butterfly

(4)

「オスカー様、俺…」

ランディが押さえつけられながら微かにつぶやく。なんとか男の手を逃れようと身を捩るが、男の力は意外と強かった。

「動くな、ランディっ!」

オスカーの厳しい声と同時にナイフの切っ先が首筋にひやりと触れ、ランディは思わず動きを止める。

「そうですよ。私も人殺しは嫌いですから」

「…哀れな奴だな。だが同情はしないぜ。現実を受け止められない奴に情けをかけるほど俺は優しくないからな。…相手が男なら尚更だ」

オスカーの言葉に男はぴくりと身体を震わせる。そして僅かに視線を落した。

「…そうですね。選ばれたあなた方にはわからないでしょうね。凡人の私の悔しさなど」

「なんでも人の所為にするような奴の事なんぞわかりたくもないがな」

オスカーの吐き捨てるような言い方に、男はオスカーをぎっと睨み据えると更に腕に力をこめランディの首筋に当てた腕を高々と掲げて絶叫する。

「わかりはしない、お前達にっ! わかるはずがないんだっ! 永遠にも等しい命を持ったお前達に愛しい者を失った私の気持なんかっ!」

男が動揺した為に生まれた僅かな隙をオスカーは見逃さなかった。素早く男の正面に駆け寄ると、ランディに向かって振り下ろされた男の手首を掴み、天にねじ上げながら右手でランディの肩を掴んで力強く自分の方に引き寄せた。

急に自由になったランディがバランスを崩して転びそうになるのを腰を屈め、しっかりと受け止める。

「大丈夫か、坊や?」

「は、はい…」

 

オスカーに腕を捻り上げられた男は、やがてその手からぽとりとナイフを落した。

そしてそのままくるりと腕を後ろに回され、抑え込まれて地面に膝を突く。そうして初めてオスカーは、木陰にちらりと視線をやって声をかけた。

「もういいぞ。ご苦労だったな」

ゼフェル達四人が目を瞠る中、聖地の近衛兵二人が木陰からすっと姿を現す。四人も時々姿を見かけたことがある、いつもオスカーの側にいる近衛隊選りすぐりの二人らしい。

オスカーは後ろ手に廻した男の腕をぽんと離して、地面に放り投げる。男はよろよろとつんのめるようにして土の上に手をつき、やがて振り絞るような声を上げて啜り泣き始めた。

兵士達はお互いに目配せをすると男をひったて、オスカーと呆然としたままの子供達に目礼する。

「後始末は頼んだぜ。俺は女王候補を送っていく。それからおせっかいなこの坊や達にも、たっぷりとお灸を据えなけりゃならんからな」

オスカーは寄り添うように成り行きを見つめる少女二人に優しい微笑みを送り、ついでしゃがみ込む少年守護聖二人に向かって、にやりと意味深な笑みを浮かべた。

 

「ランディが肩に痣を作ったくらいですみました。犯人は取り調べが済み次第、下界の然るべき施設に送る手配をすませています」

オスカーの報告を受けて、ジュリアスは僅かに頷く。そして視線を今部屋に入ってきたばかりのルヴァに向けた。

「ランディの怪我の具合はどうだったのだ?」

「オスカーの言う通りですよ。痣がちょっとと、ゼフェルが転んだ時にこさえた擦り傷が少々。二人ともぴんぴんしていますよ」

ルヴァがにっこりと笑顔を浮かべて答えると、ジュリアスは納得したように再び頷き、ついで眉間を右手で押さえながらため息をつく。

「しかしあの二人はどうして毎回問題を起すのだ。私にはあの者達が何を考えているのだか理解に苦しむな」

「子供は好奇心が旺盛ですからねぇ。何にでも興味を持つんですよ」

「じゃあ、何? 今回はオスカーに興味を持ったっていうの? うわっ、寒っ!」

オリヴィエが自分をぎゅっと抱きしめながら腕を擦る。その様子に、オスカーは迷惑そうな顔をしながらオリヴィエを軽く睨みつけた。

「それにしても相変わらずいい度胸してるよね、アンタ。あの娘達を囮に使うなんてさ」

オリヴィエは睨まれていてもちっとも気にした様子もなく、皮肉っぽい笑みを浮かべながらオスカーの肩を突っつく。それを払いのけながらふんと鼻で笑い、オスカーは自身満々に答える。

