ロザリアがこぽこぽと注ぐ琥珀色の液体から立ち上る湯気をぼんやりと眺めながら、女王アンジェリ?クはため息をついた。
「もうっ。無茶ばっかりするんだもん。心配するほうの身になってよね」
「たいした怪我でなかったようですし。許しておあげになったら?」
「怪我の大小じゃないのっ。ジュリアスから報告を受けて、わたし眩暈がしたんだから」
ぷうっと頬を膨らませるアンジェリークの子供っぽい仕草に、ロザリアはくすっと笑いながら、ティーカップを受け皿に乗せてすっとアンジェリークの前に差し出した。
「さ、これを飲んで機嫌を直して下さいな、陛下」
アンジェリークは黙って受け取ると、まだ少し拗ねた表情を浮かべたまま、ふうふうと紅茶を冷ましこくんと一口飲み込む。
そしてかちゃんと音を立ててティーカップをテーブルに戻すと、向かい側に腰掛けて優雅にカップを口に運ぶロザリアに視線を向けて、感心したようにふうと息を吐いた。
「なにかわたくしの顔についています?」
「ううん。ロザリアってすごいなぁって尊敬してたの。
だってオスカーってばランディよりもずっと危険な目にあう可能性が多いじゃない。でもロザリアはいつも落ち着いてるでしょ?わたしには出来ないなぁって」
「わたくしだっていつも心配してましてよ。ただ表面に出すのは、補佐官として相応しくないと思うから隠しているだけですわ」
「それがすごいのよ」
ぼんやりとロザリアを見つめていたアンジェリークは、やがてきゅっと表情を引き締めると、今までの甘ったれた声ではなく、女王らしい凛とした声で話し始めた。
「…でもね、ロザリア。ここからはお友達として正直に答えて。オスカーが他の女の人とデートしたりしてるのを見て、ほんとに平気? もしほんとは嫌だったら、わたしがオスカーに言ってあげるから。女王としてじゃなくって、ロザリアの親友のアンジェとしてわたしが彼に怒ってあげるから」
アンジェリークが思いのほか真剣な表情をしているのを見て、ロザリアは一瞬驚きに目をみはった。が、すぐに表情を緩め、困ったような照れたような笑顔を浮かべてティーカップを置くと、両手をテーブルの上で祈るような形で組みあわせた。
「じゃあ、わたくしも親友としてあなたに尋ねるわ。もしもランディが、そうね、例えばリュミエールのようにたおやかで優しい青年になったとしたら…」
「え?」
「リュミエールだったら危ないことはしないわ。あなたの側でいつも優しく微笑んでいてくれる。あなたはもう、彼のためにハラハラしなくてすむのよ? どう? 嬉しい?」
「優しくなるのは嬉しいかもしれないけど……ちょっと嫌かも」
「どうして?」
ロザリアが優しく訊ねると、アンジェリークはほんの少し頬を染めながら答える。
「リュミエールが嫌いって事じゃないわ。でも、ランディが彼のようになるのは嫌。ううん、ジュリアスのようなランディもルヴァのようなランディも嫌だわ。だって…わたしが好きなのは今のランディだもん。無鉄砲なところがあって、融通が利かなくって、ほんのちょっとドジだけど。でもほんとは優しくていつも真っ直ぐにわたしを見てくれてる、今のランディがいいんだもの」
アンジェリークの照れ臭そうな答えに、ロザリアは柔らかい笑みを浮かべる。そして組んだ手をじっと見下ろしながらゆっくりと口を開いた。
「わたくしも同じ。今のままのオスカーがいいのよ。司るサクリアと同じような燃え盛る情熱と、目を離したらどこかに行ってしまいそうな危うさを持っていて、追いかけても追いかけてもするりと逃げ出してしまう。でも…そんなあの人を愛しているの。わたくしだけを見て欲しいって思った時期もあったわ。でもね…そうなってしまったら、彼に魅力を感じなかったかもしれないわ」
「どうして?」
アンジェリークは大きな緑の瞳を好奇心できらきら輝かせながら訊ねた。
「落ち着いて執務をしている彼なんて信じられないでしょ? そんなの彼らしくないわ。彼にはいつだって自由でいて欲しいの、そう、燃え上がる炎のようにね。わたくしはそんな彼を見ているのが好き。そんな彼の側にいるのがいいの。だから…いくらでも自由にするといいわ。だって最後には、必ずわたくしのところへ帰ってくる事になるんだから」
「さっすが、ロザリア」
アンジェリークはしきりに感心しながら頬杖をつく。
「あら、当然でしょう?」
ロザリアは伏せていた目を上げて、改めてアンジェリークに向き直る。大人っぽい笑みを浮かべながら…。
「だって、わたくしくらい良い女なんて他にはいないもの」
ロザリアはバルコニーに出ると、手すりにもたれかかって夜空を仰ぐ。聖地から見上げる月はいつも澄みきっていて、季節を感じさせない。
だが、夜風が冷たいのは下界と同じで、肌寒さを覚えたロザリアはガウンを取ってこようと視線を落とした途端、後ろからそっと抱きしめられる。
「いつ帰ってらしたの?」
「今朝もそう言ってた。少し前さ。君の月の女神のような姿につい見とれてしまって、声をかけそびれた」
彼女の結い上げた髪に手を触れてそっと髪留めを外すと、豊かな髪がふわりと風に靡き、オスカーの頬を撫でる。廻されたオスカーの腕に自分の手を重ねると、ロザリアはくすっと笑う。
「あなたも今朝と同じ事を言ってるわ」
「…そうだったかな」
ロザリアの髪にそっと唇を寄せる。その心地よさにロザリアは瞳を閉じてオスカーにもたれかかりながら呟いた。
「今日、わたくしのところにランディとゼフェルが来たの」
「偶然だな。俺のところにもその二人が来たぜ」
「あなたとうまくいってるのか、って聞かれたわ」
「それで? なんて答えたんだい? 君は」
「なんて言ったと思うの? あなたは」
ロザリアの堂々めぐりを楽しむような答えに、オスカーは苦笑を返すと抱きしめる腕に力を込めた。
「なんて答えようと関係ないかもしれないな。君は俺の物だ。俺だったらそう言ってやるさ」
「随分自信たっぷりなのね、炎の守護聖様?」
「いや、ちょっと違うな。俺が君の虜なんだから。なんなら今すぐ証明して差し上げましょうか、補佐官殿?」
廻した腕を解くとロザリアの顔を自分の方に向き直させる。しばらく二人の影が重なった後で、ロザリアがオスカーの首に回した手をそっと降ろした。
「こんなところじゃ誰が見てるかわからないのに……強引な方ね」
「月に見せつけてるんだ、って言ったら怒るかい? それに…今度はお預けは御免だぜ、お姫様」
オスカーはそう囁くとロザリアを抱きかかえるようにして寝室に入り、バルコニーに続く扉の鍵を後ろ手でかちりと締めた。
ちなみに数日後の水の曜日。
女王アンジェリークと久しぶりのデートを楽しんだランディは、彼女の金色の髪をそっと掻き上げると、その耳元に精一杯優しく囁いた。
「君は俺にとって空気みたいだ、アンジェ…」
それって、いてもいなくても同じって事!? とアンジェリークに思いきりどつかれ、ランディは思いきり尻餅をついたとかつかなかったとか…。