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「――それでも父は、暇さえあればティールの元を尋ねていました。時々は私を連れていってくれて。『この子はおまえの弟だよ。仲良くしてあげてくれ』と。でも……」
ナーディアが性質の悪い流行り病にかかったのは、ティールが三歳になった時だった。
なまじ健康であったので病気に対する抵抗力がなかったのか、若さの為進行が早かったのか、ナーディアは発病からわずか四日でこの世を去った。
ナーディア二十四歳。余りにも若すぎる彼女の死に、ケレトが悲しむ暇もなく王妃リディアが同じ病に倒れた。
その時ケレトは始めてわかった。王妃リディアもまた彼にとって大切な人であった事を。
王宮付きの優秀な医師のおかげで快方へと向かうリディアに、ケレトは今までのことを全て彼女に打ち明けた。
羽根布団をぎゅっと握ったまま黙って夫の告白を聴いていたリディアは、話が一段落すると気丈に顔を上げた。
「――その子をどうなさるおつもりか? アディルを廃し、跡継ぎとして王宮に引き取るのですか?」
「そのつもりはない。アディルは皇太子だ。今までもこれからも……」
「ならば……今までと同じ、普通の子供としてお育てなさいませ。その子の為にも、アディルの為にも……」
リディアの未来をしっかりと見たその答えに、ケレトは今際の際のナーディアをダブらせた。
「――私が死んだら、もうここに来ては駄目。ティールは砂漠の民の子、王家とは関係がないの。それがあの子の為でもあるから……。そしてこれからは、あなたの家族を大切にして。王妃様と皇太子殿下を……幸せにしてさしあげて」
「それから父がテュフォン老の元を訪れることはありませんでした。私は父の代わりにティールに会いに足繁く通いましたが、ひと言もその事で私に何か尋ねようとはしませんでした。父は……同じことをしてしまったと後悔したのかもしれません。父王タレンと同じ過ちを」
「同じじゃないと思うよ」
オリヴィエはふうとため息をついて髪をかき上げる。
「あんたのおじいさんは、確かに嫌な奴だね。悪いけどさいてーだよ。でもあんたのお父さんは違う。王妃様と同じ、王族って鎖で縛られた可哀想な犠牲者……まぁそこから抜け出す努力をしなかったのは、悪かったといえば言えなくもないけどね」
「私もそう思います。そして祖父や父と同じ過ちは絶対に犯してはならない。シルマやティールを不幸にする事だけは絶対に……」
「アディル…」
シルマは恋人を見つめる。普段は物腰穏やかで、怒った事などないのではと思ってしまう位、落ち着いた彼が今日は信じられないほど強い瞳をしている。
自分の事を思う気持が彼にそんな眼をさせたのだと思うと、たまらなく嬉しかった。
ティールは兄を見上げていた。
武術はからっきしで、虫一匹殺せない兄だが、今は誰よりも強く逞しく見える。
この人が自分の兄なのだと思うと、彼は誇らしかった。
「――肝心な事に話を戻そう。“アクハトの弓”ってのが王家の秘宝だってのはわかった。フェルカドがそれを欲しがってることもな。だが一体なんだってそんな伝説めいた武器なんか欲しがるんだ?」
オスカーは、少しぬるくなったお茶を一気に飲み干すと、第2の疑問をアディルにぶつける。
「もしかしてルヴァ……あんた知ってんじゃないの?」
オリヴィエが視線を末席で黙り込むルヴァに向けると、周りの皆もつられてそちらの方に身体を向ける。
「……ええ。あの、ですね。伝説通りだとすれば、アクハトの弓を手に入れればこの星の全てを手に入れる事が出来るらしいんですよ。人間だけじゃなくて、植物や動物、気候などの自然現象。それに太陽と月すらも支配できるといいます。あの弓を引くことが出来るって事は、アクハトとイナンナに選ばれた者ってことですからね。フェルカドが望んでいるのは、おそらく彼の存在を否定し続けた王家に対する復讐。正式に認められた皇太子を廃し、庶子として生まれ、影の存在だった自分がこの星の全てを手に入れる。それが彼のシナリオだと思いますよ」
「……んなくだらねー事のために……そんな事のためにティールの親父を殺したってのか? 自分の兄貴をっ!」
ゼフェルは拳をテーブルに叩きつけた。
「くだらぬ妄想だと笑いますか、義父上?」
自分の前で己自身をあざ笑う息子を、ギーブは笑うことが出来なかった。
愚かな事を、と思う。だがそれ以上に哀れで可哀想な子だと思わずにいられなかった。
「私は今まで自分の全てを否定して生きてきた。あらゆる事を隠し、隠されて時を過ごした。だが…もう限界です。私は生きたい。私は私として太陽の下を歩きたいのです。それを王家という鎖が引き止めるのならば……いっそその鎖を繋ぎ止める杭ごと粉々にしてしまえばいい。そう思う私は……愚かですか?」
ギーブは何も答えなかった。ただ黙って悲しそうに首を振ると、兵士に支えられるようにして謁見の間を後にした。
遠くなる義父の背中を黙って見送り、フェルカドは窓の外を見つめる。
天では月が、柔らかな光を地上へと投げ掛けている。優しい月の光は母親の抱擁を思わせる。だが自分にはその思い出はおぼろにしかない。
砂漠に照りつける容赦ない太陽の光の様な、蔑みや、憎しみに満ちた鋭い視線ばかりが思いだされる。
フェルカドは微かに俯くと、自分の両目に右手を当てる。
「殿下。砂漠より斥候が戻りました。皇太子とその一行、どうやら主星からの密入国者らしき連中ですが“クイトラの谷”の王家の墓に向かった模様です。なかなか腕の立つ連中らしく、反重力艇3隻が破壊されました。その為戻るのが遅れたと……」
フェルカドは天を仰ぐと、唇の端を歪めて忍び笑いを漏らす。くるりと振り返り、驚く親衛隊長をその印象的な深蒼色の瞳で睨みつけた。
「――アクハトの弓をおまえ達に渡すわけにはゆかぬ。あれは私の物だ。始祖より受け継いだ深蒼の眼を持つ私こそがふさわしい」
フェルカドはそう嘯くと、右手に握った義眼を握りつぶした。