「オスカーが浮気をしたとか?」
「違うわ。それはもう慣れてるから別に平気よ」
慣れる、というのもどうだろう? と軽く溜息をついた後、アンジェリークは再び身を乗り出してロザリアの顔を覗き込んでみる。
「じゃあ倦怠期?」
「あんたねぇ……」
アンジェリ?クの突飛な発言に、思わずロザリアは額を押さえて溜息をつく。
「そうよねぇ、いくらなんでも倦怠期には早いわよねぇ」
違うのかぁと小さく呟いて上目遣いに天井を見つめて考え込む女王陛下を見つめた補佐官は、再びはぁっと溜息をついて眉間に皺を寄せる。
『どこからこういう知識を仕入れてくるのかしら、この子ったら。その情熱をもう少し執務に廻してもらいたいものだわ』
ロザリアがアンジェリークの熱心さをいかにして仕事に向けさせるか、という事に思考を巡らしかけたとき、アンジェリークは自分の考えに軽く頷きながら再び身を乗り出してきた。
「じゃあ、じゃあ……あれしかないよね?」
「あれ?」
ロザリアが首を傾げると、アンジェリークはさらにずいっと身を乗り出してきて、真剣な表情で告げる。
「んとね……オスカーがその……無理強いしてきた、とか?」
途端にロザリアの顔がみるみる紅色に染まったかと思うと、ふいっと無言で顔を横に向けてしまった。
『あ、正解♪』
アンジェリークは一瞬嬉しそうに微笑んだが、すぐにいけなぁいと口元の手を添えて笑いをかみ殺し、そっぽを向いたままのロザリアに猛烈な質問の嵐を浴びせだした。
最初はその質問攻撃に「知りませんわ!」とか「もう、そんな事答えられる訳ないでしょう! はしたない!」とはぐらかしていたロザリアだったが、やがて観念したのか、あるいは親友相手の気安さからかぽつりぽつりと答え始めた。
「……いつメイドや執事が来るかわからないから嫌だと言ったのに……彼ったら『別に見られても構わないだろう?』なんて言うのよ?」
「うわぁ……」
『さすがオスカーだぁ……』と妙に感心したが、すぐに『感心してどうするのよっ!』と心の中で自分にツッコミをいれるアンジェリーク。
そしてロザリアは何かを思い出したように軽く溜息をつくと、アンジェリークを見つめ返して小さく囁く。
「なにも居間で言ってこなくても……」
「い、居間でそんな事言ってくるの!?」
これにはさすがのアンジェリークも目を剥いた。しかしロザリアは続けてさらに衝撃的な言葉を付け加える。
「しかも朝っぱらからよ。わたくし、もうどうしていいのか……」
「あ、朝からぁあ!?」
驚きのあまり大声で叫んで立ち上がったアンジェリークを、ロザリアは頬を染めながら慌てて手で制した。
「ア、アンジェリークっ!! そんな大声を出さないでちょうだいっ!」
「だ、だってだってだってぇ!!」
それじゃあただの変態じゃない!?という言葉をどうにか飲み込んだアンジェリークは、心底同情したような表情を浮かべるとゆっくりとソファに座り直した。
「なんだか……ロザリアかわいそう……」
いつもは同情される事を嫌うロザリアだったが、今回はさすがに反論する気力はないらしい。ほうっと溜息をついて視線を床に落としてしまった。
「心配して下さってありがとう。……そうよね、いくら何でも朝からなんて、誰が考えたっておかしいわよね」
うんうんと大きく頷くアンジェリーク。
「いくら夫婦だからといっても、朝から耳掃除なんてそんなはしたないこと……」
言ってしまって目元を潤ませながら横を向くロザリアを見ていたアンジェリークは、一瞬身体をぴくりと震わせた。
「……みみそうじ??」
アンジェリークに問いかけられた言葉に、今度はロザリアがぴくっと反応する。
「そうよ。『次は君の番だ』って、無理やり膝枕しようしたの。オスカーに膝枕してもらうなんて、そんなはしたない姿を使用人達に見られるなんて……想像しただけで……」
どうやら想像してしまったらしく、珍しくかあっと顔を真っ赤にしながらロザリアは俯いてしまった。
「それで恥ずかしくて、オスカーを平手打ちして飛び出してきちゃったんだ……」
アンジェリークは拍子抜けしたような表情を浮かべてぽつりと呟いた。
「別に叩こうと思ったわけではないわ。あんまりしつこいから、わたくしもつい剥きになってしまって……気がついたら、手が勝手に……」
それはさすがのオスカーも想像していなかっただろうから、きっと見事に決まったのだろう、とアンジェリークはぼんやりと考えた。
切なそうに自分の手の平をじっと見つめるロザリアに視線を戻し、アンジェリークは彼女にしては珍しく大きな溜息をついた。
『なんというか…オスカー、かわいそうに』
『ああ、俺、このまま死ぬのかなぁ……』
ランディはぼんやりと真っ暗な空を見上げていた。その視界に、不意に金色の髪が飛び込んでくる。
『……陛下? そうか、やっぱり俺、死んじゃうんだ……』
でもいいや。だって君がこうして来てくれたんだもんな。
ふうっと諦めの息を吐きだしたランディは、目の前を横切る金色の髪に手を伸ばし、その持ち主である人物の伸ばされた腕を掴んで引き寄せた。
「アンジェ……」
ぎゆっと抱きしめた相手の身体は、意外にごつい気がする。
