誰にでもスランプと呼ばれるものがある。もがけばもがくほど、深みにはまってしまう時期。それは当たり前のように、突然ロザリアに訪れた。
ロザリアは毎日焦っていたが、とにかく何をしても大陸の発展に繋がらない。まるで誰かが嫌がらせをしているみたいだ。
そうこうしているうちにエリューシオンの発展が、ついにフェリシアを追い越してしまった。
前にも一度だけ同じことがあった。しかしその時のロザリアは、冷静に原因を追及し的確な処置を施して、何事もなかったように抜き返してしまった。
しかし今回のロザリアにその余裕はなかった。
『アンジェリークに抜かれてしまった。ライバルとして出発点に立ったばかりのあの子に』
その思いだけが、ロザリアの頭の中でぐるぐると渦巻いていた。
「はあ…」
ため息をついてロザリアは執務室を後にする。
「焦ってはいけませんよ。頑張っていれば、必ず報われますからね」
ルヴァは優しく励ましてくれた。しかしその笑顔すら今のロザリアには苦痛だった。
一番端の執務室の扉を見つめ、もう一度ため息をつく。育成が滞りがちになってから、ジュリアスに逢いに行っていなかった。逢うのが怖かった。
『せっかく励まして下さったのに……微笑みかけて下さるようになったのに』
暗い気分のまま宮殿を出る。そんな彼女の心とは裏腹に眩しいほど空は明るく澄み切っていた。
眩しい、とロザリアが手を翳して日差しを避け立ち止まると、後ろから耳元に囁きかける低い声がした。
「どうした、お姫さま。一人でお散歩か」
慌てて踵を返し、軽く身構える。
「まいったな、そんなに俺は信用ならないか?」
オスカーは少し困ったように腕を組んで笑う。いつもの笑顔とはちがうその表情に、ロザリアは警戒を解いて心持ち赤くなった。
「そ、そういうわけではありませんわ。ただ…」
「女王候補に気安く声をかけるな、と言いたいんだろう?」
ロザリアは俯く。
『どうしてこの人は逢いたくないときにいつも現れるんだろう。あんな偉そうなことを言っていたくせに、今はまるで育成できていないじゃないか、とでも言いに来たのかしら』
ロザリアが顔をあげないのを見て、オスカーは彼女の肩にすっと手をかけた。慌てて身を引こうとするロザリアの顔を覗き込み、オスカーはいつもの笑顔を見せる。
「前に約束しただろう、遠乗りに行くと。まだ日は高いし、付き合ってくれないか、お嬢ちゃん?」
「そんなお約束、した覚えはございませんっ!」
「じゃあ、今約束したってことでいいだろう?」
「よくありませんわっ!」
最初から計画していたのだろう、オスカーはこの前と同じ栗毛の馬を連れていた。抵抗するロザリアを軽々と抱きかかえると鞍の上に座らせ、自分は彼女のすぐ後ろに飛び乗った。
「降りますっ! 降ろしてっ!」
「おい、暴れるなよ!」
栗毛は主の合図とともに一声嘶くと、軽快に走り出した。
「乗馬の経験があるのか?」
オスカーは腕の中で押し黙るロザリアに訊ねた。
「……何故ですの?」
「初めて乗ったにしては騒がないから、経験があるのかと思ってな」
「乗馬も淑女のたしなみですから」
「なるほど、一通りはこなしているわけか。君と違ってアンジェリークは大騒ぎしていたよ」
思いだし笑いをするオスカーを見上げ、ロザリアはやや声を落として答えた。
「あの子と一緒にしないで下さい」
『わたくしはアンジェリークとは違うんだから。あの子を騙したようにはいきませんからね』
ロザリアの心がわかったのか、オスカーは軽く笑う。
『……その笑顔が嫌いなの』
「すごいわ…」
ロザリアは思わずつぶやいた。彼女の目の前には一面の花畑が拡がっていた。
「気に入ってもらえたみたいだな」
「ええ、とっても!」
興奮気味に笑顔で振り向きかけ、そこに立っているのがオスカーだと気付いて慌てて表情を堅くする。そんな彼女の態度を気にするふうでもなく、オスカーは辺りを見回しながらロザリアに近づいた。
「森の湖の奥に、こんな綺麗な場所があるなんて知らなかっただろう? ここはな、俺の秘密の場所なんだ」
「秘密…?」
「ああ。女王候補には内緒の、秘密の花園さ」
『また口先ばっかり。秘密ならどうして私を連れてきたのよ』
ロザリアの考えを見透かしたように、オスカーは続けた。
「お姫さまは特別だ。君にはこの景色がよく似合う。美しい花に囲まれた薔薇の蕾を見てみたくなったのさ」
「お褒めいただき恐縮ですわ。まぁ、アンジェリークにも同じことをおっしゃったのでしょうけど」
「いいや。あのお嬢ちゃんをここに連れてきたことはない」
え、とロザリアが顔を上げると、そこにアイスブルーの瞳があった。
「言っただろう? 君は特別だって」