雨のち晴れ

(5)

「……あなたらしくないですね」

「聞いていたのか?」

「聞こえたのですよ……」

ロザリアの落としたノートや書類を屈んで拾っていると、上から優しげな声が語りかけてくる。オスカーははずみをつけて立ち上がると、リュミエールを軽く睨む。

「いい趣味とは言えないな、黙っているなんて。止めに入るとか何か対処があっただろうが」

「あなたが女性に怒鳴りつけているのを見るのは初めてだったもので。驚いて何もできませんでした。申し訳ありません」

リュミエールは律義にも軽く頭を下げる。オスカーは思わず苦笑した。

「いや、お前が謝ることじゃない。俺が全面的に悪いんだからな」

「……そのように過ちを素直に認めるところも、いつものあなたではないようですね」

「きついな、お前も」

リュミエールはオスカーをジッと見つめた。この水の守護聖は普段とてもたおやかだが、その奥には確固たる意志と、揺るぎない精神が潜んでいる事をオスカーは知っていた。

「何故そのようにおびえるのです?」

「誰が? 俺が何かを怖がっているって言うのか?」

オスカーは思わず声を荒げた。それでもリュミエールはびくともしない。

「違いますか?」

リュミエールの穏やかな瞳に見つめられ、オスカーはしばらく睨み返した後に、ほっと息を吐いた。

「確かにお前の言う通りかもな。最近の俺はどうかしている。あのお姫様が誰に好意を持とうと関係なかったはずだ。なのに今はどうだ、彼女の口からジュリアス様の名前が出ただけで頭に血が上っちまった。…このオスカー様が、だぜ」

 

最初はからかうだけだった。あと数年したらさぞや素晴らしい女性になるだろうと思った。でもまだ子供だ。本人は怒るが、アンジェリークと変わらない。

そう思っていた。

花畑に連れていったのも、気まぐれだった。アンジェリークに差をつけられ落ち込む少女を守護聖として放っておけなかった。それだけだった。

しかし、花畑で微笑むロザリアが振り返るのを見た時、何かが変わった。彼女はそこにいるのが自分だとわかって顔を曇らせた。

…あの笑顔は誰に向けたものだったのだろう? 誰にそこにいて欲しかったのだろう。

 

それからは、彼女を見かけると必ず声をかけた。いつも子供扱いして彼女を怒らせた。

そうしないではいられなかった。自分の本心を隠すためには……

 

「ありがとう…ございます……ジュリアス様」

 

ロザリアがそうつぶやいた時、オスカーはわかった。

あの花畑で彼女が笑いかけたのはジュリアス様だった……俺ではなかったんだ。

 

「あなたもロザリアもとても似ていますよ。だから惹かれあうんでしょう」

リュミエールはつぶやいた。オスカーは驚いた顔をしたが、すぐに苦笑する。

「そんなわけがないだろう?あのお嬢ちゃんはジュリアス様しか見えていないんだから」

「だったら何故、先程彼女は泣いていたのですか?」

オスカーは言葉に詰まる。

「あなたに本当の事を言われたから? 多分違うと思います。あなたに誤解されたから、あなたに嫌われていると思ったからでしょう。でも、彼女自身あの涙の意味がわかってはいないと思いますよ」

オスカーはリュミエールをしばらく見つめ、感心したようにポツリと漏らす。

「……どこでそんな読心術を習ったんだ」

「リアクションの少ない方のお側にいると、自然と身に付くのですよ」

リュミエールは意味深な微笑みを浮かべて答えた。

 

ロザリアは走っていた。途中でヒールが折れ、思いきり転んでしまう。そしてぺたんと座り込んだまま、両手で顔を覆った。

「どうして泣いているのよ! あの人になにを言われたって気にすることないわ。ジュリアス様が好きなのは本当なんだからっ!」

そう自分に言い聞かせても、涙は止まらなかった。胸がぎゅうぎゅう締めつけられる様に苦しい。

あの時と同じ、アンジェリークに微笑みかけるあの人を見た時と同じ痛み。

ロザリアは声を漏らさないようにと、唇をぎゅっと噛みしめた。

 

そして試験は意外な形で幕を閉じた。女王に選ばれたのはアンジェリークだった。

おおかたの予想では名門出身のロザリアが次期女王にとの見方が多かったが、アンジェリークの未知数の力が新しい宇宙には必要だということになったのだ。ロザリアはそのアンジェリークのたっての希望で、補佐官として共に聖地に向かうことになった。

ロザリアは帰りたいと思っていたが、今は親友となったアンジェリークに懇願され、彼女を助け共に進む道を選んだ。

 

「わぁ、ロザリアすっごく大人っぽい!」

補佐官の衣装を身にまとったロザリアを見て、アンジェリークははしゃぎだした。

明日はこの飛空都市を後にし、女王として補佐官として聖地に向かう二人は最後の衣装合わせをしていた。アンジェリークは薄いピンクの可愛らしいドレスを着ている。彼女が跳ね回るたび飾りのリボンがふわふわと揺れる。

「はしゃがないの。せっかくの女王の服が汚れてしまうでしょ」

ロザリアは対照的に、身体の線がくっきりと浮かぶ青いドレスを着ていた。彼女の凛とした顔立ちにそのドレスはよく似合っている。

「だって、ロザリアホントに綺麗よ。私と同じ歳とは思えないもの」

「そうよ、わたくしは子供じゃないもの」

ロザリアはそこまで言って急に口をつぐんだ。

 

『お嬢ちゃんはまだまだ子供だな』

 

アンジェリークは目を伏せるロザリアの手を取ると、彼女に微笑みかける。そして意を決したように彼女に語りかけた。

「あのね、ロザリア。私、サラさんに聞いたことがあるの。この飛空都市は聖地に似せて作られてるんだって。だから聖地と同じような働きをしてしまう場所があるんだって。森の湖がそれなのよって」

「……なにが言いたいの?」

ロザリアの問いかけをアンジェリークは優しく手で制し、先を続けた。

「そこで一生懸命祈ると、逢いたい人に逢えるんだって。心の底から本当に逢いたい人に」

アンジェリークはにこりとロザリアに笑いかけ、彼女の手を軽く叩いた。

「ロザリア、そこに行ってきたらどう?」

「は? 明日は即位式なのよ、そんな暇は……」

「即位するのは私よ。新しい女王として、まず補佐官から悩みを取り除いておきたいの。いつもの勝ち気なロザリアに補佐官としてついて来て欲しいの」

「悩みなんて……。そういえば……あなたこそオスカー様が好きだったのに、なぜ女王になろうと思ったの?」

 

意を決したロザリアの言葉に、アンジェリークはパッと晴れやかな表情で答えた。

「ええ、オスカー様のことは大好きよ」

「……」

「でもね、ジュリアス様も大好き!」

「……え?」

ロザリアは面食らってパチクリとアンジェリークを見つめ返す。するとアンジェリークは満面の笑みをたたえて嬉しそうに続けた。

「クラヴィス様もリュミエール様も大好き。ランディ様やゼフェル様、マルセル様も。それからオリヴィエ様、そしてルヴァ様。皆みんな大好きなの」

ロザリアは一瞬唖然としたが、次の瞬間吹き出してしまった。アンジェリークは微笑みながら再びロザリアの手を取った。

「私の好きってそういう事なのよ。みんな大好き、特別はないの。……ただ一人を除いて、ね」

アンジェリークはまだ笑いの収まらないロザリアの顔を覗き込んだ。

「私の特別はロザリア、あなたよ。だからあなたには幸せになって欲しいの。自分に正直になって……ね、ロザリア」