「いやだって。行きたくないって断られちゃった」
マルセルがため息をついて椅子に腰かけると、アンジェリークは悲しそうに口をゆがめた。
「そんなぁ。マルセル様だったら、オスカー様に怪しまれずに連れて来られるかと思ったのにぃ」
アンジェリークから手渡されたミルクティー入りのカップを両手で受け取ると、マルセルは小さく肩を落とした。
「ゴメンね、アンジェ。僕もオスカー様が言うんだったら、なんとかして連れてこようと思ったんだけど。でも、ロザ…ブルーアイが離れたくないっていうから」
アンジェリークの後ろにランディの姿を認めたマルセルは、溜息をつきつつも慌てて言い直した。だが、アンジェリークはにっこりと笑うと、ランディをちらりと見上げてからマルセルに視線を戻した。
「大丈夫です、マルセル様。ランディ様もご存知ですから」
「オメーがべらべらバラしたおかげでな」
ソファに備え付けのテーブルをどかして、床に座り込んでなにやら作業をしているゼフェルのひと言に、アンジェリークの代わりにランディが異を唱えた。
「人手は多いほうがいいからって、アンジェが気を廻しただけだろう。よく言うじゃないか、三人よれば文殊の知恵って」
「しゃーねぇ、まぁ、馬鹿とはさみは使いよう、っつうしな」
「ゼフェル、そういう言い方はないだろうっ!」
ランディとゼフェルが、いつものどつきあいを開始するのを無視し、アンジェリークはトレーを両手で抱えたまま、マルセルの隣の椅子にちょこんと腰を下ろした。
「そうかぁ。ロザリア、オスカー様から離れたくないって言ったんですか」
「うん。正直いうとね、僕もビックリしたんだ」
うなずいたマルセルはミルクティーを一口飲み、カップを両手に持って笑顔を浮かべた。
「ロザリアって、いつも誰の前でも、堂々としてるように見えてたから。なのにオスカー様の前でだと、本当に普通の女の子なんだなぁって、少し安心したんだ」
そう言ってマルセルは顔を上げると、アンジェリークに向き直ってにこりと笑った。
「誰でもみんな、好きな人からは離れたくないよね。ずっと一緒にいたいって気持ち、それが本当の想いなら、言葉にしなくても伝わると思うんだ。それがブルーアイ、ううん、ロザリアから伝わってきたから、僕にはそれ以上『家においで』って言えなかった。ごめんね、アンジェ。せっかく僕を頼ってくれたのに」
マルセルの言葉に、アンジェリークはゆっくりと首を振った。
「謝らないで、マルセル様。うん、たぶんそれがわたしでも、きっと同じことをしたと思います。確かにロザリアのこと心配だけど、やっぱり最後には、ロザリアの気持ちをいちばん大事にしてあげたいから」
「うん、そうだね」
アンジェリークとマルセルは顔を見合わせると、どちらからともなく笑みを浮かべた。そこへ背後から、ゼフェルの呆れたような声が響いた。
「アイツの気持ちを考えるのも大事だけどよー、まずは身の安全を確保すんのが、いちばん大切なんじゃねーの?」
すると珍しくランディが、ゼフェルの意見に同意してうなずいた。
「うん、俺もそう思う。オスカー様のことは信じてるけど、でも万が一ってこともあるかもしれないし」
「全然信じてねーじゃん、それ」
ゼフェルの悪態にじろりと一瞥を返すと、ランディは眉間にしわを寄せてうーんと唸って腕を組んだ。
「そうだなぁ……じゃあ今度は俺が行こうか? 明日は土の曜日だろ? いつも朝の稽古をオスカー様につけてもらうんだけど、その時にこっそりとロザリアを連れてくるとか」
「そりゃ誘拐だろ」
ゼフェルが呆れて呟くと同時に、マルセルが眉をひそめてランディを見つめた。
「ダメだよ、ランディ。そんなことをしたら、今度はロザリアの猫がいなくなったって大騒ぎになっちゃうじゃない」
「そうですね。オスカー様が合意の上で連れてくるならいいですけど、そうじゃないと大変なことになっちゃいますね」
もうすでに大変なことになっているのだが、アンジェリークの言葉に、ランディは「そうかぁ」とつぶやきながら、所在なげに頭をかいた。
「確かに、黙って連れ出すのはまずいか。だとすると、ロザリアが自主的に来てくれるか、オスカー様が預けに来てくれるかしか」
「それは無理だってのは、今日の僕でわかったでしょ」
「だよなぁ」
はあっとため息をつく三人から少し離れていたゼフェルは、やがて顔を上げると「よー、アンジェリーク」と言いながらちょいちょいと手招きをした。
「なんですか?」
トレーをテーブルに乗せてから、ゼフェルの側に歩み寄ったアンジェリークは、彼の目の前にしゃがむと、のぞき込むように小さく首を傾げた。
「手、出してみな」
「? こうですか?」
アンジェリークが素直に手を差し出すと、ゼフェルはその手の平の上に、しゃらんと小さな音を立てる物体を乗せた。
「…すず? ネックレスですか?」
青いリボンがついた鈴を持ち上げると、リンリンと可愛らしい音が辺りに響く。
「首輪だよ、首輪。猫がよくつけてるだろ?」
「……もしかして、ブルーアイへのプレゼントですか?」
アンジェリークの問いに、ゼフェルは長い間同じ姿勢でいたために凝ってきた筋肉をほぐすように、伸びをしながらうなずいた。
「ま、そんなとこか。ちょっとつけてみな」
「え? わたしがですか? …ゼフェル様、まさか、おかしなプレイとか」
「んなわけあるかっ! いいから、ちょっと手首にでもつけてみろっての!」
怪訝そうな表情を浮かべるアンジェリークに怒鳴り返すと、側に近寄ってきたランディとマルセルを見上げて、にっと笑った。
「連れ出すのが無理なら、中で守るしかねーだろ。何とか間に合ってほっとしたぜ」
「ゼフェル様、これでいいですか?」
マルセルに手伝ってもらいながら、ようやく鈴つきのリボンを手首に巻き付け終えたアンジェリークは、その手を小さく掲げて、鈴を鳴らしてみせた。するとゼフェルはランディに視線を移し、アンジェリークを指差しながら事もなく言い放った。
「んじゃ、ランディ。アンジェリークを襲ってみな」