「なーるほどね。アンタの言いたいことはわかったよ」
オリヴィエは中身のなくなったティーカップをゆっくりとテーブルに戻し、オスカーを見上げて呟いた。
「やっぱりアンタが全面的に悪いんじゃないかっ」
「そう言われると身も蓋もないぜ」
「わかってるんなら、これからはもうバカな真似はやめるんだね。もっとも、ロザリアが戻ってきてくれたらの話だけど」
「俺は俺なりにいろいろ考えた上での行動だったんだがなぁ」
「どこがだいっ!!」
オリヴィエがテーブルを叩くと、ティーカップががしゃんと音を立てて揺れた。
「おい壊すなよ。そのセットはロザリアも結構気に入ってるんだから」
オスカーが自分のカップに紅茶を注ぎ終わるのを待ち、その手からティーポットを奪うようにして引ったくると、オリヴィエはオスカーを睨みつける。
「ちよっとは反省してるのかと思えば、アンタって男はぁ?!!」
オリヴィエが睨んでいると知りながら、オスカーは言い返しもせずに平然と紅茶を啜った。そしてカップをテーブルに戻すと、改めてきちんと座り直す。
「あのな。ロザリアには隙がないと思わないか?」
「そりゃあアンタみたいな男相手じゃ、隙があったら大変な目に遭うからだろ?」
「茶化すなよ」
オスカーはオリヴィエの言葉に苦笑を浮かべた。が、すぐに真面目な顔に戻ると軽く顎に手を添える。
「なんというか、完璧というか、完璧を目指してるんだ、そして実際それは成功してる。ノロケなんかじゃなく、お前の目にもそうは映らないか?」
「ま、ね」
カチャンと音を立ってスプーンをソーサーに置くと、オリヴィエは微かにうなずいてみせた。
ロザリアの女王補佐官としての力量の凄さはつとに有名だ。
テキパキと仕事をこなし颯爽と聖殿を歩く姿に、男性はおろか女官達もうっとりと見惚れるものが多いと聞く。その姿からは、とても数年前にその任についたとは思えないほどの風格が漂っていた。
「彼女はあらゆる面で完璧さを求めている。女王補佐官としての自分だけでなく、プライベートでもそうだ。よき妻、よき女主人であろうとしている。……けどな」
言うとオスカーはふっと視線をオリヴィエから逸らし、中庭へと続く窓の風で揺れているレースのカーテンを見つめた。
「気を張りすぎているように見えるんだよ。どこにいても、誰と会っていても、いつも緊張している。それが……危なっかしくて見ていられない」
「張りすぎた糸はもろくて切れやすい、ってこと?」
オリヴィエの漏らした言葉に、オスカーは黙って頷く。
「彼女は強く見えるが、本当はひどく脆い。だからそれを隠すために、気丈に振る舞ってる。この俺の前でさえも……な」
「それで、それをほぐしてあげようとして悪さしてるっていうのかい?」
「ああ。ま、それだけじゃないがな」
そう答えてオスカーは苦笑した。
彼女の反応は実に洗練されている。こちらの言葉に対し、小憎らしいほどの返答が返ってくるのがオスカーには楽しかった。
しかし、時に意外なほどうろたえたりウブな反応をする事がある。実はそれが、オスカーにとって一番楽しい瞬間だったりする。
我ながら悪趣味だとは思う。だが、そんな時のロザリアは、本当にいい顔をしているのだ。
大人ぶっているのでもなく、子供過ぎるわけでもなく、年相応の当たり前の女性に見える。自然に呼吸をしているように思える。
女王や補佐官の仕事は大変だと思う。少し背伸びをしなければ、他に示しがつかないと彼女が考えるのはわかる。だが、プライベートでは、プライベートくらいはもう少し肩の力を抜いてもいいのではないかと思うのだ。
現に女王であるアンジェリ?クは、それを見事にしてのけている。
女王として執務につく彼女は実に神々しく、光輝に溢れている。だが一端仕事を離れると、ころころ笑ったり走り回って転んだりと、同じ人物かと思うほど普通の少女に戻ってしまうのだ。
だからといって、誰も彼女の女王としての力量を疑ったりはしないし、むしろ尊敬と崇拝だけでない人柄に身近さを感じるのだろう。その人気たるや、聖地のみならず主星や辺境惑星に至っても絶大なものがあるではないか。
今となると、彼女以前の女王は、なぜああも自分の存在を隠していたのかさえ不思議に思えるほどだ。
だからロザリアも、そうなってくれたらと思う。笑ったり泣いたり怒ったり悲しんだり。それを廻りの人間に、素直に見せてくれるようになったらと。そうすれば、彼女の世界はきっと、もっと広がるのだから。
