ほうっと溜息をつくとロザリアは空を見上げた。そしてぱたんと本を閉じると、樹にもたれ掛かって目を閉じる。
さわさわと葉が風に揺られて音を立てているのを聞きながら、ようやくロザリアは落ち着いてきた。
ここは女王宮の中庭だから、誰かに見られる心配もない。例え来たとしてもそれは女王であり親友であるアンジェリークだから、多少くつろいだ姿を見られても問題はなかった。
殴るつもりはなかった。ただ恥ずかしくて、誰かにこんな姿を見られるのが嫌で。
いつもきちんとしている自分が、あんな風にオスカーと戯れているところを屋敷の使用人達が見たらどう思うだろう。それを考えるとただ逃げ出したくてあんな風に暴れてしまった。
軽くあしらえないなんて子供だと思われたのではないだろうか。やっぱりオスカーには不釣り合いだと思われたのではないか。
考えれば考えるほど不安になる自分が嫌で、ロザリアはその考えを打ち消すように頭を軽く振った。
だがすぐに不安が押し寄せてくる。もうあそこには帰れないかもしれない。
きっと呆れただろう。可愛くない女だと思われただろう。あんな事も笑い飛ばせないなんて大人げないと笑っているかもしれない。
「……今は考えるのをやめよう。もう少し落ち着けば、いい考えが浮かんでくるわ。絶対」
ぽつりと呟くと、離れの方からカサカサと草を踏む足音が聞こえてきた。その足音は段々こちらに近づいてくる。それは多分「お茶を持ってくるから」と言って離れに戻ったアンジェリークのものだろう。
だからロザリアは目を開けずに、樹にもたれ掛かったままじっとしていた。やがて足音は自分のすぐ隣で止まり、かさりと音を立ててその場に座った。
それでもロザリアは目を開けなかった。そして目を瞑ったまま口を開く。
「あのね、アンジェリーク。わたくし……怖いのよ。もしかしたら、自分が思ってるのとは違って、廻りは皆わたくしを子供だと思ってるんじゃないかって。でも、補佐官が子供じゃあ、貴女を助けて守っていくことは出来ないわ。そう思うからわたくしは今まで必死で頑張ってきたの。頑張ってこれたの」
隣に座った人物の身体が微かに動くのを感じながら、ロザリアは言葉を続ける。
「それにね……あの人にも釣り合わないと言われるのじゃないかと思うと不安だった……。だから余計に力が入ってしまうの。あの人の前ではいつも大人でいようって。皆の目にも、あの人にふさわしい大人に映るように頑張ろうって。でも……ダメね。やっぱりダメだった。あんな事ぐらいで大騒ぎして飛び出すなんて、やっぱりわたくしはまだ子供だわ」
女王候補でもなく、貴族の令嬢でもなく、補佐官でもない、わたくし自身を見てくれた人。
そう知っているのに、わかっているのに。甘えさせてくれたのに。
それでも素直になれない自分を受け入れて包み込んでくれた人だったのに。
「やっと見つけたわたくしの居場所だったのに……」
呟くと、オスカーの前では我慢していた涙が溢れてきた。その涙を、隣に座っていた人がそっと指で拭ってくれた。ロザリアはその手の優しさにふふっと笑うと目を開ける。
「ありがとう、アンジェ……え?」
目の前にあったのはアンジェリークの大きな緑の瞳ではなくて、いつも見慣れた薄い青の瞳。
「困ったな。ロザリアを泣かせたら承知しないと、いま陛下に言われたばかりなんだが」
「ど、どどどうしてあなたがここに?」
どもるロザリアをきゅっと抱きしめ、腕の中でもがく彼女を見つめながらオスカーは軽く笑った。
「君に謝ろうと思ってな。まったく、陛下にさんざん嫌みを言われて参ったぜ」
「ここは陛下のプライベートなお庭なのよ!? そ、そこに入り込むなんて、あなた、なんて事を。ど、どうしてこんな無茶をなさるのっ!」
「どうしてって、君がここにいるからに決まってるだろう。おかしなことを聞く姫君だな」
言うとオスカーはロザリアの手を取り、その甲に唇でそっと触れて彼女の青紫の瞳を覗き込む。
「君がいる場所が俺の居場所だ。だからたとえどこにいようとも、俺は必ず君を探しだして捕まえる。たとえ地獄だろうと、な」
息を飲んで黙り込んだロザリアはしばらくオスカーを見つめていたが、やがてふわりとオスカーの胸に寄り添うと諦めたような苦笑を浮かべる。
「でも、わたくしこんな子供ですのよ。あなたに釣り合わないわ」
「誰がそんな事を言ったんだ?」
「だって……」
顔を上げるロザリアに向かって、オスカーは優しく微笑んで見せる。
「俺は大人だからとか子供だからとかで君を選んだんじゃないぜ。君が君だから、ありのままのロザリアだから、一緒にいたいと思ったんだ」
オスカーの言葉を聞いても、ロザリアの不安な気持ちは拭いきれなかったのか、僅かに視線を逸らす彼女の髪に軽くキスを贈る。
「無理に大人ぶったり背伸びしなくていいさ。釣り合うとか釣り合わないとか、そんな事は他人が好き勝手に推測してるだけだろう。勝手に言わせておけよ。俺がいいと言ったらいいんだ。君は俺の言葉だけを信じてればいい。……簡単だろう?」
いつもながら強引だと思う。大体、今朝のあの騒動のことだって、彼はひと言も謝ってはいない。
謝罪の言葉も根拠も理論も何もなく、ただ「信じろ」の一点張り。なのにこんなに心が軽くなるのは何故なんだろうと思う。
さっきまでのもやもやとしていた気分と、あれだけ彼に対して腹を立てていた今朝の気持ちは一体どこに行ってしまったのだろう。
勝手で、強引で、自信家で、意地悪で。でも優しくて、暖かくて、側にいるとほっとできる。
この人に会えてよかった。側にいられてよかった。好きになって……よかった。
立ち上がって埃を払ったオスカーとロザリアは、やがて寄り添うように歩き出した。が、不意にロザリアは微笑むと、オスカーを見上げてくすっと笑う。
「ところで……あなたはどうか知りませんけれど、わたくし、地獄に行くつもりはありませんわよ」
「俺と一緒でも?」
「ええ。だからその時は一人で行って下さいね」
くすくすと笑うロザリアを見下ろし、オスカーは呆れたような表情を浮かべる。だが、急に立ち止まると、いつまでも笑いを止めないロザリアの腕を掴んだ。
「それはごめんだな」
ロザリアが驚いて顔を上げると、オスカーの青い瞳が光っていた。それが次第に細められて、段々と近づいてくるのを見ながらロザリアもゆっくりと目を閉じる。
「もし俺が地獄に堕ちるとしたら……その時は君を連れて行くさ」
途切れ途切れに耳に響くオスカーの声と言葉と熱い吐息に、ロザリアはうっとりと身体を預けながら彼の首筋に腕を伸ばした。
「どんなに嫌だと泣き叫んでも無駄だ……覚悟しておけよ」
あなたと一緒なら、どこにでも行こう。
だってそこが、わたくしの居場所なのだから……。