ロザリアはてきぱきと書類の山を区分けしていく。
アンジェリークは時々外の陽射しを窓越しに恨めしそうに眺め、ロザリアの視線を感じると慌てて机に視線を戻していた。
「陛下が言い出したのですからしっかりして下さいな。私だって日の曜日に執務室に閉じこもっていたくないですわ」
「そうよねぇ、やっぱりぃ。…オスカーとデートしたかった?」
「そういう事を言ってるんじゃありません。陛下、次の水の曜日のお休み、もういらないんですか?」
ロザリアの冷静な切り返しに、アンジェリ?クはうっと息を詰める。やがて観念したのかハァとため息をついて再びペンを取った。
かりかりとおとなしくサインを始める様子を見て、ロザリアは軽く微笑む。
そして壁に据え付けられた棚からティーカップを2つ取りだし、テーブルの上に置いた。
「あら? いつの間に切れていたのかしら」
取り出した筒を再び棚に戻すと、ロザリアは無言でペンを走らせるアンジェリークを振り返る。
「申し訳ありません。お茶の葉を切らしてしまったようなので取って来てもよろしいですか?」
くりんとした目を上げてアンジェリークはこくんと頷く。そしてペンを顎に当てて、上目使いに天井を見上げた。
「そういえば、リュミエールがおいしいハーブティーを手に入れたらしいって聞いたけど」
「……誰から聞いたんです?」
ロザリアの言葉に、アンジェリークははっとなる。そして誤魔化すように慌てて書類をめくり始めた。
その明らかに不自然な行動に、ロザリアはすばやく机の前に立つと、必死で書類で顔を隠すアンジェリークからばっと紙切れを取り上げた。
「へ?い?か――。またわたくしに隠れてランディに逢ってたんですねぇ――っ!」
「偶然会っただけよぅ――。散歩してたら偶然にぃ――」
「散歩してた、ですってーーーーっっっっ!!」
誤魔化そうとすればするほど墓穴を掘ってしまうアンジェリークにロザリアは呆れ果て、は?っと長いため息をついた。
別にランディと逢う事を咎めようとは思わない。女王とはいえアンジェリークは年頃の少女である。気になる人の一人や二人いたところでおかしくはない。
今度の水の曜日にどうしても休みが欲しい、とアンジェリークが懇願してきたのだって、ランディと出会って一周年の記念日だから、という理由である。
それにロザリアには、先にさっさと結婚してしまったという負い目もあった。
だから、なるべくアンジェリークには自由な時間をあげようと思っているのだ。
しかし、それはあくまでこっそりと、である。宇宙の女王がふらふらと散歩に出かけ、守護聖とはいえ男性と二人っきりでしょっちゅう逢っているなど、あまり公に出来る事ではない。
この聖地は平和だから、みんな刺激に飢えている。どこでどういう風に噂がねじ曲がって広まらないとも限らないのだ。
「陛下。わたくしはランディと逢ってはいけないと、一度でも申し上げたことがありましたか?」
「……ないわ」
「平日にお休みを取りたいとおっしゃった時、頭ごなしに反対しましたか?」
「……してない」
しゅんと俯くアンジェリークに、ロザリアは再び軽いため息をついた。
こんな顔をされたら、まるで自分が苛めているようではないか。
「も?う、そんな顔をしないでくださいな。わたくしが意地悪してるみたいじゃないですか」
「ごめんなさい。…そうよね。ロザリアはわたしのことを誰よりも心配してくれてるもんね。うん、これからは気をつける。立派な女王になれるように頑張るっ!」
『張り切るのはいいけれど、気負いすぎて失敗するのがいつものパターンなのよね』
拳をぐっと握りしめ、瞳を輝かせているアンジェリークを見てロザリアは額を軽く押さえる。
だが、いつの間にかこんな毎日を密かに楽しんでいる自分が不思議だった。
「わかっていただけたのなら結構ですわ。じゃあ、わたくしはお茶を手配しに参りますわね」
「うん。いってらっしゃ?い」
ドアノブに手をかけるロザリアの後ろ姿に、アンジェリークはにこにこと手を振った。
しかし扉を開いて外に出ようとしたロザリアは、同じく向こう側から扉をノックしようとした人物に、危うく正面衝突するところだった。
