疵痕

(2)

「お、おい?」

オスカーが思わず声を漏らしたが、ロザリアはまったく返事をしようとはしない。ただ黙って彼の手を握ったまま、ぐいぐいと引っ張って歩を速めるだけだ。

そうしてオスカーはロザリアに腕を引かれたまま、何事が起きたのかと怪訝そうな表情で中腰になっていたランディと、ティーカップこそ置いたものの立ち上がる気配を見せないオリヴィエと、そもそも紅茶を飲むことすらやめていない女王の前を通り過ぎながら、彼らに視線を送った。

「陛下、申し訳ありません。いささか粗相をしたので着替えて参ります……っと、ロザリア。そんなに引っ張らないでくれ」

「はーい、いってらっしゃい」

ひらひらと手を振ったあと、何事もなかったように大皿に盛られたクッキーに手を伸ばす女王陛下の隣で、オリヴィエもまた小さく肩をすくめてはみたものの、すぐに午後のティータイムを再開した。

ただひとりランディだけは眉をひそめ、オスカーの様子を伺うために彼らの後を追おうとテーブルを離れかけたが、途端にかかる女王とオリヴィエの声が彼の足を止めさせた。

「行かなくても大丈夫よ、ランディ。ロザリアに任せておけば」

「そうそう。むしろついてったら後悔するよ、アンタ」

「え? ど、どういうことですか?」

訳がわからない、という表情を浮かべたランディが、オスカーとロザリアの背中とオリヴィエや女王の顔を何度も見比べているのを感じながら、オリヴィエは苦笑いを浮かべ、女王は楽しそうにくすくすと笑った。

 

女王のティータイムが催される中庭は、女王の執務室のすぐ前だ。だからオスカーの執務室よりも、補佐官室のほうがすこし近い。

そうとわかってはいても、黙ったままのロザリアが自分を補佐官室に強制的に連れてきたことを、オスカーは少し不思議に思った。

ここには当然ながら、オスカーの私物はない。つまり、彼が着るための代わりの服はないのだ。

しかし、それをロザリアに指摘しようと口を開きかけたオスカーは、それまで無言で自分に背を向けたままだったロザリアが急に立ち止まって振り返ったのでついタイミングを外してしまった。だがロザリアの表情が怖いほど真剣なことに気がついたオスカーは、再び口を開きかけたところへ彼女が思いきり突き飛ばしてきたものだから、不覚にもバランスを崩して後にひっくり返ってしまった。

だがそこには大きなソファがあり、オスカーの感じたショックはそれほど対したものではない。むしろそれよりも、仰向けにソファに転がされた自分の上にロザリアが真剣な表情のままのし掛かってきたほうが、よほど衝撃的だった。

「お、おいっ!?」

自分でも驚くほど掠れた声を漏らすオスカーを無視し、ロザリアは忙しげに彼のシャツのボタンを外していく。そしてオスカーの意志などお構いなしとばかりに強引に袖から引っ張りシャツをはぎ取ってしまった。

「お、お嬢ちゃん。なんだ、ずいぶんと積極的だな」

自分を落ち着かせるため、オスカーは敢えてむかし彼女を呼んでいた呼び名で苦笑いを浮かべたが、ロザリアは黙ってオスカーを見つめたまま、取り上げたばかりの彼のシャツをぎゅっと握りしめた。そしてきびすを返すと足早にその場を去ってしまったので、ひとり残されたオスカーはぽかんとした表情を浮かべた。

やがて、ゆっくりとオスカーの右手が自身の額に乗せられた。そうして深い息を吐き出したオスカーは、上半身裸のままソファに全体重を預けて目を閉じた。

「……なんなんだ、いったい」

だがそんなオスカーの疑問は、続の間から聞こえてくる足音に打ち消された。姿を見せたのはやはりロザリアで、彼女は息を切らせながらソファの側に駆け寄ると、オスカーが上半身をわずかに持ち上げようとするのを視線で制し、両手に抱えていたタオルを一枚だけ残してソファの前のテーブルに乗せ、手にしていたタオルをそっとオスカーの胸元に当てた。

「火傷はまず冷やさないと。少し冷やしたら、その後お薬を塗りますから……」

「……ロザリア」

タオルをじっと押さえているロザリアの手がわずかに震えていることに気がついたオスカーは、ほんの少しだけ上体を起こすように身じろいだ。しかし「動かないで!」と悲鳴にも近い声で叫ぶロザリアの様子に、ぴたりと動きを止めた。

だが、正直この姿勢でおとなしくしているのは結構辛い。だからオスカーはまた少しずつ身体を動かし始めたが、今度はロザリアはなにも言わず、タオルを押さえたまま視線を床に落とした。

「ロザリア……」

ようやく背中をソファの肘当てまで移動させることが出来たオスカーは、苦笑とともにそう呼びかけた。だがロザリアはうつむいたまま、顔を上げようとはしない。

「大丈夫だ。ほら、たいして赤くなってないだろう?」

安心させるように穏やかな声で告げたオスカーは、タオルを握りしめるロザリアの手を右手でそっと包み込んだ。するとロザリアは一瞬肩を震わせたが、すぐに小さく「……タオル、冷たい物に代えなくては」と呟いて、オスカーの手から逃れようと腕を動かした。しかし、それをオスカーは許さず、逆に彼女の身体を引き寄せるために強く引っ張った。