アンジェリークは、パタパタと階段を駆け降りると応接の扉を開けた。
すると窓辺に立って外を眺めていた人物は、首だけ振り返って軽く微笑んだ。
「こんな時間からごめんなさいね、アンジェリーク」
「ううん、全然大丈夫よ。それよりもすごく嬉しいの。だってロザリアが日の曜日に訪ねて来てくれるなんてホントに久しぶりだもの」
言葉通り、アンジェリークは満面の笑みを浮かべてソファに回り込む。そして膝をそろえてちょこんと座ると、ロザリアを見上げてにっこりと笑った。
その無邪気な笑顔につられ、ロザリアもふわりと微笑む。レースのカーテンに添えていた手を離すと、こちらもゆっくりとソファに回り込み、アンジェリークの真向かいに座る。
そして二人は、お互いの顔を見合わせてふふっと笑い合った。
「このサンドイッチ、すごくおいしい?!!」
「そう、よかったわ。沢山作ったからどんどんお食べなさい」
「うん!」
暖かい湯気の立ち上る紅茶を口にしながら、目の前で嬉しそうにサンドイッチを頬張るアンジェリークを見守る。こんなに喜んでくれたのなら、今朝早く起きて作った甲斐があった、とロザリアは思う。もっとも当初の予定では、別の人物の口に入るはずだったのだが。
しかしそんな事は顔には決して出さず、ロザリアはアンジェリークを優しく見つめ、自分もスクランブルエッグを挟んだサンドイッチに手を伸ばす。
ぱくりとそれを口に含むと、柔らかいタマゴの感触が口に広がり、ついで味付けのマヨネーズの香りがマスタードに混じって鼻を刺激した。
そのマヨネーズの味が、ロザリアにある人物のことを思い出させる。思い出したと同時に、ロザリアの眉間に眉が寄せられ、彼女はサンドイッチを食べ終わると素早く紅茶を咽喉に流し込み、無言のまま再びハムとトマトのサンドイッチを手に取った。
アンジェリークはにこにこと紅茶を飲んでいたが、急に膨れっ面になったロザリアの顔を覗き込んだ。
「ロ、ロザリア??」
しかしロザリアは無言のまま。ただ黙々と自分で作ったサンドイッチを食べている。
これは、どうやら彼と何かあったのだな、と気がついたアンジェリークは、どうやって彼女にその話を切り出そうかと、紅茶を飲みながら思考をグルグルと巡らし始めた。
「脇が甘いっ!!」
「はっ、はいっ!」
ランディが返事をした途端、オスカーの剣先がランディの右腕を掠めた。
「うわっ!」
「ボケっとするな、坊や! 集中しろっ!!」
左肩に振り降ろされたオスカーの刃をぎりぎりのところでかわしたランディは、オスカーの左側に足を踏み込んだ。そのまま駆けるようにして背後に周り、オスカーが振り返る一瞬の隙をついて攻撃しようと剣の柄を握り返した途端、襟首をぐいっと掴まれ、そのまま背後に引っ張られた。
「えっ?」
一瞬、ランディの世界がぐらりと傾いだ。かと思うと、目の前に空が広がり、あっという間に地面にどうっと叩き付けられる。
どうにか受け身をとったおかげで後頭部を打つことはなかったが、ほっとしたのもつかの間、オスカーの左腕が首に押し付けられる。剣を握っていた右腕を軽く捻られると、どこをどうされたものか自分でも驚くほど簡単に剣が手から離れてしまった。
「ず、ずるいですよ、オスカーさ、まっ!!」
喉元を押さえつけられている為、自分でも情けないほどの擦れた声でしか抗議できない。
細めた蒼い瞳で悔しそうに睨みつけてくるランディを見つめ、オスカーは冷笑する。そして押さえつけていた腕を外すと身体を起こし、地面に仰向けに倒れているランディを見下ろして口を開いた。
「敵は剣でばかり攻撃してくるとは限らない。その事を頭に叩き込んでおくんだな」
「そ、それはそうですけど」
むっくりと上体を起こし、喉元に手を当てて咳払いをしたランディは、軽く息を吐きだした後にオスカーを見上げて眉を顰めた。
「いきなり引っ張って倒すなんて卑怯ですよ」
投げ出された剣を地面に立て、それを支えに立ち上がるランディの抗議に、オスカーは失笑で答える。
「今のが実戦だったら、坊やはとっくにあの世行きだ。卑怯だのずるいだの文句を言う暇もなくな」
パチン、と音を立てて剣を鞘に収めると、オスカーはランディを睨むように見つめた。
「俺に教えを請うのなら、真剣に、命がけでこい。俺は、甘ったれた坊やのお遊戯に付き合う趣味も暇もないぜ」
いつも特訓を受けているランディであれば、見慣れているはずのオスカーの瞳だったが、それでもこんな風にじっと見つめられると、背中にぞくりとくるものがある。
この迫力にいつまで経ってもかなわない、と思うと悔しいが、やはり何も言い返せなくてランディは僅かに視線を落とす。
「……はい。甘えてすみませんでした」
ランディのしょげた様子をしばらく見下ろしていたオスカーは、やがてくるりと踵を返すとそのまま無言で屋敷に戻りかけた。その背中に向かって、慌てて顔を上げたランディが声を掛ける。
「あ、あのっ!」
いつもだったら厳しい指導の後、オスカーはふっと表情を緩めて「茶の一杯でも飲んでいけ」と誘ってくれるのだ。そしてランディが顔を上げると、一階のテラスにはロザリアがいて「お疲れさま」と優しく微笑んでくれる。
なのに今日のオスカーは、ようやく立ち上がったランディをそのままに、足早に戻っていこうとしていた。しかも手合わせの最中から感じていたことだが、心なしか普段よりも苛立っているようにも見える。
ここで聡い者なら「ピンっ!」とくるのだが、生憎とランディはそうではなかった。いや「何かおかしい」というのはわかるのだが、それがなんなのかは見当がつかない。
そして不幸なことに、この少年はあまりにも素直過ぎた。わからないのなら聞いてみればいい、と思ってしまったのだ。
「あの、オスカー様。今日はロザリアはいないんですか?」
彼はどうやら「踏んではいけない地雷」を踏んでしまったらしい。
このひと言でオスカーの歩みがぴたりと止まった。途端に彼の背中からある種のオーラが発生した。そのオーラはさすがのランディにもハッキリとわかったらしく、ビクリと身体を震わせたがもう遅い。
「オ、オスカーさ、ま……?」
冷や汗が自分の背中を伝うのを感じながら、ランディは恐る恐るオスカーの背中に蚊の鳴くような声をかけてみる。
するとオスカーはゆっくりとランディに向き直り、剣の柄に手をかけ直して冷ややかに言葉を紡いだ。
「なるほど、坊やはまだまだ体力が有り余ってるみたいだな。……いいだろう。今日はみっっっちりと扱いてやるぜ」
オスカーはそう言うとニヤリと笑った。しかしその目が全然笑っていないことを、絶望の中でランディはしっかりと見てしまったのだった。