「きゃっ! ラ、ランディっ!」
「うわっ! び、びっくりした?っ!」
「え? あ、ランディっ!(ハァト)」
さっきの誓いはどこへ行ったのか、ランディの名前を聞いた途端、アンジェリークはぱあっと頬を赤らめ実に嬉しそうに微笑んだ。
「ア、アンジェ、いえ、陛下! こ、こちらにいらっしゃったんですか」
ランディも声の主を素早く見つけ、手を振ろう…として慌てて照れ臭そうにそっぽを向く。どうやらロザリアの手前、女王と親しく口を訊くのはまずいと思ったらしい。
そう、ランディはアンジェリークと逢う時、さりげなくロザリアがサポートしてくれている事にいまだ気づいていないのだった。
「どうなさったの、ランディ。日の曜日だというのになにかご用?」
ランディの居心地の悪そうな様子に、ロザリアは助け船を出す。そう言われてはっとしたランディは、慌ててロザリアに向き直る。
しかし出鼻を挫かれたせいか、ロザリア本人を目の前にしてランディは困惑した。
『ど、どうしよう。ついカッとなって勢いで来ちゃったけど…。やっぱりまずいよなぁ、オスカー様の事を告げ口するなんて』
今朝のオスカーの行状に、ランディは腹を立てていた。あまりに腹が立ったので、トレーニングをいつもの倍の時間に増やし、ようやく一呼吸ついたのだ。
それでもモヤモヤが治まったわけではなくて、いろいろ考えた揚げ句、ここはロザリアにひと言忠告したほうが良いという結論に達したのだった。
そこで善は急げとばかりに、オスカーの屋敷に勢い込んで向かっている途中、聖殿のロザリアの執務室にちらりと人影が見えた。そこで方向転換をして、聖殿に走り込んだのだ。
だが、アンジェリークに逢えたという嬉しさで今までの怒りはかなり冷めてしまった。しかも、改めて冷静になって考えてみると、何だかとんでもない事をしようとしてるんじゃないかとだんだん思い始めていた。
『知らないほうが幸せなこともあるかもしれない。でも俺だったら、はっきりしないともやもやするし。でも俺がしゃべっちゃったら…ロザリアはきっと悲しむだろうし…』
ロザリアが不審げに自分を見つめているのを感じて、ランディはますます混乱していた。視線をなんとか逃れようとするが、ロザリアの青い瞳はじっとランディを見つめている。
するといつの間に来たのか、アンジェリークがちょこんとロザリアの隣に座り込み、頬杖をついて下からランディを見上げはじめたではないか。
ランディはこの四つの視線についに堪え兼ね、乾いた笑いを浮かべて、しきりに頭を掻き始めた。
「な、なんでもないんだ。外を歩いてたらさ、君の姿が見えて。日の曜日なのに仕事なのかなって思っただけなんだ。邪魔しちゃったみたいだね、ごめん、ロザリア」
じゃぁ、と引きつった笑いを浮かべ、ランディが慌てて立ち去ろうとする。と、廊下の端から地響きが聞こえてきた。
どうやら誰かがどたどたと聖殿の廊下を走ってくるらしい。三人でじっと音のする方を見つめていると、カーブに全速力で突っ込んでくるゼフェルが現れた。
勢いがつきすぎたらしく、真っ直ぐに突き進んで一旦三人の視界から消える。
しばらくして方向転換をしたらしく、どたばたと音を立て地煙りを上げながら、こちらに凄い形相で向かって来た。
「ゼフェル! 廊下を走るな!」
「っせーっっっ! てめーは風紀委員かっ! やいっ、ロザリアーーッ!」
「どうなさったの?」
冷静に返事をするロザリアの前でゼフェルは立ち止まり、肩で激しく息をする。そしてぎっと顔をあげると、廊下の向こうを指差しながら絶叫した。
「あの珍獣を放し飼いにすんなっ! あいつの管理はおまえの担当だろうがっ!」
「わたくし、動物は飼っていませんけど」
「図体のでかい赤毛の万年発情男のことだっ! あのやろー、女と見たら見境なしに口説きやがって――?っっ!」
「人の伴侶を捕まえてよくもそこまで言えますわね」
ロザリアが心なしかぴくりと顔を引きつらせる。ランディはゼフェルを止めようとするが、頭に血が上ったゼフェルを押さえるのは容易なことではない。