「…………キスもしたげようか?」
自分の顔の横で響くその声に、ぎょっとなったランディは慌てて腕を放して覚醒する。
「わ、わわわわっっ!!??」
顔を真っ赤にしたかと思うと飛び起きて壁際に駆け寄るランディを、冷ややかに見つめてオリヴィエは口を開いた。
「そんだけ騒げるんなら、怪我はしてないみたいだね」
「オ、オ、オ、オリヴィエ様っっ!! な、なんでっ!?」
オリヴィエは動揺して大騒ぎするランディにすたすたと歩み寄ると、彼の前髪をすっと持ち上げ、そのおでこに向かって手にしていたタオルをぴしゃりと当てる。
「ほら、これで顔拭きな。ったく。なんでアタシが日の曜日の昼間っからアンタの介抱しなきゃなんないのさ。お土産渡そうと訪ねてみりゃあロザリアはどっか行っちゃっていないし、オスカーはなんか機嫌悪いし。『なんで?』って言いたいのはアタシの方!」
「俺……気絶しちゃったんですか」
顔に押し付けられたタオルに手を伸ばし、ゆっくりとそれを引きはがしながらランディはぽつりと呟く。その時オリヴィエはもうランディの側から離れていて、居間の暖炉の上に置かれている呼び鈴をリンリンと鳴らしていた。
「そ。アタシの顔見たとたん、バッタリって。ったく、気分悪いったらないね」
「すみません……」
別に謝る必要はないのだが、とりあえずオリヴィエが不機嫌そうなので反射的に頭を下げてしまう。
しかしオリヴィエは口ほどには怒っていないらしく、呼び鈴の音を聞きつけてやってきたメイドに向かって微笑みかけている。
「悪いけど、おいし?いお茶を二人分入れてきてくれる? そうそう、香り付けと気付け代わりに、オスカーの秘蔵のブランデーを入れてちょうだい♪」
「は、はい」
メイドは当惑しながらも軽く頷いたが、後ろから歩み寄ってきた人物の声にビクリと身体を震わせた。
「俺には茶の方を抜いて頼む」
「昼間っからな?に言ってんだい」
オリヴィエは呆れたように唇の端を歪めたが、オスカーはふんと軽く笑っただけだ。そして視線を壁際に立ったままのランディに向け、手にしていたタオルをポンと放り投げた。
「シャワーを浴びてこい、坊や。汗の所為で風邪までひかれちゃ、俺が陛下に怒られるからな」
「あ、は、はいっ。じ、じゃあ、お借りします」
言うとランディはオリヴィエに向かってぴょこんと頭を下げ、オスカーの脇をすり抜けざま、彼の顔をまるで機嫌を伺うように見上げてきた。しかしオスカーがランディに視線を移すと、まるで弾かれたように身体を震わせ、慌てて頭を下げて逃げるようにバスルームへと向かってしまった。
その後ろ姿を黙って見送っていたオリヴィエだったが、オスカーがふうと溜息をついて居間のソファに腰掛けたとたん、くるりと向き直って苦笑いを浮かべる。
「少しは良心が痛むみたいだね」
「何のことだ?」
「すっとぼけんじゃないよ。ボーヤに八つ当たりして悪かったって後悔してるんだろう?」
オリヴィエの言葉を聞いたオスカーは髪を拭く手を止めて、同僚の顔をじっと見つめる。しかしオリヴィエはランディとは違って、オスカーのアイスブルーの視線にも怯むことなく薄笑いを浮かべて見つめ返してくる。
しばらくして、根負けしたオスカーはくっと軽く笑うと、再びタオルで少し乱暴に髪を拭き始める。
「嫌なやつだな、お前は」
「アンタに言われるなんて光栄だねぇ」
嬉しそうにオリヴィエは笑うとオスカーの向かい側にすっと座り、ちょうど入って来たメイドに向かってウインクしてみせる。
「ありがと。あとはテキトーにやるから、そこに置いてっていいよ」
しばらくオリヴィエは何も話さずに紅茶を啜っていた。オスカーの方も髪を手で梳き上げると、こちらも無言でティーカップに手を伸ばす。
ややあって、焦れたオスカーの方が先に口を開いた。
「聞かないのか?」
「アンタこそ話したいんじゃないの?」
「誰がお前になんか」
「あっそ。じゃ聞かないよ。ま、聞かなくたって大体想像つくからいいけどさ」
「想像つくだと?」
カチャンとカップをテーブルに戻すと、オスカーは顔を上げてオリヴィエを睨みつける。そんなオスカーに向かって、オリヴィエは当たり前のようにぴしゃりと言い放った。
「アンタが悪い」
「なっ!?」
思わずオスカーが身を乗り出すと、ようやくオリヴィエはその顔を正面から見つめて軽いため息を吐きだした。
「ロザリアにいつもの調子で悪さしたんだろ。それで彼女は怒って家を飛び出した。どう、違う?」
「……」
言葉に詰まるオスカーに、オリヴィエはさらにたたみかけた。
「で、どーせランディのことだからさ、『ロザリアはどうしたんですか?』くらいなこと、考えなしにアンタに聞いたんだろ?」
バツが悪くなったのか、身体をすすっと引くオスカーの様子を見たオリヴィエは、再び溜息を吐きながらティーカップをソーサーに戻す。
「だからってねぇ、あのボーヤに八つ当たりするのはお門違い。それくらいの分別、アンタにはつくもんだと思ってたけど」
図星を指されて冷や汗を流していたオスカーだったが、しばらくしてふうっと息を吐きだし、くしゃっと髪を掻き上げながら苦笑いを浮かべた。
「……ったく。本当に嫌な奴だ」