「じゃ、謝る気はないわけだ」
「そんな事はないさ。少々やりすぎたと反省してる」
信じられないという疑惑の目をあからさまに向けられ、オスカーはくっと軽く笑う。
「さっきもシャワーを浴びながら、一体どう言えば彼女を連れ戻せるかをずっと考えてた。いっそ彼女の足下にぬかずいて許しを請おうかってな」
「バーカ」
オリヴィエは呆れかえってソファに沈むと肩をすくめる。そんな芝居がかったことをすれば、ますますロザリアは怒るだけだろう。
「素直に悪かったって言えばいいだろ。なんでそんな簡単なことが出来ないのかねぇ。アンタはロザリアが素直じゃないって言うけど、アンタもそうとう素直じゃないよ。」
「まったくだ。そういうのはランディに譲っちまったんでな」
「元々持ってなんかいないくせによく言うよ」
「……あの。……俺のこと、呼びましたか?」
オリヴィエとオスカーが言い合っていると、そこにタイミング良くランディが顔を覗かせた。
「よう坊や。どうだ、少しは気分が良くなったか?」
オスカーのいつもと変わらない言い方に安心したのか、ランディは明らかにホッとしたような笑みを浮かべるとぴょこっと頭を下げる。
「はい、おかげですっきりしました。ありがとうございます。それから、あの……すみませんでした、オスカー様っっ!!」
「……なんで謝るんだ?」
「だって俺、きっとオスカー様に嫌な思いをさせたんだろうなぁって。甘えたこと言ったり、その……言わなくていい事を言っちゃったりとかしたし」
ランディがぽりぽりと頬を掻きながら視線を逸らすのを見つめていたオスカーは、やがてふっと笑うと立ち上がり、ランディの肩をポンと叩いた。
「お前が謝る必要はないぜ。俺の方こそ大人げなかった。すまなかったな、ランディ」
「え、あ、い、いえっっ! そ、そんなことないですっ! 確かに驚きましたけど、でもオスカー様が本気で俺を鍛えてくれてるんだって思うと、ちょっと嬉しかったし」
そう言うとランディは照れ臭そうににこっと笑う。
ランディのこういうところが、きっと自分は気に入っているのだろうとオスカーは思う。隠し事をせずに、自分の思った事、感じた事を真っ直ぐにぶつけてくるのが、この少年の良いところだ。だから時にその発言はグサリと相手の胸を突き刺すこともあるのだが、今はまだこのままでいいと思った。
いつかこの少年も、この素直さを押し止める術を身に付けてしまうのだろう。だからこそ、今はまだこのままでいて欲しいと思っている。
ランディの顔はオスカーの謝罪の言葉とシャワーのおかげですっきりさっぱりとしていたが、髪は半乾きであちこちに刎ねていた。
それがなんともランディらしいといえばらしいのだが、身だしなみにうるさいオリヴィエは、オスカーとランディの話が終わった途端に眉を顰めて立ち上がり、ズンズンとランディに歩み寄ると彼の髪を摘み上げる。
「それにしてもこの子ったらっ!! こんな生乾きで戻ってくんじゃないよっ!」
「え? で、でも、俺はいつもこんな感じですよ。それにほっておけばそのうち乾くし」
「あ?もうっ!! だからいつもクシャクシャになるんじゃないかっ! オスカー、鏡とブローセット一式借りるよっ! さ、ついといで、ボーヤっ!」
「い、いいですってば、オリヴィエ様っ!」
オスカーは、無理やり引きずって行かれるランディとオリヴィエに続いて居間を出ると、くすっと軽く笑いながら二人の背中に向かって声をかけた。
「ちょうどいい。俺はこれから出かけるんで、悪いが留守番をしててくれ」
「え? ど、どこに行かれるんですか?」
ランディの助けを求めるような情けない声に、オスカーはウインクを返すだけだ。
「坊やの素直さを見習って、麗しの姫君をお迎えにな」
ランディの首筋を引っ張って歩きながら、振り返りもせずにオリヴィエが答える。
「どこにいるかわかってんのかい?」
「当然だろう。彼女のことは全て知り尽くしてるさ」
「あっそ。ほら、行くよランディ!」
「い、いいですってばぁ?!!」
ズルズルとランディを引きずりながらオリヴィエは呟いた。
「な?にが、知り尽くしてる、だよ。あの子がムキになったり怒ったりするのはアンタの事でだけだってこと、ちっとも知らないくせに」