雨のち晴れ

(2)

誰にでもスランプと呼ばれるものがある。もがけばもがくほど、深みにはまってしまう時期。それは当たり前のように、突然ロザリアに訪れた。

ロザリアは毎日焦っていたが、とにかく何をしても大陸の発展に繋がらない。まるで誰かが嫌がらせをしているみたいだ。

そうこうしているうちにエリューシオンの発展が、ついにフェリシアを追い越してしまった。

前にも一度だけ同じことがあった。しかしその時のロザリアは、冷静に原因を追及し的確な処置を施して、何事もなかったように抜き返してしまった。

しかし今回のロザリアにその余裕はなかった。

『アンジェリークに抜かれてしまった。ライバルとして出発点に立ったばかりのあの子に』

その思いだけが、ロザリアの頭の中でぐるぐると渦巻いていた。

 

「はあ…」

ため息をついてロザリアは執務室を後にする。

「焦ってはいけませんよ。頑張っていれば、必ず報われますからね」

ルヴァは優しく励ましてくれた。しかしその笑顔すら今のロザリアには苦痛だった。

一番端の執務室の扉を見つめ、もう一度ため息をつく。育成が滞りがちになってから、ジュリアスに逢いに行っていなかった。逢うのが怖かった。

『せっかく励まして下さったのに……微笑みかけて下さるようになったのに』

暗い気分のまま宮殿を出る。そんな彼女の心とは裏腹に眩しいほど空は明るく澄み切っていた。

眩しい、とロザリアが手を翳して日差しを避け立ち止まると、後ろから耳元に囁きかける低い声がした。

「どうした、お姫さま。一人でお散歩か」

慌てて踵を返し、軽く身構える。

「まいったな、そんなに俺は信用ならないか?」

オスカーは少し困ったように腕を組んで笑う。いつもの笑顔とはちがうその表情に、ロザリアは警戒を解いて心持ち赤くなった。

「そ、そういうわけではありませんわ。ただ…」

「女王候補に気安く声をかけるな、と言いたいんだろう?」

ロザリアは俯く。

『どうしてこの人は逢いたくないときにいつも現れるんだろう。あんな偉そうなことを言っていたくせに、今はまるで育成できていないじゃないか、とでも言いに来たのかしら』

ロザリアが顔をあげないのを見て、オスカーは彼女の肩にすっと手をかけた。慌てて身を引こうとするロザリアの顔を覗き込み、オスカーはいつもの笑顔を見せる。

「前に約束しただろう、遠乗りに行くと。まだ日は高いし、付き合ってくれないか、お嬢ちゃん?」

「そんなお約束、した覚えはございませんっ!」

「じゃあ、今約束したってことでいいだろう?」

「よくありませんわっ!」

最初から計画していたのだろう、オスカーはこの前と同じ栗毛の馬を連れていた。抵抗するロザリアを軽々と抱きかかえると鞍の上に座らせ、自分は彼女のすぐ後ろに飛び乗った。

「降りますっ! 降ろしてっ!」

「おい、暴れるなよ!」

栗毛は主の合図とともに一声嘶くと、軽快に走り出した。

 

「乗馬の経験があるのか?」

オスカーは腕の中で押し黙るロザリアに訊ねた。

「……何故ですの?」

「初めて乗ったにしては騒がないから、経験があるのかと思ってな」

「乗馬も淑女のたしなみですから」

「なるほど、一通りはこなしているわけか。君と違ってアンジェリークは大騒ぎしていたよ」

思いだし笑いをするオスカーを見上げ、ロザリアはやや声を落として答えた。

「あの子と一緒にしないで下さい」

『わたくしはアンジェリークとは違うんだから。あの子を騙したようにはいきませんからね』

ロザリアの心がわかったのか、オスカーは軽く笑う。

『……その笑顔が嫌いなの』

 

「すごいわ…」

ロザリアは思わずつぶやいた。彼女の目の前には一面の花畑が拡がっていた。

「気に入ってもらえたみたいだな」

「ええ、とっても!」

興奮気味に笑顔で振り向きかけ、そこに立っているのがオスカーだと気付いて慌てて表情を堅くする。そんな彼女の態度を気にするふうでもなく、オスカーは辺りを見回しながらロザリアに近づいた。

「森の湖の奥に、こんな綺麗な場所があるなんて知らなかっただろう? ここはな、俺の秘密の場所なんだ」

「秘密…?」

「ああ。女王候補には内緒の、秘密の花園さ」

『また口先ばっかり。秘密ならどうして私を連れてきたのよ』

ロザリアの考えを見透かしたように、オスカーは続けた。

「お姫さまは特別だ。君にはこの景色がよく似合う。美しい花に囲まれた薔薇の蕾を見てみたくなったのさ」

「お褒めいただき恐縮ですわ。まぁ、アンジェリークにも同じことをおっしゃったのでしょうけど」

「いいや。あのお嬢ちゃんをここに連れてきたことはない」

え、とロザリアが顔を上げると、そこにアイスブルーの瞳があった。

「言っただろう? 君は特別だって」