オリヴィエの執務室の扉が少し乱暴にノックされ、机の前に立っていたリュミエールは振り返り、オリヴィエは頬杖をやめて口を開いた。
「開いてるよ、入っといで」
オリヴィエの合図があってすぐに扉は開かれ、まず仏頂面をした銀髪の少年が顔を出した。
「連れてきたぜ。ほら、入れよ」
「お、お邪魔します…」
うながされて中に入って来たのは、金の髪をふわふわと揺らす女王候補アンジェリークだった。
「ご苦労だったね、ゼフェル。さ、アンジェ、こっちにおいで?」
「ったく、人を伝書バト代わりにしやがって」とぶつぶつ言うゼフェルを無視し、オリヴィエはにっこりと笑って立ち上がった。
「さーて、と。アンジェ、ちょっとアンタに聞きたいことがあるんだけど……話してくれるよ、ね?」
「ゼフェル様!」
黙って前を歩く少年の背中に向って、アンジェリークは駆け寄りながらもう一度叫んだ。
「ゼフェル様、あの…」
するとゼフェルはようやく立ち止まり、ちらりと後ろを振り返った。
「んだよ」
斜にかまえ、眉をひそめているその表情に、アンジェリークは思わず立ち止まった。
「ゼフェル様…すごく怖い顔してます、よ」
「悪かったな、生まれつきだっつの」
ぶ然とした表情のまま答えると、ゼフェルは再びくるりと背を向けて歩き出してしまった。
「あ、もう。ゼフェル様ったら!」
アンジェリークは拳をきゅっと握りしめると、またゼフェルを追いかけて走り出した。そして彼の隣に並ぶと、口を尖らせているゼフェルの顔をのぞき込んだ。
「もーうっ。何を怒ってるんですかっ?」
するとゼフェルはぴたりと足を止め、アンジェリークの方へ顔を向けた。
「教えて欲しいか?」
「はい」
こくり、とアンジェリークがうなずくと同時に、ゼフェルはすうっと目を細めた。
「お前なぁっ! 世の中にはやっていいことと悪いことがあるんだっての、知らねぇのかよっ!! いくら遊びだっつってもやりすぎだ馬鹿っ!!!」
思いがけず至近距離で怒鳴られたアンジェリークは、息を飲んでまばたきを何度も繰り返した。そうしてようやく落ち着くと、ゼフェルの目をのぞき込みながら恐る恐る訊ねた。
「あのう、それってもしかして、ロザリアのことです、か?」
「他に何があるってンだ馬鹿っ!」
「もーっ! バカバカ言わないで下さいよぅ!」
「馬鹿にバカつってナニが悪ぃんだよ馬鹿っ!」
「あーっ、またバカって言ったぁ! ゼフェル様、ひどいですぅ!」
アンジェリークが抗議の声を上げるのを無視し、ゼフェルは眉をしかめたままで、また彼女に背を向けた。
「んじゃ、オレはもう帰るぜ。やることがあるからよ」
「やること?」
ゼフェルが反撃してこないので拍子抜けしたアンジェリークは、振り上げた拳を降ろして首を傾げた。だがゼフェルはやはり何も言わず、そのまますたすたと歩き出してしまった。
その後ろ姿をしばらく見つめていたアンジェリークだったが、急に目を輝かせたかと思うと小走りにゼフェルに駆け寄り、彼の腕をつんっと突いた。
「んだよ。まだなんかあんのか?」
「ゼフェル様、やることってもしかして、ロザリアのことだったりして?」
「なっ!?」
かあっと顔を上気させたかと思うとすごい形相で振り返り、「ばっ、ばか言ってんじゃねぇっ!」と興奮気味に弁解しだした様子を見れば、アンジェリークでなくとも、見事図星を指したのだと理解できる。
真っ赤になって怒るゼフェルの様子に、最初こそ好奇心たっぷりな笑みを返していたアンジェリークだったが、やがて口をきゅうと引き締めると肩を落としてため息をついた。
「あーあ。ロザリア、ゼフェル様みたいなわかりやすい方を好きになれば、もっと楽だったのに」
「はぁ!?」
ゼフェルが眉をひそめると、アンジェリークは悲しそうに眉尻を下げた。
「なーんであの方がいいんだろう。そりゃあかっこいいし大人かもしれないけど、でも……わたしたちのことすぐに子供だってからかうし、本心を見せてくれないし……辛いだけなのになぁ」
アンジェリークの言葉に、今度はゼフェルが振り回していた腕をすうっと降ろした。そして彼はわずかに目を伏せると、顔をすばやく背けた。
「んなの……仕方ねぇだろ。好きだとか惚れちまったとか……そういうの、コントロールしようったって出来るもんじゃねぇし。出来るくらいなら、オレはもう、とっくに……」
消え入りそうな声で呟き、下唇をきゅうと噛みしめて視線を戻したゼフェルは、自分を見つめて楽しそうに目を輝かせているアンジェリークの姿に、ぎょっとなって数歩後ろに下がった。
「な、なんだよ、その目は」
「やっぱりぃ! やっぱりゼフェル様、ロザリアのことが好きなんだぁ!」
「ばっ! んなことオメーでかい声でっ!!」
慌てふためいたゼフェルは、アンジェリークの口元を乱暴に押さえると、辺りをきょろきょろ見回して、ほっとため息をついた。
そしてゼフェルの手から逃れようと、むぐむぐと何か言いながら暴れるアンジェリークを睨みつけ、精いっぱい声を押し殺して怒鳴った。
「ったくオメーは、どうして考えなしなんだよっ! 誰かに聞かれたらどーすんだっつの!」
ようやくゼフェルの手を僅かにずらすことに成功したアンジェリークは、彼の腕をつかんだまま上目遣いに睨み返す。
「聞かれたらまずいことなんですか? ほんとのことなのに?」
「だーっ! だからオメーは、デリカシーがないっつうんだよっ!」
また慌ててアンジェリークの口を塞ごうと動くゼフェルの腕を払いのけ、アンジェリークは首だけを動かしてゼフェルを見上げた。
「告白、しないんですか?」
「なっ! ば、馬鹿言うんじゃねぇっ! んなことっ!」
真っ赤になってがなり立てるゼフェルだったが、意外なことにアンジェリークはそれをからかうこともなく、真剣な眼差しでじっと見つめ続けた。
「恥ずかしいから? それとも、断られるのが怖いからですか?」
「んだと!?」
「でも、それってなんだか、どっちもゼフェル様っぽくないです」
きっぱりと言い切られて、思わずゼフェルは息を飲んだ。同時に彼の腕からすっと力が抜けたが、アンジェリークは逃げ出そうともせずに、そのままゼフェルの瞳を見つめていた。
「わたし、ロザリアには幸せになってほしいんです。ロザリアに好きな人がいるなら、精いっぱい応援してあげたいって思ったし、ロザリアのことを大事にしてくれる人と一緒ならきっと幸せになれるって思ったし、だから……」
そう言うと、アンジェリークはすっと目を伏せた。ゼフェルはしばらく、アンジェリークの急に小さくなったような姿を黙って見おろしていた。