

アリオスは洞窟の入り口の岩に手をかけ身体を外に出し、一歩前に踏み出した。そして差し込む光を顔にうけ、眩しさについ手を翳す。

次第に眼が明るさに慣れると、ぼんやりと正面に浮かび上がる人影を黙って見据える。

それがアリオスが探していた……彼だった。

 

皇帝レヴィアス。この宇宙の侵略者。

守ると決めた少女の敵。そして……もう一人の自分。

「あんたが皇帝か。自ら乗り出してくるとは、ご苦労なこった」

アリオスは不思議な感情に捕らわれていた。始めて会ったはずなのに、ずっと昔から知っていたような。

アンジェリークを初めて見た時も、似たような感情が体中に走った。ずっと前から、前世から探していたような懐かしくてとても温かい気持ち。

でも、目の前の人物に対しては少し違う。懐かしいけれどひどく哀しい切なさの方が強かった。

もう一人のアリオス、は金と碧の冷ややかな瞳を不快そうに細めて吐き捨てる。

「今、我には力が必要だ。一度は捨てた物だが、再び完全体となる為にはやむを得ぬ。我が糧となるがいい」

アリオスは不敵に笑う。相手の感情に飲み込まれないよう、自分に暗示をかけるために。

「はいそーですかって聞けると思うか? 手に負えないからってとっとと放り出しといて、相手が強いと分かったらもう一度取り込もうとはな。随分勝手な話だと思わねぇのか?」

「愚かな。おまえに選択の余地などない」

「……レヴィアスさんよぉ」

アリオスは素早く剣を抜き、右手に持って空を斬る。

「一つ言わせてもらうとな……影には影の意地ってもんがあるんだよっ!!」

上段に構えて走り寄ると、レヴィアスに斬りかかった。肩を切り裂いた、と思うとレヴィアスの身体が陽炎のようにゆらりと揺らいで消える。

『上かっ!?』

アリオスは素早く左に跳んだ。すると今まで彼が立っていた場所が、魔力で削られ大きくへこむ。間一髪で攻撃を避けたアリオスは体制を立て直し、レヴィアスの気配を感じるように、剣を構えたまま呼吸を調え神経を研ぎ澄ます。

素早く、だが僅かに身体をひねって、後ろから繰り出される剣を躱す。削られた地面が土煙をあげて舞い上がった。そのまま振り向き、剣を一気に水平になぎらせた。確かな手ごたえを感じた。が、途端にアリオスの胸元を熱いものがすっとよぎる。

「っつ!!」

痛みに思わず左手で傷口に触れてみる。うっすらと剣をひいたような一文字の傷から、何かが流れ出し、自分の手を紅く染める。

「……我を傷つける事はおまえにはできぬ。……忘れるな、おまえは我の傀儡にすぎぬということをな」

傷口に気を取られ一瞬注意が逸れたのを、レヴィアスは見逃さなかった。アリオスがはっと顔を上げると、もうその背後を獲って立っていた。

「我を傷つければおまえも傷つく。だが、影が消えても本体は残る」

レヴィアスは背後からそう囁いた。振り向こうとしたアリオスは、背中に激しい衝撃を受けふらりとよろめく。すると彼の口の中に血が逆流してきた。

「ぐっ…!」

口元を押さえながらつんのめるように地面に膝を着いた。下を向いてしまい肩で激しく息をすると、胸元から剣の切っ先が覗いているのがわかった。そしてそこからとめどなく滴りおちる血の色を、アリオスは不思議な程冷静に見つめていた。

『俺の血も他の奴等と同じで赤い……』

やがて膝に力が入らなくなり、剣で身体を貫かれたままがくりと肩からその場に崩れ落ちた。

「最初からかなわぬと分かっていたはずだ。素直にしていれば、苦しまずとも済んだものを」

レヴィアスは冷ややかにアリオスを見下ろしている。

うつ伏せになって身動きが取れなくなりながらも、気丈にアリオスはレヴィアスを睨み上げて渾身の力を込めて毒づいた。

「…るせ…ぇ。俺に、はお、れ…の意地が、ある…んだよ。てめー…んかにわから…ねーだろう、けど…なぁ」

激痛の為、ぼやけた視界にさらに靄がかかってきた。その靄はゆっくりと集まり、何かを形作ってゆく。それは、だんだんと一人の少女の笑顔に変わっていった。

アリオスは微笑み返す。

『すまない。おまえを守るって約束……守れなさそうだ』

「お遊びはこれまでだ」

レヴィアスはアリオスの身体に突き刺さったままの剣に手をかけた。

アリオスは、一瞬びくっと身体を震わせたが、もう抵抗できる力は残っていなかった。急激に身体から力を奪われているのが分かる。もう目を開けている事も出来なかった。

やがてアリオスの意識は、深い闇の中に沈んでいった。

『……ごめん……な、アンジェリーク』

 

「おめでとうございます、レヴィアス様」

「うむ。あまり実感はないがな」

「いいえ、変わられました。私どもにはわかります」

「そうか。……さて城に戻るとするぞ。歓迎の支度をせねばな。あの者らがどこまでやれるか、せいぜい楽しませてもらうこととしよう」

皇帝と幹部二人は、空間に溶けるように消えた。

 

残されたのは、アリオスの剣と服。

風に吹かれて吹き飛んだ彼の服から、小さなオカリナがころころと転がり出てきた。