『……今日はお休みしたのだったかしら? 頭が痛くて……でも、育成のお願いをしに行って……そしたら……』
ロザリアはうっすらと目を開けた。焦点が定まらず、天井がグルグルと廻っている。
「……ロザリア?」
低く穏やかな声が聞え、ひんやりとした手の感触を額に感じる。手の先を、定まらぬ視線が追いかける。青い目が心配そうに覗き込んでいるのがわかった。
『誰なの……わたくしを心配して下さってる……の?』
ロザリアはほっとして目を閉じた。大きな手のぬくもりが心地よくて、眠りに引き込まれてゆく。
「ありがとうございます……ジュリアス様」
アンジェリークが氷水の入った水差しと真新しいタオルを両手に抱えて戻ってくるのと、オスカーがそっとロザリアの部屋の扉を閉めるのが、ほぼ同時だった。オスカーは、閉めた扉をしばらくジッと見つめている。
何となく声をかけそびれて立ち尽くすアンジェリークに気付いて、オスカーは微かに笑う。
「今、眠ったところだ」
「私が戻るまでついていて下さいって、お願いしたじゃないですか」
「眠り姫に怒られたくない。女性の部屋に長居するなんて守護聖として失格です、ってな」
アンジェリークはくすっと笑う。するとオスカーは、くすくす笑うアンジェリークの頭をいつものようにふわっと撫でた。
「お姫さまの世話を頼んだぜ、お嬢ちゃん。俺はまだ仕事が残ってるんでな」
「はい。ありがとうございました、オスカー様」
アンジェリークの脇をすっと通りすぎ、後ろ手に軽く手を振ってオスカーは寮を出た。
入り口から少し外れたところに待たせていた馬の鼻ずらを軽く叩く。栗毛の馬は主人の胸にしきりに顔を擦り付けてきた。黙って馬に飛び乗ると、オスカーは鞭を繰れた。
いつもは絶対にそんな事はしない主人の扱いに驚き、それでも振り落とさず栗毛は走りだした。
『俺とジュリアス様を見間違えただけじゃないか。熱にうなされていたんだ、仕方がない。それより……そんなことくらいで、なぜ俺はこんなにイラついている?』
苦々しげに舌打ちをしたオスカーは、そのまま執務室には戻らなかった。
「やっぱり、お礼は言うべきよね。運んで下さったのは事実なんだし」
ロザリアはぶつぶつとつぶやきながら、宮殿へと向かっていた。
昨日再び目覚めた時、そこにはくりくりとした緑色の大きな瞳があった。
「もー心配させないでよね。ロザリアってば頑張りすぎるのよ」
アンジェリークはタオルを絞りながら、眉間にしわを寄せている。
「アンジェリーク…あんた」
「あ、もう。ちゃんと蒲団かぶってっ!今タオル変えてあげるから」
押さえつけるようにロザリアを掛け布団の中に押し込むと、額のタオルを新しい物に換える。そのひんやりとした感触に、ロザリアは先程の夢ごごちな気分を思いだした。
「ねぇ……さっき、あんた以外に誰かここにいた?」
「うん、オスカー様がいてくださったの。あなたをお部屋まで連れてきてくれたのもオスカー様よ、憶えてない?」
「オスカー様が……」
「私が薬を取りに行ったりしてる時、ずーっとロザリアに付き添っててくださったの。ロザリアが眠ったからって、さっき帰られたけど」
「ずっと…あの方がついていてくださったの? じゃあ……あれは……」
「え、なにかあったの?」
アンジェリークは無邪気に問いかけてきたが、ロザリアは慌てて首を振ってからアンジェリークを軽く睨んだ。
「別に、なんでもないわ。というか、眠っている私とあの方を二人きりにして出かけるなんて、あんたって本当に……」
語気を荒げるロザリアの様子に、アンジェリークはあっけにとられた表情を浮かべたが、すぐにくすくすと笑いだした。
「ちょっと、何を笑っているの?」
オスカーはジュリアスの執務室を出ると、安堵の息を漏らした。彼がジュリアスの前で平静でいられない事は初めてだった。
ジュリアスの顔を見るとつい思いだしてしまう。熱に浮かされそれでも自分に微笑みかける少女の顔を。
しかしその視線の先にいるのが自分ではなくジュリアスだということが、オスカーの心に引っ掛かり、尊敬する光の守護聖を見ることができなかった。
「……いったいどうしちまったんだ、俺は」
頭を軽く振ると、オスカーは歩き出した。
闇の守護聖の執務室の前を通り、風の守護聖、水の守護聖、そして自分の…。自分の執務室の前で、扉に寄り掛かって遠くを見つめている人物を見て取り、オスカーは自分でも驚くほど声が上ずってしまうのがわかった。
「……ロザリア」
長い髪を微かに揺らし、青い瞳の少女はゆっくりと振り向いた。
「昨日はご迷惑をおかけしました」
ロザリアは書類やらノートを抱えたまま、器用に頭を下げた。
「いや。もう大丈夫なのか?」
オスカーは努めて冷静を装い、扉を開けて中に入るよう彼女を促した。
「おわびとお礼を言いに来ただけですので、ここで結構です」
『……ジュリアス様が言ったのなら喜んで中に入るんだろうに』
「お忙しいのにわたくしを寮まで運んで下さったそうですね。その上、眠るまでそばにいて下さったそうで……ありがとうございました」
『……憶えていないのか? あの時口にした事を』
「アンジェリークに頼まれたからな。お姫さまを見張っていてくれってな」
「……あの子に頼まれたから、ですか……」
「ああ。あのお嬢ちゃんに懇願されたら、放り出すわけにはいかないからな」
オスカーは自分の口調が、皮肉さを増してきたことに気付いた。ロザリアは俯いたままだった。その彼女の顔を上げさせたくて、オスカーはさらに続ける。
「お姫さまも彼女の素直さを見習ったほうがいいぜ? 男はああいう女の子の言うことなら何だってかなえてやりたくなるからな」
「……やっぱり最低。少し見直してかけていたのに」
ロザリアは肩を震わせそうつぶやくと、オスカーを睨みつけた。
「わたくしはあの子とは違うと申し上げたはずです! どうしてあなたの様な方があのお方と同じ守護聖なのかわかりませんわ!!」
彼女のその言葉を聞いた途端、オスカーの冷たく光る青い視線はロザリアを突き刺した。
「君の方こそ、俺とジュリアス様を比べるのはやめてくれないか!」
ロザリアはわずかに頬を染め、息を詰める。
「君を寮まで送り届けたのは俺だ。眠りにつくまで見守っていたのもこの俺だ、ジュリアス様じゃない! 君にとってははなはだ不本意だろうがな」
最後は自嘲気味に微笑んで吐き捨てるようにつぶやいたが、ロザリアの少しつり上がった青い瞳にみるみる涙が溢れてきたのを見て、オスカーは我に返った。
『何を言ってるんだ俺は……これじゃ、ただのガキの焼きもちじゃないか』
「お嬢ちゃん、すまない。そんなつもりじゃ……」
そう言ってロザリアの腕をつかむと、彼女は力任せにオスカーの腕を振りほどいた。そうして手に持っていたノートを彼に叩きつけると、オスカーの前から走り去っていった。