「誰に物を言ってるんだ、おまえは。彼女達を囮に使っただと? 馬鹿言うな。彼女達は世界中で一番安全な場所にいたんだぜ」

その答えに呆れたオリヴィエは、くるりと振り返り座ったまま書類に手を伸ばし始めたジュリアスに向かって、ため息混じりに語りかける。

「…ジュリアスぅ。アンタもよく許したねぇ。堅物のアンタが危険な橋を渡るなんてさ」

ジュリアスは手に取ったペンを、紙の上で軽快に走らせながら淡々と答える。

「あの者が狙っていたのは、女王候補ふたりだという情報があったのだ。

確かに危険な賭けだったが、他に犯人を燻りだす上手い方法がなかったのでな。それに、オスカーの腕に私は全幅の信頼を寄せている。今回、オスカーは私の期待を十二分に満たしてくれたようだ」

「そのお言葉、身に余る光栄です、ジュリアス様」

ふたりのやり取りにルヴァはうんうんと嬉しそうにうなずき、オリヴィエははーっとため息をついて肩をすくめた。

 

「彼は娘を亡くしたのだそうです。向こうの宇宙が崩壊の危機を迎えていたちょうどあの時期にね。大層娘さんを可愛がっていた子煩悩な方だったようですよ。だからでしょうね、娘さんの死を冷静に受け止められなかったのは」

「そう、だったんですか……」

「何かの所為にしなければやり切れなかったのでしょう。女王の力が弱まったから、加護の力が無くなったから直るはずだった娘の病気が悪化したのだと。そう思っていた矢先に、否応なく新宇宙に強制的に連れて来られて。娘の魂をたった一人で残してきてしまったと大層嘆いていたそうです」

リュミエールが薬の瓶を棚に戻しながら淡々と話をするのをランディが真剣な表情で聞き入る横で、ゼフェルは不快そうに顔を顰めていた。

「で、女王候補を狙って何をするつもりだったんだよ?」

「彼女達はこちらとあちらを行き来出来る唯一の存在だから。彼女達の力を使えば向こうに戻れる。たった一人で残してきてしまった娘にもう一度逢う事が出来るから。と答えたそうです」

「バッカじゃねーのか!」

ゼフェルが憎々しげに悪態をついた。

死んでしまった人間に逢えるから、今生きている人間を脅かしてもいい、だなんてそんな非科学的な理屈があるわけがない。ゼフェルはオスカーをまだ信用したわけではないが、彼が言った言葉「なんでも人の所為にするような奴の事なんぞわかりたくもない」というのには、全面的に賛成出来ると思った。

「真面目でいい人ってのがキレると一番やっかいだぜ。そんな情報までどこで仕入れたんだか。コケの一念ってやつか?」

「ゼフェル…」

「そうだろ? そんな根性があるんだったらもうちっとマシな事しろってんだ!」

そんなゼフェルとは対照的に、俯いたままランディはなにやら考え込んでいる。ぱたんと棚の扉を閉めると、リュミエールは心配そうにランディの顔を覗き込んだ。

「まだ痛むのですか、ランディ?」

「あ、いえ、もう大丈夫です。ただ……なぁゼフェル、あの人言ってたよな。『永遠に等しい俺達に自分の気持はわからない』って。でも俺達だって……」

ランディは肩を擦りながらぽつりとつぶやく。ゼフェルもリュミエールも、ランディの言いたい事がわかって不意に口を噤む。

時間に取り残される自分達。下界に戻っても周りの大切な人達はもういないという事実。

それでもここにいなければならないという寂しさ、孤独。

自分は犠牲者だと叫んだあの男は、それを知っているのだろうか。

「…っかやろー……」

やり場の無い空しさを、ゼフェルはただひと言に込めてぼそりとつぶやいた。

 

「オスカー様っ!」

ランディの元気な声にオスカーは振り返った。

はぁはぁと息を切らせながら駆け寄るランディと、しかめっ面をしたまま不本意そうに歩いてくるゼフェルの様子を面白そうに交互に眺めながらオスカーは立ち止まる。

「どうした? 男に呼び止められても嬉しくないんだがな」

「すみませんでしたっ! 俺、オスカー様の事を誤解してました。あちこちの女の人に声をかけまくってるように見せかけて、聖地の見回りをしていたんですねっ! やっぱりオスカー様は俺の憧れですっ!」