すると、今までじ?っとゼフェルを観察していたアンジェリークがにこりと破顔した。
「あ、わかったぁ! オスカーったらあの子に声かけてたんでしょう?」
「あの子って?」
ランディの問いかけにアンジェリークはにこにこと答える。
「もうひとりのアンジェ。あの子に声をかけてたから怒ってるんでしょう、ね、ゼフェル?」
「なっ!!」
途端にゼフェルの顔が赤くなる。この顔色は、どうやら息を切らしているからだけではないらしい。
「そ、そんなんじゃねーよっ! ただ、アイツはトロいから誰にでも簡単に騙されるからよ。ほっといたら、悪い奴に引っ掛かるんじゃねーかと思っただけで……」
「ふふっ、心配なんだよね。あの子をオスカーにとられちゃうんじゃないかって」
「違うってってんだろ――っ!」
くすくすと笑うアンジェリークに、ゼフェルは真っ赤になって怒鳴りつける。
が、笑うのをやめないとわかると、苦々しげな表情を浮かべそっぽを向いてごほんと軽く咳払いをし、自分のペースを取り戻す。
そして改めてロザリアに向き直った。
「と、とにかくだ。おめーはあいつの手綱をしっかりと握って、くれぐれも放し飼いにすんな。でないとあの野郎、どっかに飛んでっちまうぜ。
あいつがどこに飛ばされようとオレにはかんけーねーけど、迷惑してる奴もいるんだからよ」
ゼフェルはそう一気に吐き出すと、ふんと鼻を鳴らして腕を組む。
「……うん。実はさ、俺もひと言ロザリアに言っておいたほうが良いかと思って来たんだ。そのう、言いにくいことなんだけど…。俺、今朝オスカー様に会って…」
ランディが気まずそうに視線を逸らして喋り始めると、ゼフェルが興味深そうにランディの顔を覗き込んだ。その視線を不愉快そうに受け止めつつ、やがて覚悟を決めたのか、一呼吸おいてランディが口を開いた。
と同時にロザリアは、すっと自分の口に人さし指を当てて囁いた。
「それ以上は言わぬが花、ですわ。わたくしが何も知らないとでも思って?」
「え? …じ、じゃあ…?」
ランディが驚いて目を瞠ると、ロザリアは唇の端を僅かに持ち上げて微笑んだ。
「そんな事をいちいち気にしていたらあの人とは付き合えないの。でも、ご心配ありがとう」
ふーん、とつまらなそうにゼフェルがぼやく。
『…面白れぇもんが見れるかと思ったのによ』
そこで、少しちょっかいを出してやろうという悪戯心が湧いて、ニヤニヤと笑みを浮かべてロザリアを覗き込む。
「でもよ。いいのか、それで? だって、おめーは女王試験を放棄してあいつを選んだ…」
「ゼフェル」
ゼフェルが言いかけるのをロザリアはぴしゃりと遮る。そして真っ直ぐにゼフェルを見据えると口を開いた。
「勘違いなさらないでね、ゼフェル。わたくしはあの人のために女王の座を放棄したのではありませんわよ。自分の力を生かす一番良い方法が、補佐官になる事だっただけ。アンジェリーク陛下をお助けし、サポートする仕事がわたくしに合っていると判断したからこその選択です。わたくしはね、恋も仕事も欲しい物は必ず手に入れる主義なんですのよ」
ロザリアはそう言うとにこ、と笑う。そして気迫に圧倒されるゼフェルと、ランディの後ろに立ったままのアンジェリークに声をかけた。
「陛下、遅くなりましたけれどそろそろお茶にいたしましょう。では、ランディ、ゼフェル。ごきげんよう」
素早く踵を返すと、こつこつと足音を立ててロザリアは遠ざかって行った。
ロザリアの後ろ姿を見送りながら、アンジェリークはやがてポツリと呟いた。
「あのね。わたし、前にロザリアに訊いた事があるの。ロザリアにとってオスカーってどんな存在なの? って。そしたらね、『彼はわたくしのオアシスよ。砂漠に疲れた旅人が唯一安らげる場所。そして砂漠で迷った人がその存在を見つけられなければ、生きていることができない。……彼はそんな存在だと思うわ』って。素敵よねぇ…そう思わない、ランディ?」
「え、そ、それってどういう意味……?」
アンジェリークにくいっと腕を掴まれ、ランディは思わず顔を赤らめ動揺する。が、ゼフェルは反対にうえ?っという露骨に嫌そうな表情を浮かべた。