朝の涼しい空気に白い息が溶ける。
ふうっと、ひときわ深く息を吐きだすとランディは立ち止まった。
その場で腕を思いきり空に向けて伸ばす。
樹の枝の隙間から差し込む朝日の欠片が彼の顔を照らし出している。
遠くから、聖地の朝を告げる小鳥の囀りが聞こえてくる。
それはランディに、新しい一日の始まりを教えてくれているようだった。
「あれ?」
膝の曲げ伸ばしをしながら、ランディは人の気配にふと顔を上げた。
すると遠くから人影が近づいて来る。凝視しなくても、ランディにはその人が誰だかわかった。こんな朝早く、聖地の門から戻ってくる人物など彼以外にいようはずもないから。(ゼフェルは律義に正面から戻ってくることなどないから。)
「おはようございます、オスカー様」
駆け寄る後輩に声をかけられた赤毛の青年は、門を警備する兵士の会釈に軽く手を上げて答えた後、ランディにふっと軽く微笑みかける。
「よう、坊や。あいかわらず、熱心だな」
「朝のジョギングってとっても気持いいんですよ。オスカー様は今お帰りですか?」
「まぁな」
「何か特別な任務だったんですか?」
「…どうしてそう思うんだ?」
オスカーのはぐらかすような笑みと問いかけに、ランディはすこしむっとする。
毎度の事ながら、ランディはオスカーの自分を子供扱いする態度が不満だった。
確かに今の自分では、オスカーにとてもかなわない事は承知している。けれど、もう少し信頼してくれてもよさそうなのに、とも思う。ランディの理想は、ジュリアスとオスカーの関係なのだ。だからいつの日か、ジュリアスにとってのオスカーと同じように、自分もオスカーに信頼されたいと努力しているつもりなのだ。だがこの先輩は、いつまでも自分を認めてはくれない。その不満がわかりやすく態度に表れるから、オスカーに面白がられているのとは思ってもいないところが、いかにもランディらしい。
「別に変わった事があったわけじゃないさ。
女王陛下は力に溢れているし、新宇宙の育成も順調だ。まぁ、いつもの見回りといったところだな」
ランディの顔を面白そうに見下ろしながら、オスカーは答える。そして肩から少し落ちかけたマントを軽くかき上げた。すると、ランディの鼻先にふわりと芳香が漂う。
……大人びた香水の香り。
「オ、オスカー様っ!!」
「どうした?」
「ま、ま、まさか、お、女の人に会ってきたんじゃあ……」
慌てふためくランディをしばし見つめ、オスカーは再び軽く笑うとランディの額を指先で軽く弾いた。
「なかなか鋭くなってきたみたいだな。いい傾向だぜ、ランディ」
「な、な、なに言ってるんですかっ! ご、ご自分の立場を忘れたんですかっ!?」
「俺は炎の守護聖のオスカーだ。忘れる訳がないだろう。おかしな奴だな」
「そうじゃありませんよっっ! ロザリアの事ですっ!」
拳を握りしめて絶叫するランディは、ロザリアの名前が出ても平然としているオスカーの態度に、ますます顔を昂揚させて大声をあげる。
「オスカー様は結婚したんですよ、ロザリアとっっっ! なのに二週間もしないうちに他の女の人に会いに行って、朝帰ってくるなんてっっっ! 一体何を考えてるんですかっ!!」
「朝っぱらからそんな大声をあげんでも聞こえるぜ」
「開き直らないでくださいっ!!」
ハアハアと肩で息をつくランディをじっと見つめ、オスカーは表情を引き締めた。
「だから?」
この答えにランディは呆然とする。
「だから何が言いたいんだ、坊や。それとも、彼女に俺に釘を刺すよう頼まれたのか?」
「そうじゃありませんけど……。でも、普通に考えたら彼女が悲しむとは思いませんか?」
冷静に返されて最初の勢いはどこへやら、ランディは拳を下ろし俯き加減にぼそっと呟く。しかし抗議をやめようとしないのは、この青年の正義感の強さゆえであろう。
唇をぎゅっと噛みしめ上目使いに睨み上げてくるランディの真っ直ぐな視線を、正面から余裕で受け止め、オスカーは皮肉な笑みを浮かべる。そしてランディの肩を叩くと、彼の横をすっと通りすぎて私邸への道を歩き始めた。
「見直しかけたんだがな。やっぱりまだ子供だな、坊やは」
「俺はもう18です。坊やじゃありませんっ!」
遠ざかる自分の背中に向かって、精一杯抗議をしてくるランディの声をBGMに、オスカーは歩みを速めた。
使用人達もまだ眠っている、静まり返った屋敷に自分の足音が響く。そっと寝室に入るとダブルベットの端に腰掛け、枕を抱えるようにしてすうすうと安らかな寝息を立てる妻を起さないように静かに眺める。
手を伸ばし、彼女の柔らかな巻き毛の一房を持ち上げ軽く唇を当ててみる。それでも起きない妻に覆いかぶさるように身体を寄せると、髪を掻き上げ白い首筋に接吻した。
するとようやくロザリアはうっすらと目を開け、首を傾げてオスカーの青い瞳をじっと覗き込んだ。
「おはよう、俺のお姫様」
「いつ帰っていらっしゃったの?」
「少し前さ。君の女神のような寝顔につい見とれてしまってね」
「その台詞、わたくしで何人目なのかしら」
ロザリアはくすっと笑うと上体を起し、掛け布団を胸の辺りまで持ち上げながらオスカーの頬にそっと唇を触れる。
「おはよう、わたくしの王子様」
「王子としては眠り姫のキスはここに欲しいな」
そう呟くとオスカーはぐっとロザリアを抱き寄せ、ゆっくりと唇を重ねた。そのまま倒れ込みかけると、ロザリアはすっと軽く体勢を入れ替えて彼の腕をはずす。そして立ち上がると髪をふわりと掻き上げながら微笑んだ。
「ごめんなさいね、オスカー。これから仕事に行かなくてはならないの。続きはまた今度にしてくださる?」
「おいおい、今日は日の曜日だぜ? せっかく君と一日を過ごせると楽しみにしていた俺に、お預けを喰わすつもりかい?」
手持ちぶさたになった両手のやり場に困り、身体をロザリアの方にくるりと向ける。そして大きめの枕に上体を埋めるようにして仰向けになったまま、オスカーは軽く肩をすくめた。
「あなたのお相手を望んでいる女性はごまんといらっしゃるでしょ?」
「俺が欲しいのは君だけなんだがな」
ロザリアは髪を梳かしながら唇の端を持ち上げて器用に微笑む。
そして鏡台にブラシをことんと置くと、立ち上がってガウンを羽織り扉へ向かいながらオスカーに問いかけた。
「ジュリアスへのご報告はもうすんだの?」
「いいや。多分まだお休みのはずだ。それに、なにより先に君に会いたかったからな」
「そう、よかったわ。じゃあシャワーをきちんと浴びて身なりを整えてから行って下さいね。わたくしはその香水を使っていないから、ジュリアスにバレたらまずいんじゃありませんこと?」
ロザリアは扉を開けると、寝転がったままのオスカーを振り返りふわりと笑った。
ぱたんと扉が閉まった後、彼女を黙って見送っていたオスカーは、手を頭の後ろに組み天井を見上げながらぽつりと呟いた。
「やっぱり最高だぜ。俺の奥さんは」