一気に思いのたけをぶちまけると、ランディはほっとしたようににこりと微笑む。

「坊やに憧れです、と正面切って言われるとあまりぞっとしないな」

単純な奴、とゼフェルは呆れてランディを見つめる。そしてオスカーを睨みあげるとふん、と鼻を鳴らした。

「ドジったのはランディ野郎でオレはかんけーねーからな。でもまぁ…今回の事は一応礼を言っとく。でもなっ! 勘違いすんじゃねーぞっ! おめーみたいな女ったらしを信用したわけじゃねーからなっ!」

『今度アンジェに変な事してみろっ! 叩きのめしてやるからな』

ここら辺は心の中でつぶやく。今、正面切ってオスカーと喧嘩をする気は全くない。

けんか腰のゼフェルに、ランディはあからさまに顔を顰めて諭すように話し始めた。

「ゼフェル、そう言い方はよくないぞ。オスカー様は、今回だって不審な情報を真っ先にキャッチしたからこそ、下界に何度も降りていって情報収集していたんだ。ふらふらと遊びに行くだけのお前とは違うんだからな。俺もつい早とちりしちゃったけど、あの香水の匂いだってその時についただけなんだ。ロザリアはそれを知ってたから怒らなかったんだぞ。そうですよね?」

「俺は休みの日まで情報収集するほど仕事熱心じゃないぜ。昨夜は素晴らしい女性のご招待を素直に受けただけだがな」

「そうですよねっ! ほらみろ、やっぱりオスカー様は……え、ええーーーっっっ???」

オスカーのとぼけた口調につられて、ランディは頷きながらゼフェルを諭し、はたと考え込んだ後、自分の言葉に驚いて大声を上げる。

「バカだ、こいつ…」

ゼフェルが呆れてため息をつく。そして混乱し始めたランディと自分を無視して、早速側を通りすぎるカフェテラスのウェイトレスにウインクを送るオスカーに目を細めながらつぶやきかけた。

「よー、おっさん。おめーさー、ロザリアの事、どー思ってんだよ。大事じゃねーのか?」

「野暮なことを聞くな。大事に決まってるだろう」

簡単に答えるのが気に入らなかったのだろう。ランディは思わず大声を出す。

「だったらそういう態度を改めて下さいっ!」

「坊やがなんでそんなにムキになるんだ? 俺の奥さんでもあるまいし」

オスカーの答えにゼフェルはそれもそうだと頷くが、ランディは許そうとはしない。

「誤魔化さないでくださいっ!! 大体、オスカー様にとってロザリアってどういう存在だか覚えてるんですかっ!」

何と答えるのか、無関心を装いながらもゼフェルは聞き耳を立てる。ランディの剣幕をくすりと軽い笑いでかわすと、オスカーは顎を撫でながら答える。

「そうだな…一言で言えば『空気』だな」

「はぁ? …それって…もしかしていてもいなくても同じって事じゃないですよね?」

ランディは真面目な顔をして、時々恐ろしい台詞をさらっと吐く。しかもそれが天然と来ているから凄い。それがゼフェルをして『のーてんきやろー』と言わしめる所以である。

オスカーはランディらしい答えに一瞬言葉に詰まるが、ふっと笑うとすぐにいつものペースを取り戻し、続きを語り始める。

「いいや。俺の側にあるのが当たり前の存在って事さ。

優しく俺を包み込み、命の源となる。そして…その存在が消え去れば俺は生きていけない、ってわけだ」

ゼフェルとランディは、そのクサイ台詞に一瞬凍りつく。

するとオスカーは、動かなくなった二人から目を逸らし、ようやく事情を説明されほっとした表情で寮に向かうアンジェリークとレイチェルが通りかかるのを目の端で素早く捕らえた。

この少女二人をオスカーが見逃すはずはない。かつかつと側に素早く歩み寄り、腰に手を当てて少女二人に改心の笑みを贈る。

「お嬢ちゃん達。さっきは怖い思いをさせてすまなかったな。どうだい、罪滅ぼしにカフェテラスでちょっと遅めのティータイムってのは?」

「…はっ! い、いつの間にっ! てめーっ! 何やってんだっ、んなとこでっっ!!」

ゼフェルははっと我に返ると、アンジェリークの手を取るオスカーの姿を視線の端に捉え、みるみる目尻を吊り上げ怒鳴りつける。

ずんずんと足音高くゼフェルが歩き出す横で、ランディはオスカーの台詞を反芻していた。

「君がいなければ俺は生きていけない…か。よーしっ!!」

何を悟ったのか、ランディは思わずガッツポーズをとった。